吉田豪×大森靖子×小林司インタビューから自分なりのミスiD像を描いてみる

【別アカウントで書いた記事の再掲です】

https://friday.kodansha.co.jp/article/26786,吉田豪×大森靖子×小林司 激動のミスiDを振り返る(前編) | FRIDAYデジタル

今年の1月に載ったミスiD主催者小林司氏と選考委員の吉田豪氏、大森靖子氏3人による鼎談の模様です。

受け止めたり、話を聞いたり、情念をぶつけられたり。オーデションという中だけでなくその枠外でのやりとり込みで「ミスiD」というものが形作られているなと感じます。

【武器や策で生き様を見せる】

吉田よく言うんですけど、かわいいも武器の一つであって、そこを否定しているわけではないんですよ。ビジュアルの魅力がほとんどなくて、文章なり写真なり絵なりの武器だけ持ってミスiDを受けるのなら、それはそっちの本職の公募とかにエントリーするべきであって、ミスiDを名乗っている以上は、ビジュアルの魅力+何らかの武器がある人に来てほしい。素手のまま無策で来られても困るし、かわいさだけを武器に勝ち抜くには、よっぽどじゃないと駄目ですよ。

ミスiDを名乗る以上はかわいさも必要であると説きつつ、武器や策の持ち込みを期待している発言。
それがスター性や華といった一般大衆に響く魅力だった時代から、今はツイッターや握手会のようにより個に属した投影と憧れが凝縮された関係性が求められている時代だと感じる。ミスiDはそういった個のつながりが感じられる舞台である。さらにはアイドルとファンという間だけでなくアイドル同士がつながれる関係性をも生み出している。
かわいさや武器や策で生き抜くこと、そうした人生の縮図をリアルよりもリアルに描ける才を持った人たちの集う会。

【死ななための関係性の構築】

小林こういうのをミスiDの本質でもある「多様性」って言っちゃうのは簡単だけど、気づいてないかもれないけど、あなたがどうしようもなく持っているそれは、魅力で武器なんだよと。

生きていくために、自分のために様々なことを抱える歩那氏を評しての言葉。
その多様性は本人にとって時に苦しみの元凶であり発露になるわけだが、それを魅力だと気づけることがミスiDにおける最大の利点ではないだろうか。
それは本来身近な人たち…家族や友達、同僚や自分自身によってもたらされるものであるが、それが叶わないとなるや「世間」「普通」という属性に逃げて(加害者から被害者という属性を帯びて)こちらをはじきだそうとしてくる。
そこからなんとか専門家やクスリの力、依存や自傷などでどうにかして死なないように生きる。その助けとしての役割をもミスiDはこなしている。
こうなるとファンの側も「支援者」「寄りそう者」としての自覚や意識が必要となり、また似た境遇を持ってつながっているためその境界もあいまいとなり「わたしも応募してみよう」という気持ちになる。

小林そのうち女の子たちが「私、〇〇さんが好き」みたいに、賛辞や好きを送りあって、そのまま互助会的につながりはじめたというか。これもふつうのコンテストならタブーなんですけど。

他者を助けることは自分を助けることにもなり、お互いのためになる。自分のためにやるセラピーや診療をお互いのためにやることで救いにつながる。
(最終)面接での自分のさらけだすことのやりくさも、セラピーや診療におけるやりにくさに通ずるものがある。小林氏の“あの過酷な環境でカオスに生きてる魅力をどう真空パックで伝えるか。ミスiDの今後の課題なんです”というところに「ありのままの武器の扱い方」の苦慮が見える。他者ができるのはその生き様を分かりやすく提供できる場を作るだけで、素材そのものや調理をやりきる苦しさは依然本人にかかっているからだ。
そこも出来るだけ手伝いたいというのが小林氏たちの、ミスiDの想いなのだろう。

【未完でいい】

小林なんでもそうですが、ミスiDも、成長曲線の時に出るということがすごく重要ですよね。

未完な自分だからこそ、来てもらいたいんですよね。

【なんでもありなわけではない】

大森でも大事なのは、いわゆる「ミスコン」のルールがある上でそこをぶち破ろうとしてる人が来ることかなって。なんでも自由で誰でもきてくださいとなったら、それは違うんじゃないかと思うんですよ。

われわれの生きている世界そのもののルールを考えると、社会のルール(法律や規範)を守った上で自分らしく自由を追求すべしという至極まっとうな考え方でミスiDも動いている。

【属性を超えて得られ与えられるもの】

小林グラビアの子って派手に見えるけど、実は暗かったりコミュ下手な子が多いんですよね。特に最近は。

以前グラビアアイドルと引きこもりが集って語り合う会に参加したことがあります。元気にアドバイスしてくれる子もいたけどそこで自分語りするアイドルもいて、そういう子とはファンとアイドル、という従来の属性的な関係性でなく同じ気持ちを持ったもの同士のゆるやかな連帯があって、属性を超えた関係性が出来あがっていた。
ファンとアイドルとの関係性も多様だ。

【評価が欲しい。それはミスiDの場所の外でも同じ】

小林ちょっと話が変わるんですけど、今の若い人たちって正当な評価がされていない、と思うんです。同世代ばっかりで先輩もいないし、そもそもぼっちだったりするんです。先生や親や職場の上司なんて、たいていトンチンカンなことしか言わない。信用する人からもらう評価って、僕は賞金よりも意味があるんじゃないかって思ってます。

評価が欲しい、ということは「自分のことをちゃんと見ていてくれる人がいる」ということであり「そういう人であろうとする・育てる」ということの必要性を感じる。実社会においてきちんと見守れるということが大人たちの役割のひとつだろう。

【やらずにはいられない】

吉田ボクが仕事をやっているモチベーションは、人の人生に影響を与えたいからなんですよね。社会を変えるのは困難だけど、個人を変えることはできる。そういう意味では一番、直接的に人生を変えることに関われる仕事だと思うんですよ。

豪さんもある種の「なんとかしてあげたい」タイプの人間なのか。めんどくさいんだけど、やらずにはいられないんだよね。
わたしが詩を書くのも個人のため、気持ちに影響を与えるためである。そして他者の話を聴いたりしてこの“生きづらい社会を変えたい”という思いがあるから。
自分がどうなりたいとかはない。あるのは目的のための自分。

そしてそれを続けていくとこういう境地になる。

大森飽きはしないですね。慣れはするけど。

まさにこれ。この感覚が楽しいのだ。飽きてる暇なんてない。

自分が気になった部分、自分と関わりが強そうな部分を抜き取って書いてみました。
みなさんもインタビュー全文を読んで自分なりの「ミスiD像」を描いてみてはいかがでしょうか。一人一人違ったものができあがるんじゃないでしょうか、それも見てみたいです。

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