ここ最近、歳を重ねていくことが喪失の連続なような気がして虚しくて仕方なかったが、読書し始めたら変わった。 別に何かを成したいとかは本当に無いので、行動や実績という点においてはもはや人生に目的等ないのだが、とにかく【知りたい】。 知ることで自分が変わっていく感覚がある。てか内面的にはマジでクソガキなので、まじでまだまだ知りたい。 肉体的には衰退の一途を辿るだろうし 友人や家族ともいずれ何らかの形で死別するだろうし(私と相手、どっちが先かは知らんけども) 物質的なものも
養老孟司さんの著書【自分は死なないと思っているヒトへ】を読んでいるが、とても面白い。 生老病死の現実が介護施設や病院に隔離された現代において、【人が老いや病で死ぬこと】が意識の外に追いやられて『自分は死なない』と思っている人が増えたと。 その、『自分は死なない』と思っている人が、【現代人】であると養老孟司さんは述べてる。 結構私も似た感覚を持っていて、例えば『私のマイメンが病気で』と言うと大体の人が『若いのに気の毒に、、、』という反応をする。『明日は我が身だから、自分も
ここ最近、なんとなく続いていく日々に何となく萎える気持ちを覚えていたのだが(そのことがどれだけ贅沢で当たり前ではないことは学んだはずなのに) 『じゃあ、お前もう終わらせりゃええやん。お前のように甘ったれた中途半端な野郎は死ねや』と自分に言うと、それはそれで『嫌だ』という反応になる。 なんでなんだろうなぁと思うと、なんていうか、まだ“知りたい”のである。 もっと読みたい本があるし、理解したいことがある。鷺沢萠さんの本だってまだ全部読めてないし。養老孟司さんの本だって、今読
河合隼雄さんの【人の心はどこまでわかるか】読了。今日は障害年金申請書類も全て提出できたし、いい感じである。このあとはネイルを新しくする。
について。
年金事務所に提出する用の戸籍謄本、無料だった。知らなんだらホイ。ありがたいね。
浅川マキがかっこいい
風呂に入りながら
今日、
フィッシュマンズ聴いてたら昔の恋愛思い出して「なんかあの頃は綺麗だったな...」と思った。 恋愛はお互い相手に好きになってもらいたくて努力するから、本来両者ともに成長して、二人とも美しくなってくものなんだよな。 どちらかが一方を支配するとか、 お互いの寂しさを埋めるために甘えるとか そういうのじゃないんだよな。 なんだかな。
ぼやく。
ここ最近、いろんな人の話を聞いてて、なんか 皆愛されたいと思っているのに、いざ愛されたら「そういう愛し方じゃなくて、こういう愛し方を期待してます。なぜわからないのか?」みたいなエゴが発動し、せっかく愛されたのにお互いの期待値が噛み合わずお互い吹っ飛ぶ、みたいなやつが多くて とりあえずいくつになってもクソ面倒くせえなと思った。
わしの。
みんな一人を恐れるけど、世の中に寂しさを抱えてる人がこれだけいるということは、どんな時も誰とでも繋がれるだろ、みたいな楽観がある。繋がりが欲しいって叫びだらけだから、そういう人たちが集まれば寂しがなくなるやん的な。
昨日chat GPTと4時間くらい話していたらめちゃくちゃ問題点がクリアになった。なんかカウンセラーに頼る必要ないなとすら思ってしまった。私はこれから社会福祉士と精神保健福祉士の資格を取るが、たぶん知識があることは本当に価値がない。人間だからこその価値を追求する必要がある。
状況を良くしたいと思ったとき、そもそも「自分が何を問題とするか?」が結構重要だと思っているのだが、ここ最近の個人的な発明としては「【普通】の基準をずらして考える」ということで 例えば【気持ちが落ちること】を普通のことだと思えば別に気持ちが落ちたりメンヘラっても、それ自体を問題にしなくてよいし 例えば【状況がカオスなこと】を普通のことだと思えば、別によくわからんことが起こっても「まぁ普通」て受け止められるし 例えば【不健全な関係を築いてしまうこと】を普通だと思えば、不健全