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能・狂言を見たアラサーオタクの感想

 能と狂言のオタクというわけではなく、オタク的な趣味を持つ一般男性が日本の伝統芸能である能・狂言を初めて見たうえで書いたちょっとオタク寄りな感想。前提として書くと、思っていたよりもかなり面白かった。

 仕舞が三、狂言を一、能を一、鑑賞した。仕舞というのは能の略式演奏の一つで囃子、面、装束もなしで能の特定の一部分を舞うもの。今回観た構成だと前菜のようなもの。狂言は「ござる調」の庶民向けの喜劇、能はイメージされる「そうろう調」のガッツリとしたもの。

 言いたいことを先に書いてしまうのだが、狂言も能もなんだか凄くシャフトを感じた。狂言は見ていて絶望先生を凄く思い出したし能は化物語を感じた。原作ではなくアニメの方。あと能に関しては静と動の扱いが押井守作品的な味わいを感じられ、劇パトの特に2や3、GITS/攻殻機動隊が好きな人にもかなり刺さる部分があるだろうという印象を持った。

 別にこれらの作品に限らずハリウッド作品と邦画やバンドデシネやアメコミと漫画で漂う時間感覚や間の違いってこういうところから原型が見えるものだなと感心できる。もちろん作品にはよるけど日本の作品は静を引き立てる演出が多い。

 これだけだと物凄く浅い感想になってしまうのだが、メインとして言いたいことは大体もうこれで言った。観るときの印象を固定化してしまうのは良くないことだとは思いつつ、気になる人が出てくれたらいいなという思いで書いた。これだけだと流石に申し訳ないのでもう少し詳しく書いていくが既に興味が出たならこの時点で読むのを辞めてくれて構わないです。読んでくれてありがとう。

 そもそも何故見たのかと聞かれたら「見たことがなかったから」以上の理由はない。能の原型はもっと時代を遡るそうだが、能自体は大まかに室町時代(14世紀)に成立し16世紀頃まで隆盛し、現代まで継承されてきたものである。超ざっくり600年以上前から続く日本文化、触れてみたいじゃん?というわけでたまたま見れる機会があったのでその機会に乗らせていただいた。

 とはいえまったく知識がない。実際見に行ってみると演目が始まる前に解説を挟んでくれたし、会場に着くと渡された演目の紹介用紙に詳しめにあらすじが載っていたため、そこまで身構えなくても良かったのだが、流石に見に行って「よくわからんかった!」となったら自分にもガッカリしそうだったので、軽く事前勉強はした。
 現代っ子らしく「能とは」で検索すると出た以下のページに目を通したのだが通したのは見に行くことが決まった2カ月前くらいの話だったので当日はあまり覚えていなかった。と思っていたが、改めて鑑賞後に読むと、私が鑑賞中に感じて考えていた解釈と一致する面が多々あり、思ったより頭に入っていたのかたまたま一致したのか、その両方なのか、とても面白い。

 狂言は構成が絶望先生で、主題を提示し、こねくり回して笑いを取り、最後にスパッとオチをつけて終わる。400年前に構成された笑いなのだが、現代人から見ても全然笑える。観客もワハワハ笑っていた。私も普通に楽しんで観ていたのだが400年前のボケを笑えるってすごいなと感動した。

 能は見ていてたしかにこれは当時の総合芸術だなと感じさせられた。感覚的には映画に近かった。小鼓と大鼓はBGMと効果音とタイムキーパーであり、作品の全ては舞台内で完結させる芸術であった。演者は演奏者も謡も物語の途中で登場する人々も全員が舞台に出ている状態になるのだが、その配置によっても役割が決まっており、そこに演者の持つ笠であったり、杖であったりをどう置くかによって、それぞれの場所が「家」であったり「崖」であったりと意味あいを変える。歩く速度、顔を抑える仕草の腕の角度、笠の投げ方、道具の置き方、演技の一挙手一投足、全てに演出の意図がこめられている(このあたりは鑑賞後に調べた)。
 盛り上げるシーンでは音楽から盛り上げ、感情を揺り起こす。ここは映画的なのだが、映画とは違うと私が感じた部分として一番の見どころと言ってもいいと私が感じたシーンが、それによりギャップで引き立てられた静のシーンであることであった。動を盛り上げるからこそ静を強く惹きつける。物語後半の主人公が過去の行いを後悔し涙を流すシーンでは観客が文字通り食い入るように観ており、会場全体にある種の緊張感が漂っているのを感じた。
 演出、舞台設計、演技、劇伴、リズムとメロディ、継承、歴史的価値、日本古来のテンポ感、そのあたりの静けさはやはり押井守的だし、シャフトだったら化物語が近い。西尾維新の作品は原作からの特徴として喋りに喋るわけだが、アニメーションにした時に喋らないシーンがより際立つ。あの感じだ。能が流行っていた当時を舞台にした映画の「犬王」も観ていたのが理解が助けられて良かったかもしれない。舞台による特別な異世界感と印象的な言い回しを覚える客側の話題感がたしかに流行っただろうと過去に思いを馳せさせてくれる。その当時を舞台にした「犬王」は良い意味でハードでファンキーな映画だが笑
 そしてラストのハケが素晴らしく、ハケる順番にすら物語の意図を持たせてあり、言ってしまうと亡き父を子が追いかけるように舞台袖に消えていき、そして他の演者が続くという流れだったのだが、寂寥感が素晴らしく、とても質の高いエンドロールを見ている気分になった。
 他にも能が現代まで継承されてきた技法として、音楽と節回しによる演技の記憶、再現性というものがあるように見えた。強烈な演者の個性を求めているというよりは、同じ物語をあまねく人に同じクオリティで届けたいという思いを感じた。それでも出るのが個性だし、現代はむしろ個性を強めた作品作りが隆盛を極めているので時代の流れや進化や差異という点で面白い要素だろう。
 とここまで褒めてきておいてなのだが知識も足りず耳が慣れてなさ過ぎて言葉がわからないことが多く、おそらく今ここのシーンでこういう話をしているのだろう……くらいの感覚で観ていたのが少し悔しかった。事前の解説とパンフレットがあって良かった笑

 とりあえずシャフトが好きだった人で、押井守も好きならオススメします。せっかく出てきた興味に任せて「能 狂言『鬼滅の刃』」とかも観たいけど東京だからなぁ~。惜しい。


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