アウトプット:せんせいのお人形
「せんせいのお人形」という漫画を読み返している。
生まれの問題で幼少期からどこにも居場所がなく、腫物扱いで親戚中をたらい回しにされていた少女「スミカ」が、親類の縁から「先生」の家に住むようになり、ヒトとしての習慣を学び、学校に通って友達と触れ合い他人を知り、学習する意味に気づき、世界について考え、自己を獲得していく。再生の物語である。
人が知を獲得している姿というのは興奮してしまう。
スミカほど無知ではなかったとしても「気づき」や「理解」というものは一瞬で世界の解像度を上げてくれる。
これまで自分がどうやってこの世界を見ていたのか思い出せなくなるほどに、自分が見ている景色を変えることがある。
知識にはそういう力がある。
そして本はその知識の力を信じている人が己の人生の足跡を形にしたものの一つだ。
そういうことを思い出させてくれた。
昔は本を読むのが好きだった。
13~20歳ごろは四六時中読書をしていて起きてから寝るまで小説を読み続けているような日もあった。
新書や哲学書というより小説を好んでいた。ユングやフロイトなんかも読んでいたし、人に寄っては小説はただの物語だから身になる本じゃないと読む気にならないという人の話も聞いたが、私にとっては小説に登場する世界や人物から読み取れるもの、物語の中で登場する技術や言葉の意味を現実でも調べてみれば、自分が得るものは無限大にあり、あまり変わりがないように感じていたし、さらについでに楽しい物語までついてくるなんて最高だと思って小説ばかり読んでいた。
新しい物語が、新しい考えが、新しい言葉が、自分を深めてくれているようで、自分を高めてくれているようで、とても気持ちが満たされて、楽しかった。
大学で課題に追われる日々のあと、仕事をするようになってから読書量はグンッと減った。
習慣が消えてしまったのもあると思う。
1年に数冊読んでいればいい方だ。
ただただ毎日の疲労と生きにくさから怠惰になってしまった。
本当に好きなことは勉強や努力と思わずに続けられるとよく言うが、今思えば若いころの読書がそれだったのだ。
スミカが学習する過程を読んでいて、それを思い出して、スミカが羨ましくて涙がにじんだ。
環境としては彼女よりはるかに恵まれた場所にいたので、羨むのはお門違いだとは思うのだが、私が失ってしまった喜びを見出しているその様はとても感動的である。
いつから本を読むことが「勉強」になってしまったんだろう。
本を読むことに「意味」なんて考えるようになってしまったんだろう。
わからない。いつの間にかそうなっていた。
今しばらく時間があるので、思い出していけたらいいなと考えている。
さらに今はアウトプットをセットにしたい。
忘れてしまっていたのは自分の中に定着していないからだ。
昔からなにかしらあちこちに文章を書いていたけど、書き続けてはこなかった。
近年はTwitterのおかげでというかせいでというか、短文を書き散らしてしまうだけで満足してしまう部分もあった。
どうせ誰にも読まれない私のnoteだが書く練習としてはちょうどいい。
ここのエディターは結構好きだ。
やはり文章を書くこと自体は結構好きだ。
今はまだ下手くそだし、あまり読み手の意識はできていないが。
内容もついついとっちらかってしまう。
テーマが不安定なのだ。
それでも繰り返してアウトプットしていっぱい書いて、それで知識を得る楽しみを忘れないように自分に定着させたい。
もう忘れたくない。
自分の人生の楽しみ方を再度考えるのだ。
他人に選ばされたものではなく、他人に使われるものではなく、自分自身で選んで、生きていくために。
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