アリとキリギリスを子供に読ます愚かな人達
あなたは、アリとキリギリスという話を知っているだろうか?
幼稚園などで読んだことがあるのではないだろうか?私も1回幼稚園の読み聞かせで聞いたことがある。初めて聞いたその時に、私はアリとキリギリスが嫌いになった。
嫌いになった理由は大きく別けて2つだ。
①読み終わったあとに、アリのように真面目に生きようね。という人達
②アリとキリギリスが馬鹿でも分かるぐらい意味のない話をしていたから
この2つだ。
前提として、当時、アリとキリギリスを初めて知った私は、なぜアリが真面目に働いていると言われているのかが、全く分からなかった。
それでも、読み終わった後には必ず「皆もアリさんのようになろうね」と、皆が同じことを言う。
この状況が本当に嫌いだった。
当時の私はなぜアリのように生きないのいかないといけないのかが分からなかった。
だって私は「アリじゃない」から
私は人間であり、アリではない。こんなひねくれとも取れる感情で私は、アリとキリギリスを読む大人を嫌いになった。
ここからは、②の理由になってしまうのだが、当時の揚げ足取りのように私はずっと考えていた事がある。
アリの中でも、不真面目なアリがいる。女王もいる。
むしろ、アリとキリギリスを比べるのではなく、アリとアリを比べないと意味がないのではないのか?
そんな事をずっと考えていた。
だが、私の人生の分岐点として、アリとキリギリスを聞いて納得するかしないかは大きく関わっていたと思う。
今考えれば、当たり前の事をずっと考えていたと思う。アリとキリギリスは違う生き物であり、比べる必要はないのである。どうしても比べないといけないのなら、やはりアリとアリを比べた方が良い。
働きアリの中にも、真面目に働くアリとサボるアリがいる。「サボるアリにはならないようにー」と言うなら正しいのだろう。
だが、働きアリは女王アリの為に一生を終える運命にあるアリ。社長と従業員のような感じだ
当時「働きアリになろうね!」と、言った先生はきっとバカだったのだろう。それとも、洗脳教育だったのか?
なぜアリのように自分の人生をかけて社長の為にずっと生きていかないといけないのか。
ここに、疑問を持たない限り搾取され続ける人間になってしまう。
今の子供達がどこまでアリとキリギリスを知っているのか知らないが、アリとキリギリスは価値のない話である。ただのお話である。
アリもキリギリスも立派に生きている。人生で成功する人は、キリギリスは多い。
真面目にただ働くアリは決して、美化される存在ではない。
今なら分かることがある。
きっとこのアリとキリギリスは子供に読み聞かせる本ではないのだと思う。
保育園や幼稚園の先生は、低賃金で激務だと聞いた。
そんな先生達の為に、ある本なんだろう。
「真面目に働くことが偉い」そう思わせてくれる本だったのだろう
ここでやっと子供の時には分からなかった謎が1つ解けた。
なぜ読み終えた人が揃って「皆も、アリのように真面目に生きようね」というのか?
誰か1人ぐらいはアリよりキリギリス派の先生が居ても良かったハズ、あの気持ち悪い空気の答えがやっと理解できた。
先生達は、子供達に向けて言っていたのではなかったのだ。【毎日仕事で疲れて帰る】アリのように生きる先生自身に言っていた言葉だったのだ…
毎日真面目に働くことが正しいと思わせてくれるアリとキリギリスは子供に読ませるものではなくもう一度大人が読むべき話だったのだ。
アリとキリギリスをもう一度読んでどう感じるかどう想うか。それが本当の今の気持ちなのかも知れない。