【批判覚悟】貧乏な家庭の子供が貧乏になる簡単な理由
世間では、世帯年収が低い家庭から育った子供の年収は、そうでない家庭で育った子供より年収が低くなる傾向があると言われている。
なぜ親の年収が子供の年収に影響するのか?その事をずっと考えていた。
教育の差で、変わるとするなら中卒の金持ちはいなくなる事になるが現実はそういうわけでもない。
実際に私も中卒で貧乏な家庭で育ったが、年収で言ったら、平均年収の5倍以上にはなる。
金持ちとは言わないが、貧乏人でもない程度は稼いでいる。
ならば、学歴は年収を左右する決定的な原因にはならないということだ。
私が貧乏人の子供が貧乏になる大きな理由の1つだと思う事は、親の幸せの押し売りが原因になっている気がする。
親の幸せの押し売りとは何か分からないと思うので、解説したいと思う。
これは最近、某テレビ番組で大家族特集を見たときのエピソードだ。
テレビに出ていた家族は8人家族で家は賃貸の1LDKとかだったと思う。驚くことは寝るときに皆で1つの部屋でぎゅうぎゅうで寝ていた。
私の率直な意見としては【お金が無くて大変そうだな】だった。
だが、テレビに映っていた父親は私とは真逆の事を笑顔で言い出した【貧乏でも幸せなんです】と…
その時、私は全身に寒気を覚えた。リアルで鳥肌がたったのだ。
貧乏でも幸せなんです。と笑顔で語る父親を見て私はその父親が犬を飼っているのかと思った。
もし本当にその父親が犬7匹に囲まれて生きてるホームレスだったとしたら鳥肌もなく、すんなり幸せというワードを受け入れられていただろう。
だが、実際に彼が育てているのは犬ではなく、人間なのだ。これが大きな違いだと思う。
私の考えとしては、犬はお金より主人を100%優先すると思う。1万円札に尻尾を振る犬に出会ったことがないからだ。きっと犬は、諭吉に囲まれるより、飼い主の側にいる方が幸せなのだろうと想像してしまう。
だが、人間にとっての幸せとは何なんだろうか?
幸せという定義は、100%同じなのだろうか?
いや、違う。幸せは人それぞれあり人生は多種多彩な物だと思っている。
なのに、この親は笑顔で「貧乏でも幸せなんです」と、言うのだ。
彼の言葉が受け入れられない理由を、幸せと言う曖昧な定義で【他者の人生を決めている人】が信じられないのだと理解した。
ここで言う他者とは、子供達を指す。
こういう風に、勝手に人の人生を一緒に幸せだと発言する行為を私は幸せの押し売りと呼ぶ
こんな事をいうと批判されてしまいそうだが、親が幸せでも子供は幸せじゃないと想っていることなんて沢山ある。
実際に、私は幼少期に貧乏な家庭で育ったことを恨むことはなかったが、常に裕福な家庭に産まれた時の事を想像していた。
勿論、母に決して言うことはない。言葉にすると母が悲しむことを理解できるからだ。
私の母はシングルとして、私と姉を1人で育てた。
私が私の家が貧乏だと理解したのは、3歳か4歳ぐらいだろうか?
正確には覚えてないが小学生にはなっていない頃だ
ある日、母とスーパーに一緒に買い物に行った時に母に「好きなお菓子1つ持ってきて良いよ」と言われて、断ったことを覚えている。
私としては、母へ無理をさせたくないと言う純粋な気持ちだったのだが、母は泣いてしまった。
その事は今でも凄く覚えている。そして、その日から私はお金についての話題に触れる事をしなくなった。
この事をテレビを見ていたときに、フラッシュバックのように思い出したのだ。
私は母から幸せの押し売りを一切受けることはなかった。
貧乏でも幸せなんて母は言ったことがない。
勿論、1人寝るときには幸せを感じていたのかも知れないが、それを言葉にして私達兄弟に伝えることはなかった。
母が私に見せたのは、お金が無い事への1度だけの涙だ。
今、私は人を育てる親として母を尊敬している。
母は1度も、貧乏であることを正当化したことが無いからだ。貧乏であることを、申し訳のない事だとずっと本気で思っていたと思う。
この【親からの幸せの押し売り】を受けるか受けないかが、将来ビジネスへの欲求に繋がるのだと私は思う
私は貧乏でも幸せだと親が子供に言う行為は、ただの自分の気持ちの押し付けであり、現状打破しようとしない怠慢であり、洗脳だと思う。
ハッキリ言うが、子供は貧乏でも幸せだと思うことはない。むしろ、幸せというものの基準を理解していない。
単純に裕福な友達を見て「もしあそこの家に産まれてたら」と想像をするだけだ。
子供には、幸せを決める基準はないが、貧乏か裕福かはすぐ分かる。
そして、貧乏なら貧乏なりに気を使い。裕福なら裕福なりに気を使う。それが子供だ。
1度思い出してほしいのだが、私達が子供の時に私達は何も考えないバカだっただろうか?
決してそうではなかったと思う。
親に気も使うし、沢山の物事について考えていた。ただ大人とは、世界の見方が違うというだけだったのだと私は思う。
話を戻すが「貧乏でも幸せ」だという彼に寒気が覚えたのは、この幸せの押し売りを平気でするからだ。
なぜ子供に部屋を与えようとしないのか?
なぜ狭いところで一緒に寝るのか?
なぜ大家族なのに部屋数の少ない所で住んでいるのか?
それは、彼自身に経済力が無いことが原因だ。
その事を正当化するように、
皆で寝る方がいい。
部屋は無くても構わない。
家は狭くても不自由がない。
最終的には、お金がなくても幸せ。
だと、語る。
確かに、彼自身は幸せなのかも知れない。
仕事もして、家に帰ったら家族がいる訳だ。幸せの絶頂だとも言える。
ただ子供は違う。仕事から帰ってくるお父さんがいるだけで、皆が幸せだと感じるわけではない。
やりたいことを口に出せなかったかも知れないし、本当は私立に行きたかったかもしれない。ゲームをいっぱい買ってほしかったかも知れない。
親の幸せ=子供の幸せにはならない。
そう思ってしまうのは、親のエゴでしかない。
親は、子供を産むことは選べても、子供は、親を選ぶ事は出来ないのだ。
勘違いしないで欲しいのが、貧乏なことが悪いわけではない。子供に貧乏なことを正当化しようとする行為が悪なのだ。
親なら子供のために、経済力が無いことを泣いて謝るのが当然だ。(実際に謝らなくてもいいとは思う)
子供のために、お金を稼ぐ努力や変化をし続けないといけない。
決して、幸せなんて曖昧な言葉で正当化してはいけない。
自分主体で決めてしまうのは、それは犬を飼うことと同義に値する。
親が子供に本当にするべき事は、お金が無くても楽しく生活できる環境を与えることと、お金があることで得られる生活を正しく教える事この2つだ。
決して、お金が無くても幸せになれる。なんて洗脳教育をしてはいけない。
人生を選ぶのは、親ではなく子供だ。
自分自身にお金が無いからこそ、好きな事をさせてあげれない現実。
自分自身にお金が無いからこそ、服は兄弟のお下がりが多い現実。
自分自身にお金が無いからこそ、習い事を満足にさせてあげれない現実。
全てから目を背けてはいけない。
親身に向き合っていかないといけない。
決して、幸せの押し売りをしてはいけない。
幸せの押し売りを受けて育つ子供は、自分に言い聞かせて成長する。親の為にお金が無くても幸せだと
そして、中学生や高校生になってしまうと、言い聞かせていた物が、世界の基準になってしまう。
幸せの定義を決めてしまうわけだ。
そうなってしまうと、今度は自分自身がお金がない事への抵抗を無くすために家族を思い出すようになる。
お金が無くても幸せだったと美化された記憶を支えに、辛い現実から耐えるようになる。
感情が入りすぎて支離滅裂な文になってきているので、そろそろ終わろうと思う。
結論をまとめていくと
親が貧乏で子供の年収も下がる原因は、親が子供に年収が低いことを正当化するからだ。
貧乏な家族から貧乏な子供が育つと言うわけではなく。
貧乏でも幸せならいいんだ!と、教育された子供が貧乏になるだけだと私は思う。
今回の大家族特集で出てきた父親は、
犬に当たり前のように1番安いドックフードを与えて、一緒にいることが幸せだと思う、ただのエゴイストだった。
親なら自分の恥は捨てて、世界には沢山のドックフードがあり、お前の幸せはその何処かにあると教えなければいけない。俺がお前に与えられるのは、この限られた安いドックフードの中だけだ。と理解させてやるべきだ。
そして、本気で貧乏なことを悔しがるべきだ。
それが人を育てる最低限の環境だと思う。
ただし、幸いなことに。子供は親が1から10言葉にしなくても察してくれる。
あなたが、子供のために現実と必死に向き合って生きているのか?
それとも、幸せなんだと言い聞かせて、目を背けているのか?
子供には理解できる力がある。
お金がないなら今からでも悔やみ、行動するべき。
副業でもなんでも初めてみるべきだ。
子供のためなら死ねると思えるのなら、殆どのビジネスで成功できる。
必死に1年勉強すれば、成果は必ず得られるものだ
ただ、その努力をしたくない親が一定数いるのも事実。
だからこそ、親は目を背けている自分を理解されることを恐れて子供にいうのだと思う。「貧乏でも幸せなんだ」と…