理想の喪失について

2024年も相変わらず喪失から始まった。また高校時代の青春の一部が朽ち更にぽっかりと穴が空いた。

私を救ったあなたと、あなたの曲と、あなたの思考は簡単に崩れ落ちた。どうやら私が信じた優しさと面白さは形を変えてしまうらしい。

これも、私が不安定性の中にある一貫した強さに惹かれているからだろう。私そのものがそうだからだ。脆くて不安定で、でも自分の感性だけは変わらずに一本柱でどっしりと存在している。不安定性にある一貫性はコントラストで映えて見える。しかしやはり、表面は不安定だから、時に一貫した柱を覆して見せてしまうらしい。

でも、あなたの創作者として、人としての生き様は美しかった。私を魅了し私に信念を与えた。よってあなたに与えられた信念で、私はあなたを断罪した。独り善がりのオナニーだって、あなたの愛は愛ではないと。でもそれは確かにあなたから貰った信念だった。

どうして?逆張りが原因で論理的且つ客観的に考えることを捨てるような人ではなかった。感情も当たり前に大事だ。でも、感情によって頭を駆動すること、それで人を幸せにすること、そうやって生きてきたんじゃないの?私が描いたあなたとは似ても似つかない言葉の羅列たちを見ていられない。それでも話をしようそのために立っているって、歌ったじゃない。明日から出会う全ての人を幸せにするって歌ったじゃない。

人に理想を抱くリスクをより体感する。面白いと思った他者が面白くなくなることは、耐え難い苦痛だ。去年の経験はそのことを、これでもかというほどに心に刻みつけられた。

私を面白いと思わなくなったことは辛かっただろうと心底同情すると同時に、私を面白いと思わない相手に対して面白いとは思えなかった。

でも、今は消えても過去は消えない。今の私が毎秒死んでも、過去の私は確かに存在している、昨日の事のように思い出せる。すぐ、側にいる。

あなたの歌を信じて私も歌った。あの時の私の気持ちは、絶対に無かったことにならない。こうして信念の結果は「努力」として形を残す。

なら、私は喪失を憂うことはない。私の努力や今ある信念や思考、こうして蓄積したものは私として形に残っている。今を作り上げた過去の私を無かったことにはさせない。順序や因果を無視しない。受容して、不安定でも曲げずにやった事がずっと私だって信じる。

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