座りつづけても健康に?これからのオフィスに必要な「姿勢の多様性」とは/コクヨデザイナー・加納隆芳さんインタビュー
「座りすぎって体によくないんでしょ?」という疑問を、あえてオフィスチェアのデザイナーに聞いてみよう、という本インタビュー。私たちの(ちょっと失礼な)質問に答えてくれたのは、コクヨ株式会社のデザイナー・加納隆芳さんです。
前編では、オフィスチェアの進化の歴史や、実は“座ること=悪”とは限らないことを教えてもらいました。
続く後編では、座面が360°動くオフィスチェア『ing』の開発秘話や、オフィスチェアの未来などについてお話を聞いていきます。
体の不調から気づきを得た、360°に揺れるオフィスチェア『ing』
── 座りすぎ、もとい同じ姿勢をとり続けることは体によくないということですが、加納さんもお仕事柄、座りっぱなしになることが多いんじゃないですか?
加納 図面を描くときなんかは、どうしてもそうなりますね。
── 過去、体に不調が現れたことは?
加納 あります。4年ほど前に一度経験をしています。『Duora』というチェアを開発している時、図面データを仕上げるためにデスクワークが立て込んだ時期が短期的にあったのですが、ひどい肩こりと、中殿筋(足の付け根)の痛みに悩まされるようになって、歩くと痛むレベルにまで悪化してしまったんです。もちろんちゃんとしたオフィスチェアに座っていたんですけどね。
── それはまた、皮肉ですね‥‥。
加納 集中しすぎて普通ではないほどの長時間座りっぱなしの状態になっていたのですが、オフィスチェアを開発している時に、座りすぎで体を壊すという。その時は悔しい思いをしましたね。
── その不調はどのように改善されたんですか?
加納 意識的に休憩をとるようにしたり、帰宅してからバランスボールで骨盤まわりをほぐすストレッチを行っていました。そうするうちに症状はどんどんと緩和されていきました。その頃から、「座っている時にも一方向の姿勢変化だけではなく、いろいろな方向に骨盤を動かせないとダメなのかな」と考えるようになりました。いくら性能の高いチェアに座っていても横方向に体を動かすことはありませんからね。
── その気づきが、360°に座面が揺れるオフィスチェア『ing』につながるんですね! 本当に斬新なアイデアですよね。
加納 家具をつくっている人や、イスについて考えたことがある方なら一度は思いつくことなんじゃないかなぁと思います。実は当社でも、座面が横にも動くオフィスチェアは過去に何度か検証されてきたんですよ。
── えっ、そうなんですか!でも、『ing』で実現するまで成功には至らなかったんですよね?
加納 イスをいろんな方向に動かしだすと考えるべきことが複合的になり、なかなか納得のいくフィーリングになるまでもっていくことが難しかったんです。それに、前例もないので「360°動く」意味を解釈していくことにも時間がかかりました。『ing』は、何度もプロトタイピングを繰り返し、失敗をとおして「360°動く」ことへの理解を深めることでリリースにまで至りました。
失敗が教えてくれた“気持ちのいい揺れ方”
── 失敗と言いますと‥‥??
加納 実は開発をスタートしたとき、オフィスチェアだけではなくハイスツールなど、別のタイプのチェアも同時に起案してプロトタイプを行っていました。そのハイスツールも360°動くのですが想定よりもすごい重量のものをつくってしまい(笑)。言ってしまえば、ただの重たい「おきあがりこぼし」ですね‥。
── なんと!
加納 でも、このおきあがりこぼしが『ing』をつくるうえでの重要なヒントをくれたんですよ。
失敗作として社内に放っておいたら、意外にもみんなが座ってくれて。その様子を観察したり、意見を聞いたりするなかで、中心部への復元力が強く、大きな円弧で揺れると座っていて心地よいことに気がついたんです。
── ‥‥すみません、順番に教えてください(汗)。「復元力」ですか?
加納 「復元力」というのは、物体に力が加わったとき、それを元の状態に戻そうとする力のこと。先ほどお話ししたとおり予想より重いものができあがったので、倒れても勢いよく中心部まで起き上がってきたんです。自由にゆらゆらできる中にも程よい安定感が必要だと気づかされました。
── 軽やかにじゃなく、強く「復元力」が働いたと。次に「円弧」というのは?
加納 「大きな円弧で揺れる」というのは、ハイスツールのような、通常のオフィスチェアより座面が高いものの場合、座面と床の距離が離れるので動く軌跡の円弧が大きくなるんです。これによって、座面の真下に回転の中心がある場合よりも、ゆったりとした円弧の動きをつくりだすことになります。
── なるほど、それがおきあがりこぼしの失敗から得た「発見」なんですね!でも、その要素をオフィスチェアの形に落とし込むのは難しそうですが。
加納 オフィスチェアの座面高さでゆったりとした円弧を再現しようとすると、回転の中心が地下に埋まることになりますからね。確かに技術的な課題をクリアするのは難しかったですが、そこはチームのエンジニアメンバーが何度もトライ&エラーを重ねて頑張ってくれました。
── 完成まではどれくらい時間がかかったんですか?
加納 起案したころから考えると、3年はかかりましたね。
── ちなみに、前編で話されていた“いいオフィスチェア”って、『ing』のことですか?
加納 もちろん『ing』でなくても、多様な姿勢を適切にとれるものは“いいオフィスチェア”だと思います。『ing』の場合はリクライニングだけでなく、前傾姿勢や横の動きなど全方向に動きがとれるので、より自然な姿勢変化を生み出すことができると考えています。
姿勢の問題を解決するにはオフィス全体のあり方を工夫すべき
── 冒頭の“同じ姿勢を取り続けると体によくない問題”に話を戻すと、『ing』を選べば万事解決ということですかね?
加納 そのとおり。だからみなさん『ing』を買ってください!‥‥と言いたいところですが、さすがにそれだけで万事解決とはいかないですね。
── え、そうなんですか?
加納 大切なことは体への負担軽減をオフィスチェアだけで考えるべきではない、ということなんです。
── 具体的にはどういうことでしょうか?
加納 当社のオフィスでは、アクティビティ・ベースド・ワーキング(ABW)を導入しています。これは、仕事の内容や気分などに合わせて、働く環境を選択するという考え方。例えば、図面を描くなど集中して作業したいときは自席で、アイデアを練りたいときは場所を変えてソファに座って‥‥といった感じですね。
── そうすると、一日のなかでいろんなイスに座ることになる。
加納 そうなんです。だから、自然と姿勢も変わります。姿勢の問題はオフィスチェアだけで解決しようとするのではなく、どんなイスにしろ長時間ずっと座位ということ自体に偏りがありますから、意識的に立ち上がったり、歩いたりする時間を挟むだけでもいいと思います。長時間姿勢を固定化しないことですね。
寝転んで働くようになる?!オフィスチェアのこれから
── 座面が360°に揺れる『ing』も衝撃的でしたが、これからさらにオフィスチェアが進化して、姿勢も多様化していくんでしょうか?
加納 周辺のテクノロジーの進化によって姿勢は変わっていくのではないかと思います。今はキーボードを叩いてPCに情報を打ち込んでいますが、そこが変化すると、座る必要すらなくなるかもしれません。そもそも人間にとって一番楽な姿勢は「座る」ではなく「寝る」ですしね(前編参照)。
── オフィスでみんな寝転ぶようになるかもですね(笑)。そう考えると、もしかすると将来オフィスチェアはなくなるんじゃ‥‥。
加納 実際、オフィスチェアがなくなることはないと思いますが、その形は大きく変わるでしょうね。最近ではスマホやタブレットでも仕事ができるので、新しいスタイルの家具も誕生しています。立つ・座る・寝るという3つの姿勢、そのグラデーションのフォロー範囲が広くなるのではないかと思います。
── そうなれば、オフィスに必要な「チェア」というのは今よりもっと多種多様になっていくということですね。
加納 きっとそうなっていくでしょうね。働き方改革など環境にも変化が生まれてきていて、サテライトオフィスやカフェなど、オフィス以外の場所で働く人や、自席を持たない方もこれから増えていくのではないかと思います。日々起こる変化を観察しながら、これからも既成概念にとらわれずに製品開発を行っていきたいと考えています。
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オフィスチェア、オフィス環境の進化によって変化し続ける「座る」のあり方。まずは『ing』でその幅をぐっと広げた加納さんがつくる新しいオフィスチェアやオフィス家具に、ますます期待が高まります!
プロフィール 加納 隆芳(Takayoshi Kano)
コクヨ株式会社 Product Design Group
1984年生まれ。大学で製品デザインを学んだ後、2007年に入社。チェアなどのオフィス家具を中心とした製品開発、プロダクトデザインを行う。ドイツ iF Design Award、Red Dot Design Award、Good Design Awardなど受賞
text by 中島香菜 / photo by 森田剛史