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短編小説 死神クラブ

 退屈な毎日には色が必要だ。イスラム教の教えを演劇のように声高に教える先生はそう言って、みんなの記憶に少しでも知識を留めようとしているようだ。しかし返って笑えない。本当、退屈で窮屈だ。待ちに待ったチャイムが先生の熱弁を遮り、欠伸をしながら帰路につく。

 「レン! お金ないって言ってたよね? いいこと教えてあげよっか?」

 突然俺に飛びついてきたのは、今どき、おさげ頭という冴えない女子のミキだった。近所に住んでいることもあり情報入手が早い。先週、授業参観を親に報告しなかったため、お小遣いが半分に減らされたことをもう知っているようだ。

 「何だよ」

 ふてくされているように威圧したが、帰ってミキは目を輝かせた。

 「ちょっと来て!」

 有無を言わさず、腕を引っ張っていかれた。冗談じゃない、このまま裏庭に連れ込まれて告白でもされたら恥ずかしくって学校に行けなくなる! ミキは誰彼構わず告白するらしいからな。

 「腕放せよ」

 俺が睨むとミキは悪気も何もなかったように目が垂れるような笑みを浮かべて謝った。

 「ここだけの話だから。人に聞かれたらまずいと思って」

 訝しく思っていると、ミキは周りに誰もいないのか何度も見渡していた。

 「クラブに行ってみない?」

 言葉を失った。学生の分際で大それたものだ。

 「意味分かってんのか?」

 念のために確認すると、ミキは笑顔で頷く。

 「でもちょっと違うの。会員制で、どっちかというとバイトみたいなもんかな。とにかく一回出席するだけでお金がもらえるの」

 お金の話は悪くなかった。俺達の学校はアルバイト禁止だ。かといって、お小遣いだけで何とかできるものでもない。校則は破ったもの勝ちだ。けれど、もう少し具体的な説明はないのか?

 「行くだけでもらえるのか? いくらなんでも上手すぎる話だ」

 「本当だよ。入会費無料だし。月に何回か、友達を紹介すればいいの」

 何だよ、違法じゃねぇか。ミキを適当にあしらったが、今度はまたとんでもないことを言い出した。

 「じゃあ、入会はしなくていいから。私がレン君を紹介させてよ」
 「そのまま入会させられるに決まってるだろ!」
 「そんなこと言わないでさ。じゃあ結婚してくれる?」

 何でそうなる! 告白魔とは知っていたが、まさか結婚を軽く口にするとは。相当思考がませているのか、それとも幼いのか。
 しぶしぶ俺は連れて行かれた。見るだけだ。もし勧誘されたら腕っぷしの強さでも見せつけて立ち去ろう。

 建物は薄暗いビルの地下だった。エレベーターは地上止まりなので、蛍光灯の消えかかった螺旋階段を降りて、目的のオフィスに入った。何だか拍子抜けするほど殺風景だ。扉は自動でもなく、中の灯りは弱々しい。ノックもせずに入ると、入室を知らせるのはドアについていた風鈴。受付には誰もいなくて、照明は黄ばんでいる。

 ミキがか細い声で誰かいないか呼びかけた。

 「これはこれは、井上さん」

 偉く上品な声がして、奥の黒いカーテンの向こうから随分派手な男がやってきた。髪の色は赤く染められ、耳にはピアス、それに似合わず服装はお坊さんに似て足元まで隠れた緑の衣だ。

 「あの、友達を紹介しに来ました」

 ミキがあんまり素直に笑顔で答えるので俺は面食らってしまった。昔、不良にいじめられて泣いていたくらいのミキが、穏やかな話し方とはいえ懐いているとは。

 「ありがとうございます。ミキさんはこちらでお待ちを。そこのあなた、お名前を聞いてもよろしいですか?」

 俺はたじろぎながら答えた。

 「国本レンです」

 男は軽く頷いてきびすを返した。

 「こちらへ」

 ミキと離れ離れになりはじめて不安に襲われた。丁寧な口調でなければ見るからに不良だ。どこかいびつな釣りあいのスタイルだが、このカーテンの奥につれていかれると、豹変するかもしれない。男が複数で襲ってこられたら、たまったものではない。こんなことなら、何がなんでもミキを振り切ってこればよかった。

 奥は、意外と近代的だった。そのギャップに俺は立ち往生してしまった。背後で厳重な鋼鉄の扉が自動で閉まった。これほどの設備があるのに、入り口の手入れは怠っているのだろうか? 蛍光灯は昼間よりも明るく照りつける。机と椅子が用意してあったが、どう見ても、歯医者で使うような背もたれが異様に長いベッド状の椅子だ。

 「こちらに」

 男が指示したのを俺は断った。立っておかないといつでも逃げられない。
 「自己紹介が遅れました。私、阿(あ)羅(ら)亜(あ)と申します」
 最近の若いカップルは奇妙な名前を考え出すものだ。なんて一瞬考えたが、偽名かもしれないと思いなおした。

 「あんた何者だ?」

 つい口をついて出てしまった。これでは敵意が丸出しではないか。ところが、阿羅亜は、微笑ましく唇を振るわせた。

 「直感が鋭いお方のようだ。私はここを経営している者です。と言っても信じてくれないような目をしてらっしゃいますね」

 俺としたことが、言葉が続かない。男の威容に白い目が俺を見据えている。白内障でもあそこまで酷くはならない。曇っているのではなく、輝かしいばかりに白い瞳が俺の目を貫き、脳裏へと刻み込む。痛くて見ていられなくなった。一体何なんだ!

 「な、何をした?」

 阿羅亜はときどき、耳のピアスを撫で回しては天使のごとく微笑んでいる。

 「いえ、何も。彼の存在のせいでしょう。安心を、彼は何もしません」

 一体誰の話をしているのか分からない。頭痛もしてきた。

 「あ、まだ私が何者かちゃんと答えていませんでしたね。私は簡単に言いますと、崇拝者です」

 畜生。やはり宗教絡みか。どうりで、変な名前に変な格好なわけだ。

 「変なクラブ作りやがって、俺は帰るぞ」

 足元がかすんでいる。でも、今逃げ出さなければいつ逃げ出す? 俺の背に阿羅亜の不気味な笑い声が吹きかかった。

 「神を信じますか?」
 「生憎信じてない」

 鍵は外からかけられていた。鉄の扉に鉄の鍵ではどうしようもない。

 「私の名前はイスラムの太陽神から取ったのですよ。まさに、彼は私にとっての太陽のようなものだったので」

 聞いてもいないことを阿羅亜が説明して、右手の袖から何や危ない刃物を取り出した。折りたたまれていたそれは、手早く組み立てられ、巨大な鎌になった。銃刀法違反だ! 人に向けるなんていかれている。

 「先に契約内容を確認しておきましょう。死神クラブの入会費はゼロ円。活動内容は、年に一度は友人など知り合いでも、赤の他人でも紹介していただくこと。そうすれば報酬として多額の金が手に入ります。注意事項としては、身の回りで不可解な出来事が起きても気にしないこと。それから、大事なことですが、退会費はあなたの命です。どうです? 今なら入会させてあげます」

 死んでもお断りだ。退会費が聞き間違えでなければ常識じゃなかった。くそ、ドアは体当たりしても開かない。

 「誰か! ここを開けてくれ!」

 扉を何度も叩いたが、自分の拳が赤く腫れ上がるだけ。こんなところで死ぬなんてまっぴらだ。

 「レン君ごめんなさい!」

 ミキの泣き叫ぶ声がして扉が開いた。途端に、ミキを連れ俺は飛び出した。あと一歩遅ければ阿羅亜の鎌が、背中を突き刺すところだ。
 建物を飛び出ても俺達は振り返ることなく走った。ミキはずっと泣きじゃくっている。ひとまず、人通りの多い場所に出れば安心だ。

 ミキが泣きじゃくるので、人々の視線が集中した。俺も混乱してどうしたらいいのか分からなくなっている。とにかく落ち着こう。

 「大丈夫だ。泣くな」

 「だって、私のせいで。私のせいで。みんな死ぬんだよ。阿羅亜さんたちがまさか死神の崇拝者だったなんて」

 言っている意味が分からない。いや、阿羅亜以外にも誰かいたのか?

 「どういうことだ?」

 ミキは余計に声を荒げて泣き喚いた。

 「私たちの後に、入ってきた子がいたの。でも、その子、退会を申し出たとたんに、奥の部屋に連れていかれて。出てこなくなったの。それから、代わりに出て来たのが、死武唖(しぶあ)さんっていう女の人なんだけど、靴に血がたくさんついてた。退会したら命を頂くなんて、最初冗談で阿羅亜さん言ってたから信じてなかったんだけど、まさか本当に殺されちゃうなんて!」

 「馬鹿、声がでかい。と、とにかく警察に行くぞ」

 やっと警察の存在を思いついた俺は、警察に報告しにいった。ところが、警察は取り合ってくれなかった。実際に殺された瞬間を見たわけではないし、そもそもあのビルは存在していないとのことだった。

 今日は手持ち無沙汰な感じで家に帰った。もう一度死神クラブの場所に足を運んで確認してみたかったが、阿羅亜がうろついていると思われてならなくて、仕方なく家で過ごした。父に話してみたが、酔っ払っていて取り合ってくれなかった。

 仕方なく次の日、ミキと二人で死神クラブの存在を確かめに行くことになった。

 じわじわとビルが近づくにつれ、身の毛がよだつ。ビルが存在していてほしいような、存在していてほしくないような嫌な寒気がする。

 ビルは存在していた。何だ、はったりかと思ったと同時に中に入るのを躊躇ってしまう。警察がいてくれたら心強いのだが。

 「やっぱり帰ろうよ。生きてただけでもさ、もういいじゃん」

 ミキが弱気なことを言う。心の中では俺もそう思っていた。だけど、このまま放っておいたら、次なる犠牲者が出る。後ろ髪を引かれる思いで地下への階段を降りていくと、ふと、黒い影が足元に伸びてきた。人間の形をしたそれは、一瞬揺らめいて大きな怪物の姿になった。

「やあ、レン君」

 後ろから軽快な声がした。阿羅亜だ。見間違いだったのだろうか、影は阿羅亜の輪郭と寸分の狂いもない。それより、まずいことになった。入り口からも白い布を頭から被ったような人たちがぞろぞろと、手に斧やらナイフやらを持って現われた。これでは挟み討ちだ。

 「入会費はただだよ」
 「入会費だけだろ」

 阿羅亜は、物静かに噛み殺したような笑い声を立てた。

 「君は神を信じていないようですね」

 「今の日本で信じてるやつの方が少ないに決まってるだろ」

 俺はそう抗議しながらも、にじり寄る人々との距離が詰まっていくことを怖れている。おそらくみな、騙されて契約した会員だろう。

 「では、一つ申し上げます。神(かれ)は私と共にあります」

 また阿羅亜の影がうごめいたように見える。蜃気楼か? いや、そんな理屈では説明がつかない不気味な動きだった。

 「残念ながら神の存在の証明は難しい。なぜなら神は見えないからです。神は人に手を触れることも話しかけることもできないのです。しかし、私は違う。神が私を選んだ。私が神を見ることができたから。しかし、お互いに触れ合うことはできない。神は神でありながら万能の神ではないのです。神は我々崇拝者を募り、求めています。神が神であるための行いを、私に求めているのです」

 「神神神神うるさいぞ! そこをどけ」

 ふと笑みを零して阿羅亜は俺をなだめるように告げた。

 「彼の名前を教えてあげましょう。あなたもきっと入会したくなるはず。誰もが一度は想像したことがあるででしょう。生と死とは何か。その答えを知る者。死神です」

 冗談にもほどがある。死神が存在していたとしても馬鹿馬鹿しい。そんな霊的なものを信仰して何になろうというのだ。力を与えられるのか? それとも不思議な魔法でも使えるようになるのか?

 「死神クラブってそういう意味だったんだ」

 ミキが納得している。そんなことどうでもいいから、何とか逃げなければ。死神がいると仮定するならば、会員は殺されるはずだ。そして、退会希望者も。崇拝者たる阿羅亜たちが、死神の手となり足となり人々をクラブなんてつまらないものに入会させ、死神に捧げているのだろう。古臭い映画のような話だ。ここが現代でなければ。

 一人がなたで斬りかかってきた。

 「おい、ミキ!」

 ぼーっとしていたミキを引っ張り、阿羅亜にぶつかっていった。阿羅亜の話では死神自らが手を出して来ることはない。なら阿羅亜はやはりただの人間だ。阿羅亜はするりと、俺たちを避けた。誤ってこっちが転びそうになる。

 「どうしようかな。直接手を下してもいいけれど・・・・・・」

 阿羅亜の背中から巨大な鎌が伸びて来た。さっきまで背中に背負ってはいなかったのに、どういうことだ。それよりも、まずいのは、その鎌が足元をかすめたことだ。軽く、血が吹き出た。
 会員たちが追ってくる。阿羅亜は遠くで俺たちを見て笑っている。

 「どうせこの世は終わりだから、まあいいか」

 全速力で走ったせいで、喉から空気が漏れるような音が出ている。せき込んでミキといっしょに大通りに飛び出ると、追っ手っが見えなくなっていた。振り切ったのだろうか? このまま警察に行こうか。それとも一度家に帰って対策を練ろうか。

 「どうしよう。あの人たち絶対私たちの顔覚えてるよね」

 ミキが不安げに俺の手を握る。普段なら絶対に怒っている行為だが、今はそれどころじゃない。

 「俺の家に来るか?」

 俺たちがカップルならこの場の空気は晴れやかな秋空だったろう。でも、二人の気分は冷たく吹き始めた木枯らしで酷いものだった。

 「おう、レン早いな」

 家には何と、父がいた。日曜日はいつも昼から飲みに行っているのにどうしたことだろう。

 「親父の方こそ早いのは何で?」

 父は隣にミキがいるのに気づいて怪訝そうな顔をした。

 「彼女か?」
 「違う」

 即答すると、父は柄にもなくお茶を沸かしはじめた。まさか父がいるとは思わなかったので、どう話を切り出したらいいか分からなくなった。仕方がない。テレビでもつけよう。

 「あの、おじさんそのビールって」

 ミキが口ごもりながら質問した。父の手にしているのは俺たちのために注いだお茶と、自分用のビールだった。だが、そのビールのラベルが見たこともないメーカーのものだった。飲み物にドクロマークのロゴを入れるなんて、なかなか珍しい。

 「ああ、これは先月から飲料水のメーカーに進出してきた会社のビールだ。死神クラブ株式会社ってのが作ってて、会員になったら特別にもらえたんだ」

 今なんと言った? 株式会社? それに、会員になっただって?

 「その会社って、クラブとかも作ってるのか?」

 「当たり前だろ? 何だお前、勧誘されたのか? 入っとけ入っとけ。金がすぐに溜まるぞ。じゃあお小遣いもいらねぇな。俺が電話して入会させてやるよ。ミキちゃんもどうだい?」

 電話を取りに行こうとする父を引っつかんだ。

 「やめろ! 何勝手なまねしてくれてるんだ」

 父は眉間にしわを寄せて俺を睨んだ。何も語られなかった。沈黙が気まずい。ふと父がキッチンに入っていく。俺とミキは緊張したまま、テレビに視線を移す。野球中継で阪神タイガースが勝っている。

 「退会したい? 何て言ってないよな?」 

 父は顔を真っ赤にして包丁を取り出していた。丁度テレビはCMに入る。
 『この番組はご覧のスポンサーと、死神クラブの提供でお送りしました』



あとがき

小説家になろうにて投稿しております。応援のほどよろしくお願いいたします。https://ncode.syosetu.com/n9231gn/ 
 

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