人生に何を与えるのか?
「われわれは人生から何を期待できるか?」
が問題なのではない。
「むしろ人生がわれわれに何を期待しているか」
が問題なのである。
とはV.E.フランクルの言葉。
「わたしが人生で何を得られるか?」
ではない。
「わたしの人生にわたしは何を与えられるか?」
が命題なのだと。
今回、それが何なのか明確に分かってしまった。
実はずっとずっとそのサインが来ていた。
今までの人生はその予告編に過ぎなかった!
ということが腹の底で分かってしまった。
ヤバい。
ヤバすぎる。
こんなのが分かっちゃったら、
もう自分の意思なんて必要ないじゃないか。
もう自分で検討するなんて必要ないじゃないか。
もう自分で選択するなんて必要ないじゃないか。
もう自分の判断なんて必要ないじゃないか。
五十にして天命を知るとはこういうことなのか?
こうなったらもう
ただただ受け入れるしかないじゃないか。
昇りつめてしまった人が
出家してしまう気持ちが
今なら分かる気がする (笑)