「大丈夫じゃない」を受け止められない
川が溢れたり地面が揺れたりしている。
いろいろな人に出会うようになった。知った顔や名前が増えると、地名を聞いて誰かが連想されるという機会も多くなる。
しばらく前に、少し離れたところで地震があった。そこそこの震度。道が崩れたり、かなりの広範囲で電気が止まったりしたらしい。
まさにその影響下にあるだろう地域に友人がいた。LINEを開けば10秒もせずに状況を尋ねられるだろう。「大丈夫?」とか、「地震、どうだった?」とか。
ちょっと連絡しようかな、と思ったところで停電していることに気付いた。貴重な電気をこんなやり取りに使わせるのもな、スルーしてもらえればいいけど、気を遣って返信をくれるかもしれない……もう少し時間が経ったら連絡するか……「地震、どうだった?大丈夫?」とか、かな……
……でも、「大丈夫」じゃなかったら……?
固まった。無意識のうちに、「大丈夫?」に続く返事を決めてかかっていたことに気付いた。「大丈夫~!電気はまだつかないけど!」とか、「めっちゃ揺れたけど大丈夫!なんともないよ~」とか。
「大丈夫?」には、「大丈夫!」であってほしい。
でも、「大丈夫じゃなかった」らどうする?経済的にでも、精神的にでも。本人は大丈夫でも、近しい誰かが亡くなっていたりするかもしれない。そうなったら、なんて返したらいいのか?
結局、心配しているようで「そこ止まり」。いや、心配、心配はしている。何かをしてあげたいという思いだって……ある。
では、実際何をしてあげるのだ?お金でも送るのか?
可能かもしれない。けど、日本に住んでいる以上、災害は今後も色々起こるだろう。災害以外の災難だってある。大変な目に遭った友人皆に何かできるかと言うと、不可能だろう。「こっちにはしてあげたけど、こっちには……」なんてことを考えている自分の姿がありありと浮かぶ。
「話を聞いてあげるだけでも癒しになる」、「心配されているという気持ちだけで嬉しい」、そういうのはあるかもしれない。でも、それを言っていいのは心配される側だけだ。心配されるって、うれしいよね。だからほら話して!なんて、何様だろうか。もちろん向こうから話してくれたらそれはそれで(勝手なものだが)うれしい。その時はしっかり聞く。何ができるかはわからないけど。
結局、この問題に対して明確な答えは出ていない。とりあえず口をつぐむことにした。オトナな対応のようで、ただ逃げているような気もする。何も考えていないよりはマシだ、と、思いながら。
本とか買います。