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神戸での出来事から考える私の無駄なプライドについて
皆さまご機嫌いかがでしょうか。ヨガインストラクターで日本茶アドバイザーの まるやま ゆみ です。
私の文章に目に止めていただきありがとうございます。
推し活のため神戸に日帰り弾丸旅行してきました。
そこで驚いたことなんですが、関西の方はコミュニケーション能力が高い。
というか、関東の人がコミュニケーション力が低いのかも。
主語が随分大きな話なので怪しさ満点ですが、少なくとも、私が普段会う人にはこういう雰囲気の方はいないなぁと思ったのです。
その1
私、いろいろテンションが上がってしまいまして、エッグスンシングスの超大盛生クリーム乗せパンケーキを食べました。
これ、東京にもあるのに。初めてこの店に入って食べました。
やってきたパンケーキを見たお隣のご婦人。すかさず私の元へやってきてこう言いました。
「写真撮らせていただいても良いですか?」
見た感じ、本当に『神戸のご婦人』でした。絶対ヒョウ柄のシャツは着ないであろうそのご婦人。(素敵なトラッド系のファッションでした。)
それでも、胃もたれしてしまうから自分では食べることができない、その店の看板商品を実際に注文している人を見て思わず声を掛けずにはいられなくなったのでしょう。
その2
イベントは、3部構成で1部だけ当日整理券を入手して参加できる無料トークショー。2・3部は事前に商品と参加チケットを購入して参加という流れ。
整理券配布時間よりずっと前、施設オープンの時間にはすでに長蛇の列。
私も、オープン3分後くらいには入館したのですが、とんでもない列…。
イベント主催者さんが私に声をかけ、「並び方を変えるので」とちょっと違うところに誘われたわけです。
でも、主催者さんがすぐどこかに行ってしまったため、後から来た人たちはそれまで通りに並び始め(見た感じここが最後尾かな?と感じられる場所)私だけ列をはみ出した状態になってしまったのです。
そこへすかさず、やはりご婦人が「そうしたら私と同伴者ということにして、こちらにいらしたらいかがですか?」と声をかけていただいたのです。
本当にありがたい限り…。無事整理券もゲットできました。
その3
当日は雨でして、主催者である書店さんがお尻の下に敷くビニール袋と雨合羽をご用意くださいました。
私は合羽は気づいたのですが、ビニール袋には気が付かず。「みんなはビニール袋どうやって手に入れたのだ…」と周囲をきょろきょろする私。
まぁ、長い合羽だったのでお尻は濡れない。これで良いか…と妥協することに。
その時、前に座っていたご家族グループさんから「その合羽、どこにあったんですか?」と尋ねられました。
私は、合羽をゲットできる場所を指さし、あのスタッフさんに声を掛ければ大丈夫だとお教えしました。
私もビニール袋の場所、聞けばよかったんだ…。
最終的に聞かずとも場所が分かったので(合羽と同じ場所でもらえた)取りに行くことに。
だから、東京の人は冷たいって言われるのかも。
東京の人だって、決して冷たいわけではないんですけどね。他人との交流がほぼ無い。それに対して神戸ではたった3時間くらいで3つのエピソードが生まれるのです。
この出来事について、だいぶカルチャーショックを受けました。そこで至った結論が「私の精神は未だに中二」というものです。東京の人は関係ないかもしれません。
他人に「知らない」ことを知られること、初対面の人に話しかけるのが恥ずかしい。という謎のプライドが行動を制限し、生活の足かせになっているのです。
他人からどう見られるかなんて、くだらないし、とても不合理な生き方です。
ヨーガ・スートラ、第二章5節
無知とは、一時的なものを永遠なものと、不浄なものを清浄なものと、苦痛なものを快適なものと、我で無いものを我と、見なしてしまうことである。
A・ヴィディヤーランカール著、中島巌編訳
東方出版
例えば、お酒は百薬の長だから、お酒で気分をリセットできる、などなど。いろいろ理由をつけては飲む。
でも、お酒は依存性もあるし、二日酔いではないのに翌日頭がぼーっとしてパフォーマンスが上がらない。機会飲酒程度なら良くても、毎日晩酌というとやはり有害だろうと思います。
話を元に戻します。
私は、周囲の人に「モノを知らない人だと思われたくない」という無駄なプライドがある。それは、私の顔見知りに対しては勿論ですが、初対面の人に対してもそう思う。だから、誰かに聞いて困りごとを解決することができない。
実は、エッグスンシングスを立ち去るとき、食器をどうしたら良いのか分かりませんでした。
私に写真を撮らせてほしいと頼んだご婦人は食器をどこかに下げに行ったから、下げ台があるはずなのだが…。
でも、お店の人には聞けず。しばらく様子を観察して下げ台のありかを知りました。
「なんでも知っている私」は本当の私ではない。なのに、その自己認識に執着して手放せない。実はそれが本当の私ではないと知っているからです。
大人になるには、間違った自己認識を改める必要があるわけです。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
また、読みに来ていただけたら嬉しいです。
それでは。
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