私が伝えたいことは相手が知りたいことではないかもしれない。
皆さまご機嫌いかがでしょうか。ヨガインストラクターで日本茶アドバイザーの まるやま ゆみ です。
私の文章に目に止めていただきありがとうございます。
何を学ぶか/何を伝えるか問題
少し前に似たような記事を書いたのですが、同じような違うような内容を書いていきます。
教わったことを誰かに話したいって思うのは私だけではないはず。
そう信じたい…。
自分が習って、ハッとしたことは誰かに言いたくなることが多いと思います。特に先生という立場上、言う機会はたくさんあります。
ただし、それが言うべき機会なのかというのはまた別の話。
言うべき機会
話相手が聞く体勢を作ってくれる時、それはあなたの言う機会です。
おしゃべりチャンス。逃す手はありません。
でも、話相手が話を聞かされている時はどうでしょう。
学校(特に大学)の授業を思い出しませんか。卒業するには聞かなくちゃいけないんだけど…どうしても眠たくなる授業というか。
仏教系の大学に通っていたので、一年生の時は仏教にまつわる授業が必修であったんです。ちゃんとお坊さんがお話してくださいました。
今、一ミクロンも覚えていません。
どうやってクリアしたのかすら分からない。
(そう言うと、どうやって大学を卒業したのかもはや分からないくらいの学力しかありません。専門領域の新書がいつまでも読み切れません。)
それと「ひけらかす系」も対処に困りますね。
昔の私が、まさにひけらかす系ヨガインストラクターでした。今の私が見たら、手が出ちゃうかも。あんまりにもひどすぎて。
ひけらかす系は一定数の生徒がつくんです。「先生すごーーーーい♡」って。でも、私は上手くいきませんでした。生徒がついてこなかった…。
ヨガ哲学のお話
とあるYouTubeの動画を見て思ったことです。
誰しもヨガ指導をしていると、ヨガ哲学の話をしたくなる時期が来ると私は思っています。(統計は取っていませんが)
ヨガ哲学の話は大抵誰も興味を持ちません。(多少の偏見あり)
体操をしに来ているのに、急に道徳的な話をされたら、「怖っ!」というか、気持ち悪かろうと思います。
特に40代より上の世代には、テロ組織になり下がった新興宗教団体の記憶があるはずです。報道で耳にしたワードがヨガ(特に哲学)を学んでいるとちらちら出現します。
よく分からない状態でそれを聞けば、驚くでしょうし、嫌悪感を抱くはず。
その動画内では「興味のない人に自分がしたい話をするなら、相手の興味を惹くように話しなさい」とちゃんと言及していてくれたので安心しました。
真面目な人ほど、崇高なヨガ哲学を矮小化することを嫌うかもしれません。
でも私は、市井の人が生きやすくなるために利用するのが哲学ではないかと思います。どんどん矮小化したら良いと思います。
それでもヨガ哲学の話をしたい
それはやはり、自分がこれによって多少なりとも救われた感覚があるからだと思います。
私はヨガ哲学によって振り回されて、つらい思いもしましたが、それでも救われたところがある。
実際に私がヨガ哲学の話をするのはずっと先のことでしょう。
そのタイミングを逃さずにいられるか。
それは、日々の鍛錬によるところでしょう。ぼーっとしてたらそのチャンスを逃して(もしくはチャンスに気が付かず)暮らしているだろうと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
また、読みに来ていただけたら嬉しいです。
それでは。