「二重否定がわかりにくい」の意味がわからない
わかりやすい文章の書き方を読むと大抵の場合、「二重否定の表現はあいまいで誤解をまねく可能性がある」などと書かれる。
が、これの意味が全くわからない。
安田 正氏の「わかりやすい文章を書く12のコツ一覧 【コツ10】二重否定を避ける」を例に出そう。
本格的に何を言っているのかわからない。というか何も言っていない。
まず「彼がそのことに対して、反対しないとも限らない」と「彼がそのことに対して、反対するかもしれない」は語用論的に同じことを言っていない。勝手に断定している。次に、「曖昧で」のどこが曖昧なのかが全く示されていない。「曖昧で」というのであれば、「文章PはAという意味とBという意味の2つの解釈ができる」という説明をしなければ、文章が曖昧であることとの説明になっていない。
二重否定のwikipediaの文章を使うなら
I don't know nothing.
という文は、「知らないものはなにもない=I know everything. 」かもしれないし、「何も知らないというわけではない=I know something.」かもしれないし、「本当に何も知らない=I DON'T know everything.」かもしれない。一文を取り出してこの程度の説明が出来ないのであれば、「曖昧で誤解を招く」の根拠は希薄である。
なので二重否定の文章を出されて「わかりにくい」というのは「どこがわかりにくいのか」を明示できないのであれば、言語化の能力が著しく欠落している(そもそも言語化の能力がない方が「わかりにくい」というのであればわかるが、「わかり易い文章の書き方」などを記している方が、それを言うのは意味がわからない)。
ということを長年を思っていたのであるが、この間理由がわかった。
ゆる言語学ラジオの「徹底討論! 「結論から喋る」は本当に正しいのか? #373」の42分ごろからである。
この回でゲストの室越さんが「テクストってあったら一旦全部読むじゃないですか」「わかりにくいと言われるのがずっとわかんなかった」と語る。
水野さんの「この後何の話が来るかわからないから接続しとかをもっと使ってくれと言いましたよね」に対して室越さんは「全部読めばわかるやん」と返す。
これだ。
二重否定の文章を読んで理解しようとすれば、この文章がどのように曖昧であるかということが指摘できる。しかし、認知不可の高い文章を読むことをしない、その時点で投げ出しているから「二重否定がどのように曖昧であるのか」を指摘できないのだ。
レビューをやっているときによく「詰めている感じに聞こえる」と言われるのだが全く意味がわからなかった。ある文章があったときに普通の人は「全然わからん。この文章はどのようなことを言いたいの?」というらしいのだが、私は「この文章はこの理由で解釈Aでも、この理由で解釈Bとも解釈できるが、どっちの意味?」と聞いてしまう。
文章を理解しようと心がけているのはどっちなのだろうか。