TRPGの説明で嘘をつく
実解析P氏の「じつかいせきのTRPG雑記」の「プレイヤー体験のためのTRPGアンチパターン」に気になるものがあった。
https://minori-akizuki.github.io/trpg_notes/trpg_anti_pattern/
シナリオ説明で嘘をつく
トレーラーにミスリードがあるとかそういう話ではない 。シノビガミで「特殊型」と書いてあるのに蓋開けたら対立型だったり、 時代設定が江戸なのに何の前触れもなくボスが未来のオーバーテクノロジーを持ってきたりする現象である。
シナリオスペックはプレイヤーの行動指針の根幹に関わる部分である。ここで嘘をつかれたら大惨事が起こる。
嘘がついてあると簡単には言ってしまえるが、プレイヤーが違和感を感じる瞬間は2種類ある。
「自分が思っていたものと違う」時と「インストラクターが言ったこととやっているものが違う」時だ。
度々引用するが「TRPG(CoC):初心者プレイヤーの悩み」のこの部分は「自分が思っていたものと違う」の例である。
https://note.com/trpg_nemo/n/n5b464b436134
私は当初、TRPGとは自らが用意したキャラクターの性格に合わせて、まるで彼らが生きているかのように行動するゲームがだとばかり思っていた。
しかし、数卓やってみたところTRPGとはシナリオ作成者が考えるキャラクターになりきって非日常的な経験をする遊びだったのだ。
一方で、「インストラクターが言ったこととやっているものが違う」とはなんなのか。
以前あるシナリオのテストプレイをしていた時に、プレイヤーの方に言われたことがある(ここに書くように要約しているので、微妙に言った言葉とは異なる)。
「GMの説明と実際の内容が一致しているかは重要」
非常に重要だと思った。今でもそう思う。
「シナリオ説明で嘘を付く」よりももっと根幹部分である。
例えば「TRPGとは」の説明で
「TRPGはプレイヤーすなわち貴方達の自由な発想で遊ぶゲームです。言わば『世界の半分をお前にやろう』といって「Yes」と言えるようなものです」
と説明しよう。
実際のセッションが発想も何も必要のない、一本道シナリオであったり、吟遊GMであったりした時に本当に「『世界の半分をお前にやろう』に「Yes」と言って」そのようにしてもらえるのか
と言った、説明と実際にやることの乖離である。
一般に、「自分が求めていたものと違う」部分ばかり語られがちであるが、「言ったこととやっていることが違う」も不満がたまる。
「TRPGはみんなで協力して楽しむゲームです」という説明でもあってもこれは十分に生じる。
これは、実際のところは「みんなが楽しむ」のではなく「誰も不愉快に思わない」のである。
あるプレイヤーは、自分がシーンプレイヤーではない「あるシーン」が「そんなも面白くないシーン」であった。まず第一にここで「これ(シーン)がつまらない」などと言えるかだ。もちろん、言えないだろう。なぜならば他の人は面白がっているのだからだ。
そこでプレイヤーはこう考える、「ここはシーンプレイヤーが面白がっているのだから、自分がシーンプレイヤーのときに面白がらせてもらおう」と。
そして、実際にプレイヤーが「自分が面白いと思っていたシーン」をやってみると、白けた上に「何がしたいのかわからない」とまで言われる。
最初のシーンプレイヤーにとって「みんなが楽しむ」とは、「つまらない」までとは言わせない広く一般的なことをやったまでだ。つまり大衆向けに何かを行った。一方で「何がしたいのかわからない」と言われたプレイヤーは、「他の人が楽しいことを主体的にやったのだから、次は自分の番だろう」という、他のプレイヤーとの交渉ごととして行っている。
シーンプレイヤーは「誰も不快に思わない」ものが「みんなが楽しむ」だと思っているし、「何がしたいのかわからない」と言われたプレイヤーは最後に全員各々が満足行くものを目指し、ある意味その場に受けるかもわからないことを挑戦している。「みんなが楽しむ」ということにコンセンサスも取れていないのに同調圧力で有無を言わさない状況に仕立て上げている。
これはプレイヤーにとって「自分が求めていたことと違う」のではなく「説明を受けたことと実物が違う」ことである。「相手が求めていたことと自分が求めていたことが違う」や「相手が自分勝手である」という言い訳をインストラクター側がしがちではあるが、相手の理解は、相手の環境や文化的な背景、性格などによって、同じ文言を使っても異なる。特に「みんなが楽しむ」など抽象的で短いフレーズである場合は。
大本の実解析P氏の
時代設定が江戸なのに何の前触れもなくボスが未来のオーバーテクノロジーを持ってきたりする現象である。
の部分に関しては別の話となるので次回以降書く。