M:tGの「カジュアル」とはなんなのか

9月24日に統率者戦で「宝石の睡蓮」「魔力の墓所」「波止場の恐喝者」「有翼の叡智、ナドゥ」の4枚が禁止された。
さて同日、晴れる屋で「スーパー・エキサイティング・コマンダー」の開催が発表された。
詳細はこれだ。


この大会では《Chaos Orb》 、《Falling Star》 、《Shahrazad》、策略、アンティのカード以外をすべて使用できる統率者戦である。

この試みはすごいよい。Xを見ると「統率者は所詮カジュアルフォーマットだから」なとど言われているが、そもそも、公式が定めているフォーマットでの公式大会以外はユーザーが勝手に定めてよいと私自身は思っている。と言ってもM:tGはやめてしまったので今は遊んでないのですがw

この禁止改定で上記禁止となった4枚の価格は大幅に下落しているのだが、そこについてはあまり興味がない。一番興味があるのはすでに述べている「統率者は所詮カジュアルフォーマットだから」の部分である。

さて、カードショップセラの動画である、「【カードショップセラ】現在Twitterで話題のEDH論争!! 英宝さんはどっち派なのか⁈ 衝撃の回答はいかに⁈」という動画をご覧頂きたい。

https://www.youtube.com/watch?v=3waAbR4ClLI

この動画では統率者の「ガチ」VS「カジュアル」の話題をしている。
本題に移ろう。日頃私のnoteを読んでいる方ならわかるだろうが、ガチVSカジュアルのカジュアルとカジュアルフォーマットのカジュアルの意味が違うのではないかということである。

まず、「ガチVSカジュアル」の方から考えよう。この場合、ガチもカジュアルもカードプールは同じである。その中で、何が何でも勝ちを目指すのと、自分が好きなコンボを確定させたり超特定のカードを活躍させたりしたい人との差である。
次に「カジュアルフォーマット」だが、これはほぼ「非公式」という意味で良い。と言っても「非公式」とのグラデーションは曖昧である。
重要なのは、ともに「強いカード」であったり「高額カード」ということは定義とは全く関係ないということだ。ここを勘違いしてはいけない。
例えば、パワー9を4枚積みOKヴィンテージは超高額であるがカジュアルフォーマットである。純正でないカードOKのアルファ40はカジュアル中のカジュアルである。資産や値段など関係ない。なんなら店舗は公式のフォーマットなんて無視して、店舗独自のフォーマットを定めて大会を開催しても良いのである。
上記からわかる「カジュアル」の共有点は、「明示されていても暗黙の了解であっても、何かしらかの取り決めが当事者同士で存在している」ということだ。公式が定めているカードプールから当事者が勝手に「これはなし」と言っているのがカジュアルである。
経験豊富な方々はこんなこと常識だろうと思うが、なんか本当にわかってんのだろうか、といったポストを見かける。遊びは自由だ。公式フォーマットは公式が管理しているだけで、自分が遊ぶときは自由である。

今井 むつみ, 『学びとは何か――〈探究人〉になるために』, 岩波書店,  2016にもこうある

ある機能に限定された道具やおもちゃのみ子どもに与えつづけていると、子どもが本来持つ、ものごとを象徴化する能力を損ねてしまう危険性がある。

今井 むつみ, 『学びとは何か――〈探究人〉になるために』, 岩波書店,  2016

遊びは自由なのだ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?