「TRPGは楽しんだら勝ち」とはいかがなものなのか

たまにtwitterで「『TRPGは楽しんだら勝ち』は嫌い」を見かけるので私の意見を述べる。もちろん私は嫌いな派閥である。

「〇〇は楽しんだもん勝ち」とは


まず、「〇〇は楽しんだもん勝ち」について考える。

この質問箱を見ていただきたい
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1099216970

ゲームは楽しんだ者勝ちですよね?
どんなに批評が多くても、楽しめる人はそれだけでいいのでしょうかね?
それともつまらないゲームはさっさとやめて、評判のいいゲームをやっていく方がいいんですかね?


この質問箱での意味をきっちりと捉えたい。重要なのは「どんなに批評が多くても、楽しめる人はそれだけでいいのでしょうかね?」の部分だ。すなわち、この「楽しんだもの勝ち」は「そのゲームに対して批判が多いが、自分はそのゲームを楽しめているため、勝っている(具体的になにをではない)」という意味だ。

次の教えて!gooも見ていただきたい


https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7373104.html

読んで頂くとわかるが、基本的に「人生楽しんだもん勝ち」は「なにかを諦めてしまっている」などと言われている。

KOIMEMOでの「人生楽しんだもん勝ち!後悔しない生き方を選ぶための方法とは」という記事も読んでみよう
https://koimemo.com/article/10118

世の中には、「人生楽しんだもん勝ち!」という気持ちで、自由に人生を楽しんでいる人も多いんです。
今まで我慢をすることや、自分の気持ちを押し殺して生きてきた人にとっては、羨ましくもあり、自分ではなかなか実行に移せないことだと思います。

何か諦めてしまっている感があってあまり好きな言葉ではないです。

ここでも同様に、「何かを諦めている」と思われている。

「感情を鍵に、心の扉を開けよう!札幌大通カウンセリングオフィスプログレス代表向裕加のブログ」というブログの「「人生楽しんだもん勝ち」という表現にザワついたワケ」という記事を御覧いただきたい(改行はそのまま引用無理だったので勘弁していただきたい)

https://ameblo.jp/yucabear27/entry-12614208371.html

私、
人生に
勝ち負けをつける
…ということに
大きなひっかかりや
違和感を感じてた
んですよね。
仕事柄、
私は普通の人よりも
「人生を楽しめない人」
と会う機会が
圧倒的に多い人間です。
私自身も
「一度きりの
 人生なんだから
 楽しんだほうがイイ」
という考えの
持ち主ですが
クライエントの話を
じっくり聴いていると
「人生を楽しみたくても
 楽しむことができない
 正当な理由」
が必ずあるんですよね。


さらに、2018年6月1日放送の
のTBSラジオ『バナナマンのバナナムーンGOLD』でも「人生楽しんだもん勝ち」について話している。引用のため、「世界は数字で出来ている」さんを取り上げさせていただく。
http://sekasuu.com/blog-entry-20649.html

あと、用例調べようと『現代日本語書き言葉均衡コーパス』で検索かけたがなかった・・・


いずれも、何かを諦めているといったネガティブな内容がある。
では、「○○楽しんだもん勝ち」はどのような状況で発せられるフレーズなのか。
取り上げたものから想定するに、特定のことに対して負けたことに対する激励、奮起、逃避、負け惜しみなど、ネガティブな状況でポジティブシンキングにする(させる)ために使われる言葉だ。

ある特定の状況で負けたことに対して、別の「楽しんだ」ことを「勝利条件」とすることで「勝った」と言いはるフレーズである。
ここにおける「勝ち」は三省堂 辞書ウェブ編集部による「今年の新語2020」で取り上げられている「優勝」と同程度の意味にしか過ぎない。
https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/shingo/2020/best10/Preference05.html


さて、「TRPGは楽しんだら勝ち」の何が問題なのだろうか。

まず、「TRPGを楽しんだ」とはを考えよう。
あることを失敗したときに「人生楽しんだもん勝ち」と考えるのは、そのことを失敗した時ではなく、「楽しい」と思えるのはその経験をその後に感じたときだ。
クイズ大会に出て負けて「クイズは楽しんだもん勝ち」と思うのは、クイズ大会が終わったときではなく、その後の打ち上げや反省会の時、もしくはそれ以降ではないだろうか。「人生楽しんだもん勝ち」と思うのは、なにか不幸な出来事があってそれを乗り越えようとする(または乗り越えた)ときに感じるものだ。
すなわち「TRPGが楽しかった」というのは「そのセッションが楽しかった」ということではない。「クソみたいなGMにあたって1日を無駄にしたが、そのあとそのGMの愚痴を肴に飲む」はTRPGの楽しい部分ではないだろうか。その時のセッションではなく、その時のセッションにまつわる自分のイベントそのものが「楽しい/つまらない」ものであろう。


次に「TRPGを楽しんだもん勝ち」がいつ発言されるかということだ。
上記の通り他の「○○は楽しんだもん勝ち」は他の勝利条件が提示されているときに、その勝利条件を覆す、新たなものを提案する、逃避するなどするために「楽しんだもん勝ち」という発言が正当化される。
一方で、一般的に、特にビギナー相手にTRPGを説明する時に「TRPGは勝ち負けはない」という前置きがなされる。この発言の後「TRPGは楽しんだもん勝ち」という発言がなされると、ゲームの勝利条件をさぞ当然のようにすり替えている。元の「○○は楽しんだもん勝ち」が内包していた「試合に勝って勝負に負けた」状態の「試合」の部分は存在しないという発言がなされる。これによって、「TRPGの敗者は楽しんでいない者」ということが強固になる。
この文脈で話されるとかなり厄介である。「勝負から逃れたい」「単純にその事物を楽しみたい」という最後の逃げ道を「楽しんだら勝ち」という文言で叩き潰されるのだ。

これが
「TRPGやるんだ。楽しみ」
「そうなんだ、楽しんだもん勝ちだね」

という返答であれば、「ほとんどの事物は楽しんだもん勝ち」なんだから全然理解の範疇である(鬱病患者に言って良いのかなどそういうのは置いておく)。問題は、大抵の場合「TRPGは勝ち負けはない」と「TRPGは楽しんだもん勝ち」のフレーズの、文中での位置が近すぎるのだ。

言う方は「食べ放題で元を取るほど食べたから勝ち」と同じ程度かもしれないが、そもそも「食べ放題で元をとったら勝ち」の発言の前に「食べ放題における勝ち負けが元を取るほど食べる以外のこと」を言うだろうか。
「TRPGは勝ち負けはない」の「勝ち負け」は明確に前述の「優勝」の1の方の「第一位で勝つこと。決勝戦で勝つこと。」の意味だ。しかし、「楽しんだら勝ち」の「勝ち負け」は2の「〔俗〕大満足(な体験を)すること。最高なこと。」の意味である。
この2文をタイトルが「TRPGの勝ち負け」という記事で書いているのならばたまったものではない。「TRPGに勝ち負けはない」ということを紹介する文であれば「楽しめよ」「楽しんだらいいじゃない」etc で良いはずを、「楽しんだら勝ち」とすることで、「楽しめなかったら負け」を強調しているのである。

「TRPGは楽しんだら勝ち」は単なるモチベーションを上げるために標語であり、生き様であり、やり方である。そんなものはゲームそのものの勝利条件ではない。「楽しかった/つまらかった」ということを「満足/不満足」ではなく「勝利/敗北」の「勝ち負け」になんかしてはいけない。



引用が面倒なだけで「優勝」から引っ張ってきているが、デジタル大辞泉で「勝ち」をひくと


かち【勝ち】:勝つこと。勝利。「勝ちを得る」。
がち【勝ち】:[接尾]名詞や動詞の連用形に付く。
1 …が多い、…する傾きがある、…に傾きやすいなどの意を表す。「後れ勝ち」「病気勝ち」
2 それのほうが得をする意を表す。「早い者勝ち」


とある。


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