TRPG用語集での「協力型」とは
ごくごく当たり前のことを書くが、話題のアルケミアストラグルで気になることを見つけたので記す。
グループSGRの現代錬金術TRPG アルケミア・ストラグル(乃継 アラタ、2020)ではシナリオの種類というものが存在する。
その一つのコーポというものがある。
▼コープ
完全協力シナリオです。プレイヤー同士、争ったり競うこともなく同じ目的を達成するために協力します。
同書 56ページ
この文への違和感はなんなのだろうか。
コープは「完全協力シナリオ」の言い換えなのか
Starfinder Core Rulebook(Paizo Pub Llc、2017)の8ページの「Some Basic Concepts」を抜粋しよう
Player Character (PC)
This is a character controlled by a player.
これが「説明」である。最初の一文で、単語が何を表しているかが一瞬でわかる。
一方で、「コープ」の「完全協力シナリオ」とは一体何なのかが、まったくわからない。
著者、グループSGRの公式twitterのこのツイートを御覧いただきたい。
https://twitter.com/groupsgr490/status/1340237923946381312?s=20
完全協力ゲームを遊びたい場合
コープに絞って参加すればPL同士で争うケースはありません
例えば巨悪が誕生し、学派を越えた錬金術師が手を取り戦う、なんてシナリオはコープに該当します
今後色んなシナリオをサポートして行く予定ですので、ご自身のプレイスタイルで楽しんで頂けたらと思います!
ここで全く意味のわからない「完全協力ゲーム」という単語が出てくる。では「完全協力ゲーム」と「完全協力シナリオ」は別物なんでしょうか?
「コープ」の下に書いてある「レース」の一文を読んでみると
▼レース
基本的に協力関係にありますが、場合によっては何かを巡って競うことがあるシナリオです。
こちらでは「○○をするシナリオである」と記載されている。
コープの「完全協力」という単語が周知の単語であるかのように書かれているが、レースではそのような単語はない。「完全協力」と言う単語は他人の言葉を使用している。ここで、コープの文章を
プレイヤー同士、争ったり競うこともなく同じ目的を達成するために協力します。完全協力シナリオとも言います。
と書けば、「コープ」とはこういうものであり、これが「完全協力」であると言える。「バトル」には「いわゆるPVPである」という旨が書いてあり、「所謂『完全協力型』である」と書いていないことへの対比となる。
さらには、シナリオの種類の一番最初が「コープ」となっているので、ゲームで一番遊んでほしいものは「コープ」であると類推される。通常PVPが主となるゲームで、協力型のものをやる場合は、PVPの説明をしてから例外となる協力型を説明するからだ。
さて、「完全協力」とはなんなのか。調べてて見つけたearo氏の「イジゲン×エレベーター」というシナリオを御覧いただきたい。
※4人が協力しないとクリアできない、完全協力型のシナリオです。
この一文がどういう意味であるのか。
まず、シナリオのタイトル名のところに「協力型」であると示している。
その上で「完全」とつけているのは、秘匿HOを各々が持っていて疑心暗鬼になるという状況を、「絶対に対立するような行動をしないように」と念を押すために、この「完全」という単語を無理矢理入れている。
「4人が協力しないとクリアできない」をより強調するための単語である。そしてこれが、佐々木圭一の「伝え方が9割」(2013、ダイヤモンド社)の123ページで著されているような「サプライズ法」なのである。
よく読むと、「コープ」の「協力する」の主語が「プレイヤー同士」となっている。
現代忍術バトルRPG シノビガミ -忍神-(河嶋陶一朗、新紀元社、2009)の210ページの「協力型」の項を読んでみると(歴史をたどるため、基本ルールブックではない方である)
協力型シナリオは、プレイヤーが操る忍者たちが、協力して巨大な敵を倒すのを目的としたものです。
とある。こちらの主語は「プレイヤーが操る忍者たち」すなわち「プレイヤー・キャラクター」である。
当然ではあるが、言葉は生き物である。シノビガミ→アルケミアストラグルの間で明確に「協力型」の意味が変わっている。
深くは調べきれていないが、私の感覚としてシノビガミが流行り、「協力型」と「対立型」というシナリオが出始め、その後TRPGユーザー界隈のミームとして「協力型」が独り歩きし始めた感覚がある。この間にアンドールの伝説など、協力型のボードゲームが増えた。そしてインセインの「ゾーニング」というルールで「GMは嘘をついてもよい」という話が流布された。このタイミングあたりで、「プレイヤー」と「プレイヤーキャラクター」の垣根がなくなり、この辺がぐちゃぐちゃしだしたのだろう。
アルケミアストラグルのルールブックに「コープ」のシナリオがないため、一体どういうものが「コープ」であるのかわからないが、主語が「プレイヤー」である意味を考えてみる。まあ炎上具合を考えると何も考えていなさそうではあるが、きちんと考えているものとする。
アルシャードに代表される(現行のゲームではないが)(有)F.E.A.R.のゲームでは、ハンドアウトにクエスト(ゲームによって異なるがここではクエストと記す)が書かれており、これを達成することで経験点が得られる。また、クライマックスフェイズ前には必ず「ボスを倒す」という旨のクエストが提示される。
シノビガミではハンドアウトに書かれている使命は基本的に書き換わることはない。他の「秘密」によって書き換わることはあっても、基本は最初に配られたハンドアウトだけだ。
すなわち、最終的にプレイヤー・キャラクターが協力をせざるを得ない状況(目標を渡すことも含め)になる。
プレイヤーのレイヤーでは「協力して楽しむ」という目標があり、キャラクター・レイヤーではハンドアウトなどに記載されている目標を達成するという二段構えである。
一方で、アルケミアストラグルでは、必ずロールプレイを行わせる。所謂コマンダー問題への対処として、情報をロールプレイで渡すように記している。ゲームの構造として、プレイヤーとプレイヤー・キャラクターが同一であるような動きが推奨される。
これは、どちらが良いかは一概には言えない。プレイヤーとキャラクター切り分けて考えられない人が一定数存在するからである。そう考えると、主語が異なるのはあまり重要ではない、という結論になる。近年のマーダーミステリーなどのブームにより、プレイヤーとキャラクターの境目がある意味なくなったのかもしれない。
雑感。
毎回書き始めと、結論がずれてる。文章力のなさが露呈しまくり。