源氏物語の箒木(ははきぎ)の帖、女性品評会のこと……
光源氏と頭中将の仲のいい二人が女性談義をしていたところへ、左馬頭と藤式部丞が仲間に加わった。
「成り上がりの家の女性は、元から高貴な家柄ではないので、世間の人も違った目で見るものです。また、元は高貴な家でも世を渡る手段が少なく、時勢に流され世間の評判も落ち、気位が高くとも、経済力が足りず、都合の悪いことも出てくるもので、どちらも中流とすべきでしょう。受領と言って地方の国主の中に、他人の国を治めながらも、中流の地位を占め、その中にもさらに段階があり、その中からそこそこの者が出てくる時勢である。並の上達部より、非参議で四位くらいで、世間の評判もよく、元の家柄も卑しからず、余裕を持って暮らしているのは、感じのいいものですね。家の内に足らぬ物なく、その勢いで惜しみなく金をかけて育てている娘などの、ケチのつけようもなく育っているものもたくさんいるでしょう。宮仕に出て、思わぬ幸運を掴む者も多いですよ」
などと左馬頭が言えば、
「すべて金次第という事だね」
と、源氏が笑いながら言うと、
「まさか、あなたらしくも無いお言葉ですね」
と、中将が返す。
「もとの家柄と世間の評判が揃っていて、高貴な出でありながら、うちうちの躾や作法に至らぬところがあるのは論外として、どうしてこんな娘に育ってしまったのか、がっかりします。家柄も世間の評判もよくて、優れた女に育つのは当然で、何も珍しいことではない。わたしごときが及ばぬ身分のことゆえ、上の上の品のことはさておきます」(※「A cup of coffee」を参考にしました)
まだまだ四人の品評会は続くのだが、光源氏の切って捨てるような、
「すべて、金次第ということですね」
の一言は、興醒めしてしまう。
(※原文「すべて、にぎははしきに、よるべきななり」)
千年の時を経ても、人間の本性は何ら変わっていないというのも悲しい。ましてや、誰もが憧れを抱く光源氏に、そう言わせてしまう紫式部。流石に彼女も気が引けたのか、
「あなたが、そのようなことを言うとは」
と、中将が言葉を濁させる。式部は、こうして光源氏の一言による印象をぼかしたのだろう。
光源氏のドライな一面である。
しかし、平安時代の恋愛事情は言ってみれば娯楽の一種で、現代のスマホのネットゲームのような物と思えてならない。
そんなネットゲームに、死ぬの生きるの、呪い呪われなどしている女性の姿は、何ともいじらしいと思えてしまうのも、男のサガ……。