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草葉の陰で今は亡き妻が、一番喜んでくれる! ー⑫

 この数日、書く気力がなかった。というよりも、書くだけの精神的な余裕を無くしていた。それでも、ネタだけは、ずっと考え続けていた。何とかして書きたいという思いが、一時も休むことを許さなかった。でも、書けなかった。

 昨日、安部龍太郎の「等伯」を、帰宅途中の地下鉄の車中で読み終えた。それと同時に、虚無感に襲われた。

『こんなの、書けるのか俺に?』と。

 そう思ったのも束の間で、次の瞬間には頭の中で、プロットがどんどん浮かんできた。前の作品を投稿した10月下旬から、ずっと「長谷川等伯」の資料を読み続けていた。しかも、同時に頭の中ではいろんな『仮説』が浮かび上がっては、頭の棚の脇に積み重なっていった。それらの仮説を元に、どんどん自分なりの「長谷川等伯」のプロットが、姿を見せ始めていた。しかし、『仮説』は仮設である。それらを成立せしめるための、『事実』を見つけなくてならない。それを思うと、再び憂鬱になってきた。

『どうやって、仮説を裏付ける古文書の文章を見つけるのか?』と。

 読み進んできた資料を整理すると、これまで書いてきた作品が、全てうまい具合に『リンク』していることに気付いた。「復讐の鬼・長連龍」について書いた『七つの龍の尾根』(Kindleで既刊)、『先日の松本清張賞応募作品』、そして、今回の『長谷川等伯(仮題)』。

『七つの龍の尾根』は、七尾城が上杉謙信によって陥落されてから、『織田信長による、能登の天平寺焼き討ち=荒山合戦』までを描いた。物語の主人公は長連龍(天文15年・1546年~元和5年・1619年)。『先日の松本清張賞応募作品』の重要人物の前田利政は(天正6年・1578年~寛永10年・1633年)、『長谷川等伯(仮題)』(天文8年・1539年~慶長15年・1610年)。    

 これら三作品の物語の発端の舞台は、全て能登半島。時代は前田利家が加賀・能登に乗り込んでくる前後。そして、江戸初期まで。長連龍は前田利家の家臣であり、次男の前田利政の相談役であった。しかも、連龍は能登の領地にいた絵仏師としての長谷川等伯とつながり、等伯は前田利家の正室のまつの肖像画を描き、京都の文人である本阿弥光悦を通して、同時期に前田利政と京都においてつながっていく。さら、次回作でキー・パーソン(重要人物)となる千利休とも繋がっていく。全ての作品が、この一作で完結するという、壮大な一作になる予定。書けるのか、こんな私に。

 もし、これが完成したら、NHKの大河ドラマに是非とも使っていただきたいものだ。そうすれば、草葉の陰で今は亡き妻が、一番喜んでくれることと思う。生前、妻とは毎週、一緒にNHKの大河ドラマを見ながら、「ああでもない、こうでもない。どうして、この役者がこの役なの? この役者、ハマったね」と、二人で盛り上がっていた。(※版画と本文は関係ありません)

創作活動が円滑になるように、取材費をサポートしていただければ、幸いです。