怒りの〝膝小僧〟
《トキアンナイト 第15話》
繁華街のはずれ。一組の男女がタクシーを止めた。夜も酔い客で、街がざわめきはじめた時間。クール・ビズの男は、身のこなしも軽やかに、後部座席に乗り込んだ。続いた女はというと、少し様子がおかしい。いつもの男女の雰囲気とは、かなり違う。緊迫感がタクシー・ドライバーに伝わってきた。ドアを閉めるタイミングを計るため、タクシー・ドライバーは後部座席に乗り込む女の、膝頭を見た。緊迫感が漂っている。ワンピースの裾から顔を覗かせている“膝小僧”が、怒りに震えている。どうして膝小僧が、怒りに震えていることがわかったのか? 説明できない。しかし、ワンピースの裾から顔を覗かせいている“ナマ足”の膝小僧が、強い怒りに震えている。タクシー・ドライバーは、そう感じた。
「まるで、人魚みたいだね」
明るい声で男が、女に言った。
「マーメイドだ?」
と、語気を荒げて、女がいった。それまでこらえていた女の怒りが、堰を切ったかのように、男にぶつけられた。
「取って付けたような言い方、しないでよ!」
車内は、一瞬にして凍りついた。タクシー・ドライバーは固まってしまい、視線はフロントガラスにフィックス。男は話題を変えようと、つとめて明るい声で、続けた。
「今度の月曜日が、祝日だって知らなくてさ。お得意さんに言われて、初めて気づいたよ」
「……」
「じゃあ、月曜日に、お伺いしますっていったら、お得意さんが、『Yさん、いいんですけど。月曜日は会社が休みなんですよ』って言われて、“ええ!” って」
「……」
重症だ。しかも、不倫のカップルのようだ。
「どうするのよ……」
男の煮え切らない様子に、女が業を煮やしているようだ。男は30歳代半ば。女は30歳前後。女にとっては、決断の“時”なのだろう。
あふれんばかりの緊迫感を、車内に満載したタクシーは、程なくして目的地に着いた。女が先に降りた。男が料金を払っている間、女はタクシー・ドライバーから顔が見えないように、街路樹の陰へと回り込んで、男を待っている。このあとは、タクシー・ドライバーのつたない経験からすれば、女の家で仲直り。それとも逆に、一気に破局へと向かうか。その境目は男の勇気しだい。タクシー・ドライバーはふと、自分の過去を思い出した。
タクシーは、赤いテールランプの海へと、再び戻って行った。ワンピースの“膝小僧”、がんばれ! 悪いのは、いつの時代も“男”……。