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小説を書く無上の喜び --35
時代小説が好きな会社の同僚に、
「どういう時に小説の筋を考えたり、書いたりしているのか?」
と聞かれた。答えに窮した。正直言って自分でもわからない。ただ、起きている間は四六時中考えているし、四六時中考えていない。実際には、頭にアイデアが浮かんだ時に、忘れないうちにスマホにメモる。車の運転中は無理だが、それ以外は、つとめてメモを取るようにしている。
あと、根本的なこととして生き方の領域になるが、日常の中で『思考停止』になることを一番恐れている。だから、四六時中考え続けるように努力している。自分の存在意義の喪失につながるからだ。「思考停止に陥いる」事は、生きる意欲の喪失に陥ってしまう。では、どうして「生き続けなければならないのか?」と言う問題に行き当たるが、それは、またの機会にという事で。
この数週間というもの、小説の進捗具合は芳しくない。具体的にいうと、緊張感とテンポを、どうやって醸し出すかで悩んでいる。
主人公が侍なら、斬り合いのシーンを持ってくれば、緊張感とテンポを醸し出すことができる。以前書いた武将物の合戦のシーンについて、
「黒澤映画を彷彿とさせる」
と言う評価を、その筋の人にいただいた。立ち回りのシーンには、多少の自信はある。しかし、今書いている絵師の生涯には、立ち回りは余談であり、本筋から離れる。絵師にとっての命をかけた果たし合いは、作品としての絵に、観る者をして生きる意欲を沸き立たせることができるかどうか、だと思っている。絵によって観る者に「動執生疑」を抱かせることができるかどうか、だと思っている。
そして対戦相手とは、ライバルの絵師であったり、絵を見る人である。
その結果は、絵によって完膚なきまでに叩きのめすか、もしくは無視されるか、である。
作品に込められた絵師の感情の起伏によって、侍の果たし合いの緊張感とテンポに代えることができなければ、今回の作品は失敗とみなすことになるだろう。
そんな風に自分自身に縛りをかけている。その事で自分自身で活路を見出すことができれば、無上の喜びである。
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