未だ至らず。されど心、これに向かう……
会社の同僚に、浅田次郎の「天切り松 闇がたり」を勧められた。同僚は浅田と話をしたことがある。彼はその時、作品の出来栄えについて聞いたと言う。すると先生は、
「天切り松〜は、私の作品の中で大関クラスの出来栄えです」
と、答えてくれたそうだ。
作品の内容は、明治から大正時代にかけての警察と反社の関係を素材にした作品である。読み始めると確かに面白くてぐいぐい引き込まれていく。読み進んでいくうちに、これがさらに発展すると浅田の得意とする幕末の志士たちを扱った作品につながるのだろう、と勝手な想像をして、一人でにんまりとしていた。それほど人間の生きるためのよすがを、いろんな人間にスポットライトを当てて見せてくれる。ただ、今私が書き進めている作品と、真っ向から対立する部分がある。そのために、いまはこの作品からは離れていようと決断した。
それとは対称的に「天穹の昴」は、二度目に挑戦している。二つの作品の内、一方はインで、一方はアウト。さて、どこがどう違うのか。自分の中で正確な分析はできていない。しかし、本能が無意識に区別して来た。「天切り松〜」は今はまだ、読む時期では無い、と。
一方の「蒼穹の〜」は、どんどん読み進めて、深く心の機微に食い込んでくる部分には付箋をしている。どうやったら、こんなにも涙を誘う話を書けるのか、と毎回考えさせられている。やはり先生とは根本的に生き方が違っていたのだろうか、と自分の人生を振り返らされること、度々である。先生の様に心の奥深くから涙を誘う作品は、私には書けないのだろうか。
行き詰まった時に、いつも思い返す魔法の言葉。
「未だ至らず。されど心、これに向かう」
この言葉を思い出すたびに、ちょっとだけ心が軽くなる。どこで見つけたのか、出典を思い出せないまま、頼りにしている言葉である。