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10円玉の女

《トキアンナイト 第11話》

 23歳くらいの女が、タクシーを止めた。開いたドアから顔をのぞかせ、女が言った。
「すみません。全部、10円玉で支払っていいですか?」
「いくら分?」
「710円……ぶん、なんですけど」
 最初の一言目よりも、女の声が一段低くなった。タクシードライバーは、一瞬ためらった。 
「うーん、いいですよ」
「ありがとうございます」
 ドライバーの声に、それまで固まっていた女の表情が、緩んだ。女が乗り込むと、タクシーは走り出した。程なくして、女が話し始めた。
「私、男に振られちゃって」
 よほど緊張していたのか、女は一気に話し始めた。その屈託の無い女の豹変ぶりに、タクシー・ドライバーも、一度は拒絶しかけた心を許した。
「それは、大変ですね。人生、いろいろですからね」
「私、男に食わしてもらってたから、突然、お金が無くなって。最初は、コンビニのプリペード・カードで買い物が出来たんだけど、その後は、100円玉。それが、昨日で無くなって、今日は10円玉なんです」
「じゃあ、明日は5円玉で生活ですか?」
「ううん。明日は、1円玉!」
「そりゃあ、大変だ! 早いとこ、仕事を見つけなくちゃ!」
「ううん。だから、早いとこ、次の男を見つけるの!」
「次の……男ですか?」
「そこそこ! 運転手さん、そこで止めて!」
 車は、繁華街の中で止まった。女はカバンの中から71枚を数えて、10円玉を出した。ドライバーは、それをそのまま釣銭入れの中に入れた。
「ええっ? 数えなくていいんですか?」
「いいよ。足りなかったら、サービスだ」
「運転手さん、ありがとう!」
 礼を言うと女は、屈託の無い笑顔を残して、降りて行った。
 タクシーは、軽快に走り出した。一陣の春の風が、タクシーの車内を通り過ぎて行った。
 

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カゲロウノヨル
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