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「命までは取られない」と覚悟して取材、書くことが命がけだった日々……


「一番書かなきゃいけないことは、一番書きたくないこと」と自分で書いておきながら、ずっと一番書きたくないことを、書いていなかった。
 週刊誌の現役の記者時代は、25年余り。毎日がハラハラ・ドキドキ、ワクワクの日々だった。お酒も結構、飲んだ。その筋の人に会って、政界のスキャンダル・ネタを聞き、キャバ嬢から芸能ネタをもらって。夜はネタ集めの仕事の時間だった。おかげで、“連日、午前様”だった。
 取材方法はほとんどが、張り込み・直撃。危険な問題を孕んでいるときは、向こうも命懸け。そうなると、こちらも命懸け。
 まさかと思われるだろうが、天下りした元高級官僚を自宅から出てきたところで直撃取材したときは、
「天下りのどこが悪いんだ」
 と叫びながら傘でつつかれた。そいつは、編集部に帰ると電話で、
「この記事は、何とか没にできませんか」
 と、泣き付いて来た。
 これはまだ、それほど危険ではない。
 某有名芸能人の「〇〇の娘が吉原で働いていた」という記事の時は、お店に、お客を装って入り、彼女の同僚の女の子とプレーしながら潜入取材した。記事が出たとき、
「取材した記者の〇〇はいるか!ぶっ殺してやる!」
 と、彼の事務所の人間が編集部に怒鳴り込んできた。その時私は、取材に出ていて編集部にはいなかったから、命拾いした。
 政治家の取材で「〇〇の生い立ち」を取材して記事になったとき、発行日前日に、政治家の秘書が編集部に直接抗議に来た。その時は、2週連続の記事だったものが、1回で打ち切り。政治家の地元では、その週の号は一切、手に入らなくなった。政治家の地元の書店から、政党関係者が全てを買い占めたからだ。
 やくざの抗争事件の取材で、ある組の事務所に直撃取材をかけた。その時は、
「ウチは芸能人とちゃうんやぞーっ。オンドリャ、シバイて大阪湾に捨てたろかーっ!」
 と、お褒めの言葉をいただいた。
 この手の話は、数え上がれば枚挙にいとまがない。
 大手のマスコミ各社で本格的に仕事をしている記者なら、大抵は経験しているだろう。
 しかし、一つだけ、本当に自慢できることがある。それは、記者時代に自分の関わった記事で、裁判沙汰になったことが一度しかないということ。その一度は、まさに駆け出しの時の記事。『裏取り』ができていなかった。それくらいに慎重に取材をしてきた。一番の理由は、自分を守るために。決して、あとで困る様な取材の仕方はしなかった。(※全て事実、体験です)

 現役を引退して、もう10年。これくらいなら、許してくれるかな……。


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カゲロウノヨル
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