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週刊誌の社会的な役割……
いつも乗せる女性カメラマンが、
「作家の五木寛之先生を撮影をしたよ」
と、私に教えてくれた。著者インタビューの撮影だったようだ。撮影は、雑談を挟みながら和気あいあいとした雰囲気で進んでいったらしい。
五木寛之というとやはり「青春の門」が頭に浮かんでくる。この作品は、1969年(昭和44年)6月から週刊誌に断続的に連載されている大河小説である。
撮影の間、くだんの週刊誌の話になったそうだ。
「そういえば、うちのハイヤーの運転手が、元週刊誌の記者だった人なんです。先生が連載されていた週刊誌の」
と、女性カメラマンが言うと五木寛之先生は、
「編集部らしいね」
と、五木寛之先生から一言返ってきたそうだ。その一言の真意は私には色々と想像されるが、ここでは控えたい。
私が編集部を去ってからしばらくして、事件の取材の数は激減し、スキャンダルの記事もほとんどなくなったようだ。上記のようなジャンルの記事が激減した裏には、出版社系の週刊誌を取り巻く社会的な環境の変化が、大きく影響を及ぼしたことは間違いない。
週刊誌から足を洗う時、編集者がポツリともらした言葉が、いまも脳裏から離れない。
「週刊誌の社会的な役割は、終わったのだろう」
本当にそうなのかどうかは、その真偽のほどは、歴史の証言を待つしかない。
『あの時、週刊誌の社会的な役割は終わっていた』
と、社会が審判を下す日が、来るのだろうか。
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