「心の旅」の果てにたどり着いた「人の振る舞い」の意味
この1年余り、私は日常生活の空間をそのままに、「心の旅」をして来た。日常生活は全く変わらないのだが、意識の上で全く違う世界で、多くのことを学ばせてもらった。あえて詳しいことは書かない。そこはご想像にお任せする。
その一年余りの「心の旅」の果てにたどり着いた場所は「気配り」、果ては「おもてなし」や「人の振る舞い」の「意味」だった。その結論に達した最後の決定打となったのは、一流と言われている人の「一言」だった。その一言は、私の発した「気配り」に対する、相手の方からの「気遣いの一言」だった。
私は多くの一流と呼ばれる人に接してきた。確かにその人たちが専門とする分野に関しては、知識も経験も他の追随を許さい人々である。その人たちの素晴らしい知識やテクノロジーは、人間社会をより良くしていくことに資するものである。しかし、私が接した一流と呼ばれる人々から得たものは、その専門知識や最先端のテクノロジーの素晴らしさではなかった。
一介の庶民の私が一流と呼ばれる人から得た感動は、「心遣い」である。強いては「一期一会」の中にある瞬間の「おもてなしの心」である。出会った人を、どこまで大切にできるか、それを具体的に体現する「人の振る舞い」である。
その時のその人物からの一言が、
「流石にこの人は、一流の人だ!」
と、私を納得させた。私の心に、その人の「人としての価値」が深く刻まれた。そのことによって私の人生を、強いては、その一流と呼ばれる人物の人生をどのように変えていくかは、全くわからない。しかし、出会った相手を大切にできるかどうかが、「人として最も大切なことだ」と思えた。
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