2012年、第148回芥川賞の受賞者は75歳9か月で、史上最年長記録だった……
茶道への興味から、千利休の資料を探し始めた。その中で、利休の肖像画について知った。絵は彼が六十九歳で亡くなってから四年後の文禄四年(1595年)に、完成している。描いたのは、長谷川等伯である。
等伯は、本名を「信春」と言い、能登の七尾城の城下町で生まれ育った。彼が小さい頃に預けらけたお寺が、小丸山城の西にある鞍馬山の山麓のお寺である。私にとっても、縁の深い場所である。
茶道に興味を持った事で、それまでバラバラの点でしかなかった事柄が線となり、徐々に面へと、広がりを見せはじめている。
さらに長谷川等伯を調べている時に、こんな記述に目が止まった。
“『abさんご』で、2012年の第148回芥川賞を受賞。75歳9か月での同賞受賞は史上最年長記録となった”
そうなのです。「芥川賞」を75歳9か月で、受賞した女性がいたのです。黒田夏子さんです。彼女は現在「1937年3月23日生まれの84歳」です。
長谷川等伯の資料を探していて、こんな記事を見つけてしまった私としては、
「まだ10年ある……」
と、意味のない自信を感じてしまいました。
「芥川賞」を取った作家が、みな大成しているかというと、そうではないけれども。この賞は、大きな一里塚であることには間違いない。
また、長谷川等伯に付いては、安部龍太郎先生が、等伯の生涯を描く長編小説を書いている。2011年1月から2012年5月まで、日本経済新聞朝刊に連載され、2012年には同社から上下2巻の単行本で刊行されている。そして、同作品は第148回直木賞を受賞している。
もし私が長谷川等伯を書くとしたら、安倍龍太郎先生とは違う視点から書かなければ意味がない。そんなことはできそうにないが、なんとか書き上げてみたい。ここでこんなことを書くと、“ 虚言癖のある奴 ” と烙印を押されそうだが。これまで私は常に、有言実行で生きて来た。そして、宣言することで自分を追い込んできた。
等伯は、千利休や豊臣秀吉らに重用され、狩野派を脅かすほどの絵師であった。それなのに、相反する金碧障壁画と水墨画の両方で、彼の画風を確立している。
その一面として、等伯といえば『松林図屏風』(東京国立博物館蔵、国宝)が有名である。私はこの水墨画を見たとき、能登の冬景色を思い浮かべた。日本海側の冬の重く垂れこめた雪雲、終日重く暗い空が、白と黒の水墨画の世界を作っている。そのままの風景である。
長谷川等伯と同じ空気、水、景色を見ながら育ったのかと思うと、死力を尽くしてでも、なんとか彼の生涯の物語をものしたい、と心の奥深く思った。