仏法聴聞 廃立
こんにちは。まだ暑い日が続くところと涼しくなってきたところがでてきたようです。
日本社会も世界も動きつつありますが仏教では今現在私自身はいかが、仏や浄土はいかがという問いと答えが言われるかと思います。
浄土真宗では覚如上人より廃立といわれ問われながら答えを明示されることが伝わっています。宗学ではメインではないようですがわかりやすいかと思います。廃立とは拾いものと捨てものということです。暫用還廃、しばらく用いられかえって廃せられるということがあるのです。
一つに聖浄廃立、聖道門と浄土門に分かれるということです。
仏法を求める、仏教を求めるというのも悟りを開き多くの方々を救う働きとなるのが目的であり、そうあり続けることです。このことに修行をして自ら悟りを開く道を聖道門と言います。
一方で修行の環境や能力の劣ったもの、やる気がなかなか続かなかったりするものはどうしたらいいのか。そのようなものには浄土門、阿弥陀仏の極楽浄土へ生まれてそこで修行して悟りを開く、もしくは極楽浄土へ生まれて即悟りを開くという浄土門です。
二つに真仮廃立、自他力廃立とも言われます。真実報土に生まれる他力信心念仏往生をいただくことと、仮の方便の化土に往生する自力念仏で浄土に生まれたいと願うことの違いです。
元来は浄土に生まれてそこで修行して悟りを開くのですが親鸞聖人は浄土往生即成仏をいただくと仰られます。この世で悟りを開くことが難しい人には浄土門のうち、念仏する念仏往生を願うのです。他力信心をいただき他力念仏をとなえる人は極楽浄土に生まれられるのです。しかし阿弥陀仏の本願に疑い信じ受けず仰せも自力でいこうと思ってしまう人もいると言われます。
お聴聞というのも仏教、仏法を聞き求めるのですが、浄土真宗では阿弥陀仏の本願、とりわけ第十八願を聞き、十八願成就文を聞くとも言われます。このことを仏願の生起本末を聞き疑いないのが他力信心と言われます。
なんとも硬い話だなぁと思われる方もおられるかもしれません。
そこでどうして生命や真実や善悪が重要なのか、なぜ宗教が重要なのか、なぜ仏教なのか、ということも含めるといくつか取捨選択が問われると思います。
命が大事なら自殺は悪というのか、何もかも貫く真理はあるのか、人間にとっての永遠の課題はあるのか、それは善悪なのか、と考えていけるかもしれません。