絶対的幸福と相対的幸福と諸行無常 2
年末も差し迫り今年を振り返りますと色々なことがありました。ほとんど忘れて今目の前のカップうどんを啜るくらい。
中村元先生のCDで、仏教はいわば釈尊の幸福論とも言えましょう、というようなことをおっしゃったように思います。
この幸不幸というのは厄介で、明日不幸になりたい人はいないでしょうし、今日もこの瞬間も幸せでいたいものです。そういった民衆心理、大衆の心理に訴えかけるものは多数あり、政治も経済も宗教もやれば不幸になりますよなんて自分から言わないのであります。
政治家がマイクを持って街宣車の上で「私に投票したら日本も世界も破滅に導きます」というのは幸福実現党の「みんなの貯金を全て日本の債券に充てたら大丈夫」というくらいでしょう。
経済評論家や社長方が「うちの会社に入ったら人生破滅します、社長一家の奴隷になり末端は使い捨てです」などと会社のホームページにもありませんし入社試験や面接でも言われません。聞こえてくるのはブラック企業の死亡事故や横領やイジメの訴えでようやく分かります。
宗教も「この教団に入ったら人生終わります。不幸の連続が起こり先祖は地獄で怨み生まれる子供にも非行が降りかかり、パワハラやセクハラどころか性加害に死亡事故隠蔽もいっぱいしてます」なんて言うはずがありません。詭弁がものすごい教団の筆頭は旧統一教会である世界平和統一家庭連合でしょう。元信者の話を聞けばどういう教団でどういう人たちが入って、どういう人が教祖でどうマインドコントロールするか分かるかと思います。
むしろ政治は経済や宗教を民衆コントロールの道具であり、経済は宗教や政治を宗教ビジネスやら社内政治やら出世競争の給与規定が気になり、宗教は政治や経済を自集団に集め他では真理でもなく真実でもないと一段下に見る傾向があるかと思います。
そりゃそうですが、それぞれの視点からは面白く見えたりするし重要性に気づかず未来が奪われかねないのを拾い広い視野で察知して難を逃れることもあるかと思います。
また長くなりそうなのでここで区切ります。