航海士 感想
先に聞かせていただいた航海士の話で連想されました。
航海士という職業を全く知らなかったことと、海に出るのってそんなに危ないんだなと思いました。思っただけで海の仕事につきませんが、自分が知らない世界を聞くのは想像を掻き立てられ、まるで大海原を航海する気分にはなってしまいました。
世の中過ごすには体力と知力があると底力が違うのだなと思いました。海に出れば自動で魚が食べられるくらいにしか思っていませんでした。
お聖教を開かせていただいているとあちこち似た単語に気付かされます。太陽や星や月が一つありました。
化身土巻にはまるで占星術かのように星と運命かのように記述があり今までは星占いも昔はよくやったな位にしか思っていませんでした。
しかし自分の運勢とか学生気分で遊びでやっているのではなく、政治や社会動静に民衆の食べていけるかどうか、まで司っていたのがこれほどまで直結していたのではないかと少し思いました。
ご飯をいっぱい食べると幸せです。けれども今の飽食の時代ではなく、豊作か不作か天候や季節に左右された時代は数千年、数万年あったか、いや数百年あったのでしょう。全くわかっていませんでした。
その太陽や星や月の動きで、化身土巻に引用されていたのは、それだけ人生は自然とともに生き死んでいっていたことから重要で、食べることに直結していたので大事なことだったのではないかな、と思いました。
なにも読めていないので想像でしかないのですが、それほどまで人生で重要なことも、一生懸命に生きたことでも化身土巻に、しかも後半の外教邪偽と分類されてるのかも面白く思いました。『大乗大方等日蔵経』巻第八「魔王波旬星宿品」第八とありますので経典なのですが、浄土教ではないということなのですが、人間、地球人にとって生活や死生観に影響あることでも厳しく分けられるのだな、と思いました。
まだ他にも思いました。