【モーリス・ドニ】ブルターニュ展で宿命的な出会いをした。
五月下旬午前11:30頃、上野に降り立った。この日の目的は東京文化会館でバレエ『ジゼル』を鑑賞することだった。私は朝二時間だけスーパーの掃除をした。五月に入り気温の変化が激しく不眠が続いていたので、家で少し休んでバレエが始まる午後に上野に着けば良いと思っていた。しかし以前から気になっていた西洋美術館の「憧憬の地 ブルターニュ」展を再度スマホで検索したらなんとなく素敵だなあ、フランスっていいなあとぼんやりした気持ちになった。やはり行かないと勿体無い気がするという動機で動き始めた。朝の掃除バイトで埃まみれになっていたはずだがシャワーに入る気力体力もなかったので、適当に汗拭きシートで体だけ拭いてワンピースに着替えた。
西洋美術館には12時前に到着したが、バレエは14時から始まるのでかなり急いで展示を回らなければいけないと思った。13時には軽食を取りたかったので鑑賞時間は一時間ほどしかない。
チケットを購入し、展示ルートに入るとそこはたくさんの人で埋め尽くされていた。鑑賞客は一枚一枚の絵画に見入り、解説もしっかりと読み、写真可能な場所では写真撮影も怠らず、展示ルートは長蛇の列になっていた。その列に参入する時間はなかったので、解説をざっと読んだり読まなかったりして、大きな絵画だけを遠目に数秒から数分単位で見ていくことにした。モネ、ゴーガン、ミシャなど有名な画家の作品が並んでいた。数々の画家がフランスのブルターニュ地方をモチーフに独自の表現で作品を残した。
全体を鑑賞し終え、私はこれまでの美術鑑賞では感じることのなかった多幸感に包まれた。それは【モーリス・ドニ】という画家に出会えたからに他ならない。彼の作品に出会えたことだけでこの展示会を訪れた意味があったと思えた。
彼の作品は、私の空想する「幸福」や「天上」のイメージを精確に描写していた。彼の作品のやわらかな色使いと線で縁取られた人やモノや自然。彼の絵画が放つ人間離れした神秘的なエネルギー。彼の作品ひとつひとつに魂が宿っていて、親密な温かみと神的な近寄り難さが共生していた。
自分の中になんとなく在った「表現され得ぬ観念」に、完全に形と色と正気を与えてくれた。自分の魂の居場所を見つけた気がした。彼の描く世界にすっぽりと包まれたいと、彼の描く世界に住まいたいと心から思った。
今まで芸術鑑賞をしてこんな気持ちになったことはなかった。
これが芸術の持つ力なのだ!と実感した瞬間であった。
モーリス・ドニの描く作品が自分に近く感じたのはなぜなのか。それは彼が日本画の様式を取り入れていたことと宗教芸術のリバイバルをしていたからではないか。私は美術の勉強をしているわけでもないし、理論に基づいた審美眼があるとも全く言えない。だが、彼の絵画の根底に流れる「心地よさ」は日本人の芸術性と神的な抱擁感にあるのかと思ったりする。
今回のように展示を短時間で回ることはなんだか勿体無い気もしたが、印象に残った絵画が脳裏に鮮明に焼きついたような気がした。そして自分にとってのよすがのような存在になる画家も見つけられた。