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11) 掩体壕の見学会

戦時下の松山で、偵察機【彩雲】など軍用機を格納していた【掩体壕】が、市の文化財に指定されて後、はじめての見学会(7/25)がある。

掩体壕が残る松山空港の方面には、亡母の実家もあって、小さい頃、カマボコみたいな姿を眺めては「あれ、なによ?」と、よく問うた。

2017年の夏には、偵察部隊の元・隊員、杉野富也さんに、現地を案内いただき、お話を伺う機会に恵まれ、その内容は新聞記事になったりした。

その年の暮れ、92歳で亡くなった杉野さん・・・戦争を語り継ぎ、平和の大切さを伝える活動が、文化財の指定、そして今回「語り部」を交えた見学会の開催につながり、きっと喜んでいる、と思う。

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敗戦時、20歳だった若者は、現在、96歳

当事者の語りは、年月を重ねるたび、その継承に困難をともなうが、それを引き受け、語りを引き出すのは、わたしたち「聞き手」の存在態度にもよるだろう。

1945/3/19・・・この掩体壕から飛び立った偵察機の機長、操縦士、通信士(父方の親類=私の祖父の従弟)は、地上に戻ることなく、みずから語ることのない当事者となった。

語りえぬ当事者に、沈黙の声があるならば、その聞き取りを可能にするのは「語り部」と「聞き手」の応答的な関係も、そのひとつだろう。

この見学会をきっかけに、そうした対話の場が開かれるとき、教条的な言説からではアプローチ不可能な【当事者性の連鎖】といったものも、起こるかもしれない。(そこを目指してこそ、夏休みの自由研究もお任せ〜だろう)

募集しめきりは、来週14日。定員30人ほどで、多人数の場合は抽選らしいが、たくさんの「聞き手」が集まれば、空の上の杉野さんたちも、うれしいに違いない。

(わたしも、当事者たちにつながる者として、我が子たちを誘い、とりあえず申し込みだ~)

つづく〜12◉紫電改343とフィクションの想像力

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