影浦弘司

ライフワークとして探求する、テーマ群についてのエセー(随想録)を、マガジン掲載しています。

影浦弘司

ライフワークとして探求する、テーマ群についてのエセー(随想録)を、マガジン掲載しています。

マガジン

  • ■ ハンセン病資料館・紀行

    各地のハンセン病に関する資料館、史跡、記念館への見学の記録です。

  • ■ 映画についてのまとめ箱

    1989年・・・16歳から見てきた、20世紀の映画芸術へのオマージュ

  • ■ 紫電改〜彩雲ノート

    西宮から松山、熊本から信州へ・・・戦記から生活史をつむぐ 【ヘッダー画像★中島艦上偵察機【彩雲】11型/11型夜戦, /彩雲改(フジミ模型1/72パッケージ)】

  • ■ 伊丹万作の水脈

    映画人・伊丹万作の広範な交遊関係をひもとき、友情を復権する試み。

最近の記事

オール(櫓)のない舟のゆくえ〜映画『福田村事件』雑感

何年か前、水俣をテーマに、ジョニー・デップが撮った映画について、テキストにしたことありまして、 その【MINAMATA】・・・参照枠になるかも と、不意に思ったのは、 田中麗奈さん演じる、モダンガールは、朝鮮に進出した日本企業・・・ その重役の娘という設定で これ・・・水俣で、深読みすれば、その企業とは、のちのチッソとか? (戦時中、朝鮮で、事業拡大したので) 朝鮮での、日本の帝国主義、植民地経営の悲惨から、逃れるように故郷に戻った主人公は、大正モダニズムな、モダンボーイ

    • 15) 高知「四国カルスト」三魂之塔への再訪

      愛媛〜高知の県境【四国カルスト】・・・澄んだ空気と、高く広がる空 その牧歌的な風景の南側の山麓は、高知県、津野町、芳生野(よしうの) 3人の若者が、偵察機【彩雲】とともに、命を散らした、ここに、現地のみなさんによって、おおきな慰霊碑が、建立されています。(ちょうど50年前) 四国カルストを、バイクで横断〜 そんな楽しい予定も・・・8月11日の現地周辺は、けっこうな、土砂降りで☔️! 記者さん、撮影班のクルマに便乗しての「再訪」でしたが(こちら放送動画です。 10月15

      • 多磨全生園を歩く

        2016年2月16日、並びに、2017年1月29日の投稿より。

        • 【加藤拓川】颯爽、登場 〜安彦良和氏の漫画『乾と巽』

          【安彦良和】氏といえば・・・小さいころ見た【コンバトラーV】にはじまり、 【クラッシャージョウ】の挿絵、【ガンダム】のキャラクター造形、 【アリオン】で漫画をスタート、【虹色のトロツキー】の衝撃などなど、 その画業と創作に、わたしなんぞも・・・多大な影響を受けたものだが、その最新巻『乾と巽 ザバイカル戦記』に、なんと、【加藤拓川】が、颯爽と登場してきて、おおー、と胸がおどります。 本名、恒忠(つねただ) 1859年(安政6) -1923年(大正12) 外交官、政治家。(ほ

        マガジン

        • ■ ハンセン病資料館・紀行
          4本
        • ■ 映画についてのまとめ箱
          5本
        • ■ 紫電改〜彩雲ノート
          15本
        • ■ 伊丹万作の水脈
          2本

        記事

          【うん】という発話の淡い〜アストリッドを演じる声

          石山くんと私の【バディー】で解決した 「幻想交響曲」事件・・・ (↑こう書くと、かっこいいな。まあ、事実だし。石山くん=高校からの友人) その探求の過程で、疑問氷解の裏付けを与えてくれた、ブロガー氏の記事(ブーレーズ逝去)・・・ほかにも、興味深い内容が書かれている中、お!これは(バッハを愛する自閉症・・・)・・・と、わたしのゴーストが「見ておきなさいね」と囁いた、フランスのテレビドラマ【アストリッドとラファエル】 テレビドラマ・・・見ずして10何年・・・ (いま、はじめて

          【うん】という発話の淡い〜アストリッドを演じる声

          加東大介・賛! 〜【大番】と【南島】と【侍】

          ★「時代劇の父」と呼ばれた映画監督【伊藤大輔】・・・その故郷は、宇和島 ・・・城下の南に「元結掛(もとゆいぎ)」という土地があり、ここは、明治の実業家【土居通夫】の、同じく出生地だったりしますが(彼の偉業は数多いが、通天閣の「通」は、土居通夫の名に由来する) さて、そんな宇和島には、映画人・伊藤大輔について語れば、右に出るもののない、ものすごい、映画通がいらっしゃる。 ということで、先日、宇和島の教会、イースター礼拝の帰りに、お訪ね〜 わたし、30年くらい前・・・伊藤

          加東大介・賛! 〜【大番】と【南島】と【侍】

          文芸誌【楽天】・・・タイトルの由来を探偵する

          松山城の北東に位置する【松山神社】・・・その石段は、けっこうハードだが、登りきった社殿、門前から広がる景色は、たいへん見晴らしよく、お城山のすがたは、この鬼門の守りから眺める方角が、ベストポジションではないかしら。(タイトルバックの写真が、それです) なんてこと、思いながら、はじめて訪れた、このお社・・・創建したのは、松山城を築いた加藤嘉明で、その後、江戸時代の中ころ、松山藩の松平家が、現在の高台に移した。昔は、そのものずばり「東照宮」と言ったとか。つまり、祭神は、徳川家康

          文芸誌【楽天】・・・タイトルの由来を探偵する

          村上霽月から、雷公(森田雷死久)にエール!

          (わたしの)父祖の地・・・伊予市「唐川」・・・松山の南に稜線を描く、障子山の麓にひらけた、この山間地には、中世以降、近代に至るまで、興味深いエピソードが、たくさんあり、そのきっかけは、くだんの偵察機「彩雲」ですが、 それから歴史を遡ると、和田伝の農村小説「ここに泉涌く」であったり、土佐・長宗我部との合戦に、太平記の宝剣、さらには、神話時代〜神功皇后の伝説など、 まあ、枚挙にいとまない、というか、こうした文化的な話だけでなく、先日、はからずも、50年ぶりに日の目を、あてるこ

          村上霽月から、雷公(森田雷死久)にエール!

          14)長野「大町」〜ミノル青年の進路希望

          大中とは【大町中学】のこと。(松山中学なら、松中だ) いまでいう高校で、地方の旧制中学は、その地域でも、ちょっと頭の抜き出た、子どもたちが学び、友と語らいながら、それぞれが【希望】する進路を、見定める場であることは、いまも変わらない。 しかし、その当時、旧制中学には【志願兵】の生徒を拠出するよう、軍から割り当てがあった。それは、空気のような同調圧力によって、志願を強要する。 だれが、手を挙げるか・・・とは、たいへん、悩ましい問題であったろう。 その中で、ミノル青年は、親

          14)長野「大町」〜ミノル青年の進路希望

          伊丹万作と永井叔〜交響する交遊圏

          文芸部と演劇部をハシゴしていたので、卒業後の90年代前半、友人たちと芝居づくりを楽しんだ。最後の公演は、伊藤大輔の連鎖劇をふまえた悲喜劇に仕立てたが、もうひとりの映画人・伊丹万作を中心に、大正末/昭和初年の松山、おでん屋「瓢太郎」に集った青春群像も魅力的で、どちらから舞台化するか、そうとう悩んだ。 前作が、満洲の料理屋にエノケンをかたる慰問一座がやってくる設定で、飲食店が舞台のコメディ続きもどうかと、まずは伊藤のパッション、お次は、伊丹のユーモアでと、構想をめぐらした日々から

          伊丹万作と永井叔〜交響する交遊圏

          大江健三郎さん【十七歳の文学】について

          昭和が終わった1989年からの3年間・・・【松山東高】という学舎で、文芸部と演劇部に、片足づつ突っ込んでいた青春期・・・それぞれの活動における大先達こそ、大江健三郎と、伊丹十三であった。 (その来歴について、最近たまたま【同窓会誌】に寄稿したテキストは、こちら) さて、その文芸部では、文化祭にあわせて【掌上】という文芸誌を発行しており、1951年、大江氏が高校2年のとき、第2号の編集に携わったことが、その後記から分かる。 その文中に「前の号を編集された池内さん」とあるのは

          大江健三郎さん【十七歳の文学】について

          ムササビの五技! 〜俳人・森田雷死久の多面体

          序 ◉ 森をみて、さらに森に分け入る2022年の秋、【森修】作品展「青い鳥、何処」を開催するにあたり、その監修を頼まれ、興に乗って、図録を作っていた頃のこと・・・ たまたま、【森盲天外】という郷土の社会事業家についての講演会に参加〜 「ああ、ふたりとも、森さんやなあ、同じ名字だなあ(・・・そう、こういう調子で、同姓の戦死者から【紫電改~彩雲】についての探究もスタートしたのであった)」などと思いつつ、とあるサイトの人物紹介のページで、その森盲天外のすぐとなりに並ぶ、【森田雷死

          ムササビの五技! 〜俳人・森田雷死久の多面体

          黄巾、公金に囚われるに際し、脱色する試み

          1■ 2023年の劈頭・・・ 内閣府・企業主導型保育事業の仕事はじめか、その「報告サイト」が改名されたのだが・・・なんと【公金管理システム】を、名乗りはじめた。 「公金」なのだそうだ。 前世が(たぶん)・・・【黄巾党(賊)】のおいらとしては、おもわず、噴いてしまった・・・呵呵と。 蒼天已死(蒼天すでに死す。つまり、既存のシステムは、制度疲労の果て、だいたい終わっている、という意)・・・のはずなのだが、腐っても鯛・・・なのか、なんなのか。 お金に色をつけるものではない

          黄巾、公金に囚われるに際し、脱色する試み

          菊池恵楓園 / 本妙寺 / リデル、ライト両女史記念館

          ①【菊池恵楓園 歴史資料館】 国立療養所の付属施設。今年5月、リニューアル・・・某社による、今風のキレイな展示は、複製が多く、事前予約の見学会も、ガイダンス映像のあとは、展示室の自由見学で、今後、プログラムの充実に期待したい。 ②【肥後 本妙寺】 1940年、ハンセン病の患者が多く住む集落があり、上記療養所などに、強制収容された。 ・・・日蓮宗の古刹で、加藤清正の墓所。住民たちは、療養所に隔離された後も、初代藩主への信仰から、その木像を作り、祈願したという。 ③【リデ

          菊池恵楓園 / 本妙寺 / リデル、ライト両女史記念館

          13) 熊本「天草」〜高田満・機長の故郷を訪ねる

          【彩雲】という偵察機に共に乗り込み、1945年3月19日、愛媛と高知の県境の空で戦死した3人の若者(数字は享年) ・高田満(機 長、熊本県、26) ・遠藤稔(操縦士、長野県、22) ・影浦博(通信士、愛媛県、21) 最初に、機長の高田満さん、どのような青春をおくった方なのか・・・2022年10月、天草の倉岳町に、遺族を訪ねました。 松山からフェリーで小倉へ。九州を一路、南にバイクを走らせる。天草五橋をぬけると、山頂からの絶景が、素晴らしい「倉岳」ふもとの旧家に到着。 (

          13) 熊本「天草」〜高田満・機長の故郷を訪ねる

          伊丹万作の水脈 ① 明石海人

          ここんとこ、映画監督【伊丹万作】(1900−1946)から連なる「青春群像」について、30年来、寝かせてた宿題に取りかかる中、このエッセイ(1941年)のこと、はじめて知った。↓ 青春群像とは、同郷の同窓生に、伊藤大輔(映画監督)、中村草田男(俳句)、重松鶴之助(画家)、白川晴一(社会運動家)らがおり、大正デモクラシーのもと、こうしたメンバーの交遊が、各自相互の芸術、社会運動を開花させた。 その青春期について、いろいろ資料をあたる中、そこから派生して、伊丹晩年の交遊にも、

          伊丹万作の水脈 ① 明石海人