第四回「親愛なる相棒ガイア氏に作品をオススメしてみよう」
ガイア、お前は運命を感じることは常にあるだろうか?
どんな辛い状況でも、それが幸運の前触れだと感じたことはないだろうか?
事故と悪運の発生率が両立して高い私には、そういった経験が山ほどある。
大事なのは、それをただのラッキーと思って流すか、運命のおかげだと感謝するかだ。感謝によって人は悪運に気づけるし、ラッキーだと思って自分が変わらなければ運命にいつか見放される。
何だかフンワリした怪しさの自己啓発だが、私は映画を見てそんな気持ちにさせられることが多い。
今回、私が紹介するのは運命=脚本=神に翻弄された群像劇映画『パルプフィクション』だ。
ストーリーは……どこから話そうか。
冒頭でチャラいカップルが銃を持って強盗をするところからOPが入り、それが開くと場面変わって物々しさ漂う黒スーツの男2人が国によってハンバーガーの呼び方が違うことについてダベる。
「フランスは“ポンドバーガー”じゃない、メートル法の国だから」
「じゃあ何て呼ぶんだ?」
「“チーズロワイヤル”(笑)」
「“チーズロワイヤル”だってw じゃあ“ビッグマック”はどうなるんだw」
「“ル・ビッグマック”(笑)」
こんな感じの会話を10分ほど続かせながら、殺し屋の2人は標的の部屋に押し入り、そこにあったチーズバーガーを手に取る……
先に言っておくと、この映画は複数の視点から物語が展開されるオムニバス形式であり、時系列もシャッフルされている。
運命の視点に選ばれた主人公は3人。殺し屋2人(演:ジョン・トラボルタとサミュエル・L・ジャクソン)と八百長ボクサー(演:ブルース・ウィルス)がそれぞれ独自の物語でアクシデントを起こし、他2人も巻き込む。
舞台が裏社会なのもあり、人は誰であろうと呆気なく惨たらしく死ぬし、どこにでも悪意とトラブルが潜んでいる……そんな世界で生き抜くには運命と信念が必要となり、 主役によってそれが明暗を分ける。
小気味いいが無駄な会話とアングラな世界観、そして場当たりめいた脚本は『パルプフィクション』というタイトル通りに大衆娯楽用の三文小説めいてるが、実は計算された脚本構成と画面内の役者配置による、命と信念の駆け引きが繰り広げられていて常に見飽きない。
常に言い争いをする殺し屋2人、殺し屋に狙われるボクサー……皆それぞれが自分の意見を持ち、それが対立しあうことによって物語の結末が予想出来ない緊迫感を生んでくれる。 最終的に自分の取った行動と立ち位置によって、3人の運命はそれぞれの結末を迎える。 時に生、時に死を……
ガイア、もしお前がいきなり銃の連射に狙われ、しかし銃弾が全部外れたとき……もしくは強盗カップルに襲われ大事なものを手放さなきゃ死んでしまうときに……どんな行動を取るだろうか。
そしてその場で生き抜いたとして、その一歩先で再びトラブルに見舞われたとき再び生き残れるか?
自分が辿った運命に意味をつけるなら、信念が必要になる。
ボクサーは幾多の人が尻の穴に隠して守り抜いた金時計を自分も守ろうという信念を抱いた。
サミュエルは自分に訪れた幸運を人生の転換期である運命だと捉えた。
トラボルタは幸運はあくまで幸運だとリアリストな意見を覆さない。
彼らが辿った脚本全ての展開に意味があり、しかしそれは下らない展開なオチかもしれない。
人生は一寸先が闇であり、そして下らなくも愉快で痛快、信じるもの次第で変わる三文小説でもある。『パルプフィクション』を見ると、そんな前向きな気持ちで運命と共に歩むことが出来るのだ。
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