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ライデン瓶について、後編5:エレキテル

日本において摩擦起電機、いわゆる「エレキテル」について書かれた最古の文献は、後藤梨春 (1697-1771)『紅毛談(おらんだばなし)』(1765) です。

後藤梨春『紅毛談』明和二年
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko08/bunko08_c0200/index.html

○ゑれきてりせいりてい

是は諸痛のある病人の痛所より火をとる器なり。ヱれきてりとは、此道具を工夫して成就したるときの人の名を、今は此道具の名とす。

人の身中より火をとる事あやしきに似たりといへども、人は水火の二つにて動揺するものなれば、其理なきにしもあらざるべし。

すでに天竺の釈迦仏は沙羅双樹の下にて入滅有しに、身中より火を発し、身中ことごとく焼舎利となりし事、これ諸人のしる處なり。また仏経にも不動明王などいふて総身より火炎を発するなど畫そら事にてもあるまじくや、右の理をとつて仏経にときたまへるならん。

また中華の書にも南蛮火をふくの戯といふ事往々見えたり。又列仙伝には火をふき出せし道士もこれあり。

これらは異域の段、ちかくは文治の頃かとや、京畿壬生の道のかたわらに一人のあまの死せたをれ居けるに、犬来たりて胸のあたりを貪りけるを人々あやしみ見けるが、忽ち火もえ出て総身をみなやきつくせしとなり。かかる奇異なる事ゆへ、京極定家卿の日記にも見えたり。

今も又婦人闇夜に髪を梳るときは火の出る事あり。

是等より蕃人の工夫して作り出せるものならん。平人の目よりは怪るれど数萬人の生質によりかかる類も有にや後證のためしばらくここにしるす。

『紅毛談』

筆者は何をどう勘違いしたのか「ゑれきてり」を発明者の名前としていますが、無論そんなはずもなく、「ゑれきてりせいりてい」とはオランダ語の Elektriciteit の音写でしょう。

そして、これを医療器具と捉えているわけですが、電気を発生させるのではなく、逆に身体から「火」を吸い出すものだと考えており、人体発火現象だの何やら見当違いなことが書かれています。ただ「婦人闇夜に髪を梳るときは火の出る事あり」という件は、偶然にも正しく静電気現象にまつわるものかもしれません。

ゑれきてりせいりていの圖

此器横二尺計、幅八九寸、高さ一尺五六寸、内に車二つあり。箱のうへに筒ありて、其中より針銅を出す。其はりがねを痛所ある病人にもたせ療治する人は車をまわす。しばらく車をまわせば病人のもちたる針銅へ響動する事有。其ときに療治の人痛所を指の先にてつけば、忽ち火出るとなり。我友に髭髯斎といへる人、此療治を長崎にて受けたりと云。

『紅毛談』
『紅毛談』

この図は一応ガラスシリンダー式の起電機であるように見えます。18世紀半ば頃からの起電機はガラス球に代えて円筒を摩擦するものが増えていました。シリンダーからは導線が一次導体に伸びているのが見え、そして一次導体が絹糸によって絶縁支持されているところは妙に正確です。ただライデン瓶は使用されていないようなので、大した威力は得られなかったでしょう。

それから20年ほど後の、森島中良(1756-1810)『紅毛雑話』(1787)では、「後藤梨春著す所の紅毛談に出せる図は、真物をみづして書けるなり。今左に図する物は家蔵の「エレキテル」を図写したるなり」として、同タイプのエレキテルの詳細な図解があります。

森島中良『紅毛雑話』天明七年
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/wo07/wo07_01526/index.html

箱大さ縦一尺五寸、横一尺、深さ八寸、板は何にても有るにまかすべし。

甲:此車板にて作る。廻りに調を懸ける溝を掘る。棒は鉄なり、持て廻す柄あり、図の如し。

乙:此車硝子にて作る。軸は鉄なり、軸の元に調を懸ける小き車あり。

丙:此金物鉄の薄金にて作り、地板へ打付る。これは硝子車へ蒲団を押し付ける科なり。

丁:此調木綿糸にて縒る。

戊:此筒真鍮にて貼る。両の小口に指ほどなる穴を明け、図の如く真鍮の鎖を巻付け、其の余りを垂れて硝子車へあたる様にす。是より上へ気を伝ふ。

己:此柱真鍮にて作る。上に二ツの小孔あり。繭糸を通じて其糸へ横筒をはさみ、図の如く箱の縁に立てるなり。

庚:此糸は金糸なり。横筒を挟みたる糸の間より引出し、其の端を人に持たしめ、または「辛」の符の盤へ結びつけて気を伝ふ。

辛:此盤真鍮にて作る。人を座せしむる床の上へ居え、堅棒へ「庚」の符の金糸を結びつけ、さて盤の上へ米粒又は紙の細かに切りたるなどを乗せ「壬」の符の棒を上にかざせば琥珀の塵を吸ふよりは甚だしく吸上げるなり。

壬:此棒真鍮の薄金にて作る。是にて気をさそふなり。

癸:此台は人を座せしむる床の足の下へ敷きて地の気を隔つ。内へ溶かし込れたるは脂なり。もし傍なる人、床の上へ手をさゆれば忽地の気をうつす故、決して火を出さず。

『紅毛雑話』

アースから絶縁することを「地の気を隔つ」というのが良いですね、陰陽五行的で。しかしやはりライデン瓶が無いので、笑っていられる程度のショックしか与えられなかったでしょう。

『紅毛雑話』

『摂津名所図解』(1796~8)の「唐高麗物屋」の図でも、同じ様なエレキテルで、同じ様なことをしており、後ろには「細工人大江 ヱレキテル」と書かれた箱が見えます。この頃には国産のエレキテルが普通に存在していたのでしょう。

『摂津名所図会』 四上、寛政十年
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ru04/ru04_03651/index.html

エレキテルといえば、風来山人こと平賀源内 (1728-1780)が何と言っても有名ですが、彼がエレキテルについて書いたものは意外に乏しく、『放屁論』(1774 / 1777)に見える程度です。まこと尾籠な題のこの著作は、前編は曲がりなりにもある種の芸術論となっているものの、後編はエレキテルの原理の説明と称しながら無関係の話に終始して最後は夢オチというしようもない代物です。

其位にあらざれば其政を謀らず、身の程知らぬ大呆と己も知って居るさうなれど、蓼食ふ虫も好々と、生れ付きたる不物好、わる塊にかたまつて、縁の下の力持ち、むだ骨だらけの其中に、ゑれきてるせゑりていと、といへる、人の体より火を出し病を治する器を作りだせり。抑此器は西洋の人、電の理を件て考へ、一旦工夫は付けけれども、其身の生涯には事ならず、三代を経て成就しけるといへり。阿蘭陀人といへども知るものは至って少く、固より朝鮮唐天竺の人は夢にも知らず、いわんや日本開闢以来初めて出来たることなれば、高貴の旁を初として見ん事を願う者夥し。

風来山人『放屁論後編』

概ね『紅毛談』と同じ説明ですが、エレキテルを「電の理」によるものとしているのは流石です。フィラデルフィア実験から25年経っているとはいえ、一応これは先端的な科学知識であったといって良いでしょう。

「三代を経て成就しけるといへり」というのは、ただの法螺でしょうが、一応史実に当てはめてみれば、①ゲーリケ(硫黄球回転)、②ホークスビー(ガラス球回転)、③ゴードン(ガラス筒回転)といったところでしょうか。

『放屁論』で「ゑれきてるせゑりていと」を作ったのは架空の浪人ですが、御存知の通り平賀源内は実際にエレキテルを製作しています。

源内が「ゑれきてる」の贋作者を訴える訴状によると、エレキテルの製作に成功したのは長崎逗留より7年後の11月のこと。そして源内が長崎に行ったのは宝暦二年(1752)と明和七年(1770)ですから、後者より7年後であれば安永五年(1776)完成と考えられます。

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1912999/1/369

しかしながら、源内作のエレキテルとされるものは2台伝わっており、それぞれの正確な製作年代となると良く分かりません。

一つは香川県さぬき市の平賀源内記念館所蔵。外観は装飾のない簡素な仕上げで、内部機構は金襴を巻いた筒とガラス瓶を歯車仕掛けで対向して擦り合わせる仕組みになっています。一次導体が上に突き出す独特のスタイルで、絶縁は松脂。やはりライデン瓶はありません。

https://hiragagennai.com/images/elekitel.png
http://www2.iee.or.jp/ver2/honbu/30-foundation/data02/ishi-11/ishi-0405.pdf

もう一つは郵政博物館所蔵。これがエレキテルとして一番よく知られているものでしょう。

https://www.postalmuseum.jp/collection/genre/detail-133313.html

起電機構は『紅毛雑話』の物と大差ありませんが、注目すべきはライデン瓶が使用されていることです。2つのフックになっている一次導体はライデン瓶から直接上に突き出しています。

しかし、このライデン瓶と見えるものは、その実ただ鉄屑を詰めたガラス瓶で、外部導体を持たないらしく、その上ご丁寧にも松脂で筐体と絶縁してあるというのですから、これではコンデンサーとして機能することは期待できないと思われます。

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/212233
東京科学博物館 編『江戸時代の科学』昭和九年
布施光男「江戸時代電気技術はどう培われたか」電学誌115号、1995年

欧米の摩擦起電機も、ぱっと見は源内のエレキテルとさほど変わらない造りをしていますが、正しくライデン瓶が使用されているため、威力は比べ物にならないでしょう。これがエレキテルの本来あるべき姿といえます。

Electrostatic machine by Thomas Corbett, 1810.
https://www.shakermuseum.us/object/?id=8347
The Ethereal Physician, 1817.

2012年に源内のエレキテルの三台目が香川県さぬき市で発見されたと報じられましたが、その後どうなったのかわかりません。https://news.ntv.co.jp/category/society/214657


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