日本において摩擦起電機、いわゆる「エレキテル」について書かれた最古の文献は、後藤梨春 (1697-1771)『紅毛談(おらんだばなし)』(1765) です。
筆者は何をどう勘違いしたのか「ゑれきてり」を発明者の名前としていますが、無論そんなはずもなく、「ゑれきてりせいりてい」とはオランダ語の Elektriciteit の音写でしょう。
そして、これを医療器具と捉えているわけですが、電気を発生させるのではなく、逆に身体から「火」を吸い出すものだと考えており、人体発火現象だの何やら見当違いなことが書かれています。ただ「婦人闇夜に髪を梳るときは火の出る事あり」という件は、偶然にも正しく静電気現象にまつわるものかもしれません。
この図は一応ガラスシリンダー式の起電機であるように見えます。18世紀半ば頃からの起電機はガラス球に代えて円筒を摩擦するものが増えていました。シリンダーからは導線が一次導体に伸びているのが見え、そして一次導体が絹糸によって絶縁支持されているところは妙に正確です。ただライデン瓶は使用されていないようなので、大した威力は得られなかったでしょう。
それから20年ほど後の、森島中良(1756-1810)『紅毛雑話』(1787)では、「後藤梨春著す所の紅毛談に出せる図は、真物をみづして書けるなり。今左に図する物は家蔵の「エレキテル」を図写したるなり」として、同タイプのエレキテルの詳細な図解があります。
アースから絶縁することを「地の気を隔つ」というのが良いですね、陰陽五行的で。しかしやはりライデン瓶が無いので、笑っていられる程度のショックしか与えられなかったでしょう。
『摂津名所図解』(1796~8)の「唐高麗物屋」の図でも、同じ様なエレキテルで、同じ様なことをしており、後ろには「細工人大江 ヱレキテル」と書かれた箱が見えます。この頃には国産のエレキテルが普通に存在していたのでしょう。
エレキテルといえば、風来山人こと平賀源内 (1728-1780)が何と言っても有名ですが、彼がエレキテルについて書いたものは意外に乏しく、『放屁論』(1774 / 1777)に見える程度です。まこと尾籠な題のこの著作は、前編は曲がりなりにもある種の芸術論となっているものの、後編はエレキテルの原理の説明と称しながら無関係の話に終始して最後は夢オチというしようもない代物です。
概ね『紅毛談』と同じ説明ですが、エレキテルを「電の理」によるものとしているのは流石です。フィラデルフィア実験から25年経っているとはいえ、一応これは先端的な科学知識であったといって良いでしょう。
「三代を経て成就しけるといへり」というのは、ただの法螺でしょうが、一応史実に当てはめてみれば、①ゲーリケ(硫黄球回転)、②ホークスビー(ガラス球回転)、③ゴードン(ガラス筒回転)といったところでしょうか。
『放屁論』で「ゑれきてるせゑりていと」を作ったのは架空の浪人ですが、御存知の通り平賀源内は実際にエレキテルを製作しています。
源内が「ゑれきてる」の贋作者を訴える訴状によると、エレキテルの製作に成功したのは長崎逗留より7年後の11月のこと。そして源内が長崎に行ったのは宝暦二年(1752)と明和七年(1770)ですから、後者より7年後であれば安永五年(1776)完成と考えられます。
しかしながら、源内作のエレキテルとされるものは2台伝わっており、それぞれの正確な製作年代となると良く分かりません。
一つは香川県さぬき市の平賀源内記念館所蔵。外観は装飾のない簡素な仕上げで、内部機構は金襴を巻いた筒とガラス瓶を歯車仕掛けで対向して擦り合わせる仕組みになっています。一次導体が上に突き出す独特のスタイルで、絶縁は松脂。やはりライデン瓶はありません。
もう一つは郵政博物館所蔵。これがエレキテルとして一番よく知られているものでしょう。
起電機構は『紅毛雑話』の物と大差ありませんが、注目すべきはライデン瓶が使用されていることです。2つのフックになっている一次導体はライデン瓶から直接上に突き出しています。
しかし、このライデン瓶と見えるものは、その実ただ鉄屑を詰めたガラス瓶で、外部導体を持たないらしく、その上ご丁寧にも松脂で筐体と絶縁してあるというのですから、これではコンデンサーとして機能することは期待できないと思われます。
欧米の摩擦起電機も、ぱっと見は源内のエレキテルとさほど変わらない造りをしていますが、正しくライデン瓶が使用されているため、威力は比べ物にならないでしょう。これがエレキテルの本来あるべき姿といえます。
2012年に源内のエレキテルの三台目が香川県さぬき市で発見されたと報じられましたが、その後どうなったのかわかりません。https://news.ntv.co.jp/category/society/214657