見出し画像

自分が幸福であるが故に他者にもたらす苦しみについて。と、ついでに1D1Ts41について。

つーか、just one step is just all ep.が、あんま再生されていないことが気に食わない。いやまぁ、宣伝してないから仕方ないだろっつったらそうなんだけどさ。でも、良い盤だから聞いてね。

Spotify

Apple Music

そもそも1D1Tは習作みたいなもんだから、もし俺の曲の出来を測るならEPで測ってね。測ってくれる人もいないんだけどさ。

ジャケは亡友の家の前の階段です。

なんかどっかで話したかどうか忘れちゃったんだけど、機を逃したからわざわざ話すのも野暮ったいんで、ここに書いておこう的な話なんだけど。友人に子供がいて。んで、その友人の友人に子供の事を話したら、その友人の友人が子宝に恵まれない方らしく、羨ましく、恨めしく思われた、みたいな話をしていて、返す言葉が無かった、という話があって。

直接そこについて俺があーだこーだ言う立場でも無ければ何も分からないし分かった口をきくのも恥なので避けるんだけど、根本的には「幸せであることは罪か」という問いだと思うのよね。

仏教的に言えば、それは渇愛なので幸せであろうとすることも苦しみなんだけど、そういう世界観に生きていない我々としては、この自分が幸せであることは誰かの苦しみになる問題、反転して………こちらの方が実感は強いのではないかと思うが………他人の幸せが自分の苦しみになる問題について、長らく付き合うであろうことであり、かつ解決が難しい非常に厄介な問いだと思う。

1D1Tが与える影響なんて微々たるもので、多くて1人か2人を喜ばせたりする程度だろうと思ってはいるものの、この売れてもないし聞かれても無いのに作り続ける姿勢と覚悟作りたくても作れない人、特にそこになんの理由も無いけれど出来ない人にとっては、まるで部屋に住み着いた悪魔や妖怪が何もせずこちらを見ているだけかのように思われるのではないか、という事はちょっと考えることがある。

「やりたければやればいいじゃん」というのは若者だから言えることで、特におじさんになると理由は全くないのだけれどやらないことが、それはやらないのではなく、つまり出来ないのだということに気付く。

毎日欠かさず、誤魔化しながらではあるものの曲を書き続けている俺も実は同じで、ずいぶんと長いこと、かげの歌は書けていない。かげの最新のリリースは2020年の隠世まで遡る。ついでに言えば歌や楽器の練習も出来なければ、ダイエットも出来ない。

何が言いたいのか、と問われると簡単には答えられないが、俺も同じく出来ない側の人間ではあって、そもそも1D1Tには「誰にだって出来る、という事を明らかにする」という目的がある。つまりは、just one step is just all たった一歩こそが全てであるということだ。出来は知らない。評価も知らない。ただ、一歩だけ、たった一歩だけ踏み込むことが全てであって、それがどう見られるのか、その一歩になんの意味があるのか、どこかに辿り着くのか、などなど、そんな事は全く関係ない

上手くやろうとか、売れようとか、そういうことを考えてやってるわけじゃない。音楽が好きで、作るのが好きだから、そこに何の意味も無くてもやるんだ。

テクノを選んでいるのも、もちろん当然、好きだからではあるが、ジャズとテクノがツートップだと思っているが、俺はテクノの事を「電子音楽界のパンクロック」だと思っている。やってることはパンクだったりする。そしてそもそもテクノでもねぇじゃん、って曲も出す。

さて、問いから遠く離れてしまったようにも思うが、自分が幸せであることは誰かを苦しめる事である、という問題について。少なくとも1D1Tは「作る人」を苦しめる事が目的では決して無いし、むしろアイツがやれてるなら俺もやれるだろう、価値も無ければ見返りも無いけどやろう、と思ってもらいたい活動だったりする。もしそれで………もちろん今はいないだろうが………苦しむ人がいるなら、内心ではこう思う。

うるせー!俺は俺の幸せのためにやっとんのじゃ!

だけどまぁ、それは口にしないし口にすべきでも無い。もし自分が幸せであることで苦しむ人が現れるのであれば、それはとても哀しいし、何か力になれることがあればなりたいと思う。これも同じくらい、ほんとうのことだ。

そういう人に実際に出くわしたとしたら、どう声をかけるのか、その答えは今の自分には無い。でも、とりあえずはここに書いたことを全て心の底から思っていることは、ほんとうのことだから、慎重に慮って、人を想って生き、発している限り、後悔はなく在れるのではないか、なんて楽観的に考えていようと思う。誠実に「何も言えないっすわ。」と言うことにしよう。必要なのは言葉ではなく、心ある言葉だ。そうでなければ、ほんとうに何も口に出来ないではないか。


んでまぁ、1D1Tを始めたその他の大きな理由としては、製作グセを付けることと、良い音を鳴らすことで、それはやはり、かげの歌を良い形で聞いて欲しいからだ。そして、聞きたいからだ。

準備の50%は終わった実感がある。あとの50%はある程度、プランがある。全部もう2年前くらいに書いた曲だけど、載せる曲は決まっている。労苦の結晶になると、確信している。実にいい曲ばかりだ。拙いけれど、新しくもないけれど、いい曲だ。もちろん1D1Tと同じく、何のためでも無い。作りたいから作り、聞いて欲しいから配信し、残したいから残す。

それに、次の盤を出して、まっさらな気持ちで、改めて次の次の盤に取り掛かりたいのだ。変な話だが、今頑張るのは次の盤のためで、次の盤を作るのは次の次の盤を作るためだったりする。

ところで、繋がるようで繋がらないようで繋がる話だが、明日12/28日付からの1D1Tシーズン41、つまり401曲目から410曲目という、もう慣れたけど異常な曲数になってんだけど的な感じのソレは、改めて「誰でも出来るんやで」ってことを強調するために短い曲しか作らないことにした。今までは8小節×16の128小節を基本に3-5分程度の曲を作ってたが、1D1Ts41では8小節×2の16小節くらいの曲しか作らない。製作時間もかけない。1時間以内で納める。


決して、今も既にスケジュール遅れてるし年末年始飲み散らかすからサボっておこうなんて魂胆では決して無い。無いはずだ。


サイバーパンク2077にハマって時間が無くなっているからでは、決して、無い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?