冬よ、来い

靴擦れと旧友

 ムンムンとした熱気に包まれて登下校を繰り返す毎日。昨年よりも暑さが厳しく感じられる。スニーカーを履きたい日もあればそうでない日もあるので、そんな日のためにサンダルを買った。去年はサンダルを買おうとは思いながらも、種類の多さにたじろいでどれを履けばよいのか分からず結局買わなかった。
 靴下を履かず、裸足で風を受けるなら多少は涼しく感じられるだろうとウキウキして初めて履いた日のこと。登校中に最寄り駅まで歩いていると左の足首辺りがヒリヒリしてきて、立ち止まって確認したら皮膚が捲れていた。早い。いくらなんでも早すぎるだろう。自宅から数百メートルもないくらいの距離を歩いただけで捲れるなんて。そして痛い。しかし歩かないわけにはいかない。いつもの電車を逃しかねないし、最悪授業に遅刻しかねない。覚悟を決めるしかなかった。
 あいにく絆創膏を持ってなかったので駅近のスーパーまでなんとか歩き、確保。案の定、乗る予定だった電車は逃した。椅子にでも座って楽な体勢になりたかったが近くになかったため、やむを得ず地べたに座った。捲れた箇所に貼って一安心したと思いきや、右足首にも同じ痛みを感じる。こっちも捲れてしまっていた。両方の処置を終えると身体は火照っており、汗が滝のように流れた。ようやく乗り込んだ電車はクーラーの風が効いていて心地よかった。
 下ろし立ての靴は若干の固さがあるので、履き慣らさないといけないのは分かっていた。しかしここ最近は運良くそういうこととは無縁だったので、久しぶりの痛みに新鮮さを感じた。それはまるで、しばらく会っていなかった友達に道端で突然再会したときのような。昔から最寄り駅は変わらないのに、大学生になってから登下校で会ったことは少ない。週四で通っている割には、だ。同じ大学の幼馴染は頻繁に小学校の友達を見かけると言うが、何故か自分は驚くくらい滅多に見かけないし会いもしない。と思っていたがつい最近になって、時折見覚えのある顔を見かけるようになってきた。何かの前触れだろうか。
 捲れた箇所は時間が経って瘡蓋になり、新しい皮膚へと生まれ変わってくれた。ちゃんと自然治癒力のある身体で良かったし、何より痛みを我慢しながら歩き、授業に(遅刻気味ながらも)出席した自分を褒めたい。


十年

 先日、母方の祖母が亡くなって十年を迎えた。十年前は小学生の頃なので、正直記憶が薄れかけている。夏休み最初の日の朝に習い事の準備をしていた矢先、祖父からの電話で訃報を知った。
 祖父は自動車の整備工場を営んでおり、早朝になると工場のシャッターを開けに行く。祖母はその日も普段のように隣で寝ていたそうだが、開けて戻ってきた後には既に息をしていなかったという。それもたった数分の出来事。話を聞いても意味が分からなかった。遺体に触れて自分にはない冷たさを感じても、初めて経験する身近な人の死というのは漠然としていて、実感が湧かなかった。
 親族の大人たちが祖母を悼んで暗いムードに包まれるなか、対をなすように自分を含め子供たちは遊び回ってはしゃいでいた。ただ、孫の年長者である従姉とその妹、それと私の姉を除いて。従姉の妹と私は同学年であったが、彼女は平然としていた。今考えると、女性の方が精神年齢が高いと言われる理由はこれだったのかもしれない。
 そうしてはしゃいでいた少年は、葬儀後に棺が運び出されるところで感情を溢れさせ、視界がぼやけるくらい泣いた。きっとそこで人は死ぬという意味を理解できたのだと思う。火葬炉に棺が入れられる時にはそれまでの人生で一番泣いて、「ああ、これで二度と顔を見れないんだな」と感じたのを覚えている。遺骨は子供には刺激が強いから、と見せてもらえずに拗ねていたような。そうして歳を重ねるごとに現実を受け止め、今では完全に乗り越えた。
 十年というと、当時10歳の子供が今年で二十歳を迎える期間だ。実に自分がそれにあたり、10歳を祝う会(1/2成人式)を学校で開いてもらった年でもあった。将来の夢は今とはかけ離れていたし、その頃から大学生への憧れはあれどそこに至るまでの凸凹な道のりを想像できる頭はなかった。逆に想像できていたらと思うと少し怖い。学校から帰宅するとすぐに友達と遊びに行き、無垢な心で毎日を謳歌していた。校庭にある一番高い鉄棒にぶら下がっても足が宙に浮いていたし、給食で余った牛乳やパンを懸けてジャンケンに本気になっていた。未来への不安なんてなかった。もしかすると、高校や大学生を卒業した人はみんな社会人になれると思い込んでいたかもしれない。
 あの頃と今持っている"楽しむ"気持ちはほぼ互角か、今の方が少し強いくらいだ。もう昔ほど純粋とは言えないし、人並みに社会の暗部を体感してきた。決定的な小学生と大学生の違いはそこだと思う。果たして、十年経ってあの頃より成長したのだろうか。自分ではいまいち気づけないし、当時の友達とは殆ど疎遠になっているので、教えてくれる人は親や親戚、先述の幼馴染くらいしかいない。背は伸びたし、声は低くなったし、知識は増えただろう(と信じたい)。


財布

 二年生の前期が終わった。前期の授業が終わったら自分に労いのご褒美を、ということで財布を新調しようと6月頃から考えていた。今の財布は高校生の頃から使っていて、気がつけば三年が経過。大学生らしく、社会人になった時に持っていても後悔しないものを選ぼうと思って二ヶ月探し回った結果、自分の好みが詰められたものを発見。二十歳になる年だし、良質なものに費やすべきだと思って一ヶ月のバイト代の半分を充てた。
 財布を作る有名ブランドは多い。年齢層的に親世代が持つような、高級ブランドを大学生が持つことをあまり肯定的に捉えていない。自分が買いたいものを買って何が悪い、という方もいることと思うが、一回は考えてみるべきだと思う。なぜそのブランドを選ぶのかを。
 自分の客観的なイメージやブランドのそれから乖離していたり、見栄を意識し過ぎていたり、身の丈に合ってなかったりと、ミスマッチな人をよく見かける。それとは逆に違和感のないように調整し、自分のスタイルに馴染ませている人がいるのも事実だ。そういう人は自分を知っているのだろうし、一定の気品があるという点で尊敬できる。考えは纏まっていないが、気品がある=真面目という等式は成り立たない気がしている。これを説明できる人間になりたい。
 ブランド物を持つことで、自分自身を成長させるのは必然だと感じるし、そのために背伸びすることが悪いとは思わない。だが誰の目にも映るくらいに届かない距離を足場で埋めようとするのは無理以外の何物でもないし、余裕のなさが露骨に出てしまうと思う。特に主張が激しいものを悪目立ちさせないように外見や内面を磨くには、かなりの労力が掛かるだろう。
 私欲の発散は程々にしてそういった買い物を避けていこう、という戒めをここに刻んでおく。他人事ではないし、後々の予定だって考えなくてはならない。別にそういった贅沢品を持たないと命が無くなるわけではないし、幾つも悠々と手に入れられるほど身分も社会的地位も高くない。だから「若者がハイブランドを買う理由は自己顕示欲」なんて偏見じみた意見にぐうの音も出ないくらい、何故か納得してしまう自分がいる。主語を大きくされて負のイメージを背負うことには迷惑しているが。
 こういうことを書いている貴方は自己肯定感や優越感でも得たいのでしょうという声が聞こえてきそうなので、最後に本音を残す。ブランド物を持ちながら向上心を持たずに作り手の意思を無にするように振る舞い、手にしたときの感情で自分を癒すことの繰り返し。そういった方法でしか自分を認められない人間は、本当の意味で自分を大切にはできないだろう。


Threadsとこれからのnote

 Threadsを始めた。インスタやFacebookで有名な会社が新しく発表したSNSで、ツイッターの改変に疲れた人たちの代替先として始めた人が多い印象がある。あまり頻繁には使っていないが、ツイッターよりも投稿で打てる文字数が多いらしく、情報量は増えると感じた。(9/30追記。ツイッターは社名変更によりXに変わっていたことを思い出しました)
 そこで思い出したのは、noteを始めたきっかけである。一番最初の投稿でこんなことを書いていた。

Twitterもやってはいるけど文字制限があって書きたいことが収まらんのです。向こうでできないことを主にこっちでやろうと現時点では考えてます。今はね。

最初の投稿より

(なんで敬体なのかは無視して)当時の自分は字数制限を気にしていたらしい。事実、Threadsにこれだけの文量を投稿するとなると手間が掛かる。その点、noteは何千字になっても一本の投稿で纏められる。制限を気にせず書けるのは良いことだと思う。
 投稿に「今はね」と書いてはいるけど、今でもnote以上に気軽に文章を載せられるサービスを知らない。また、Threadsに生活の様子の写真を載せるためにアカウントを作ろうかと考えたこともあったが、現にnote自体が不定期更新である。その上Threadsも運営するとなると負担が増えて正直苦しくなるし、さらにこれからは就活の準備もしていくので、「何も変わりません、現状維持です」という話。
 投稿はしたいが、その気持ちに縛られた生活はしたくはない。それでは楽しめないからだ。noteは期日も頻度も意識せず、書きたいときに書くような感じで肩の力を抜いて運営していきたい。そういった気楽さを、いつでも持ち合わせていたい。