発信者でいたい自分
ー. 『わたしは、発信していたい。』
そう思い始めたのはいつだろう。
わたしが小学生くらいの頃、わたしは当然のように世界は"個"で成り立っていると思っていた。
ー正確には"個性"。 まさに"十人十色"という言葉をありのままに信じて、今まさにクラスや学年に転がっているそれぞれ異なる輝き、これが万物同じように広がっていて、その異なる輝きの中でも互いを尊重し、愛し、敬い成り立っていると、そう思っていた。
が、自分が実際中学、高校と進学するにあたりその感覚は変わっていっていった。
ー.画一性。
この世界は上下関係だとか、制服だとか、規律やルールによって一定の秩序を保とうとしている。それはなんとなく学年が上がるにつれわかっていたが、余りに拘束時間が長い。
まず下校までが長い。かつ、余裕が、自由がない。
勉強は難しく、一度つまずいたら後は大変だ。だって教師は待ってくれない。勉強は待ってくれない。宿題。
決まりきった制服の中で、またこれもいつしか決まりきった空気感の中で過ごす。それが心地いい時間ならまだしも、自分にとって伸び伸びできない窮屈な時間であればある程心のストレスと違和感は許容を超えていく。
これに加えて放課後の部活。朝練。休みの日の部活。
こんなものが続けば自分の時間なんてものはない。
何処に行っても協調性を求められ場の空気を濁すこと、そこから逸脱することを悪しとされる。
まさにそれまでの教育と異なる、"人材"(人の部材)育成のための現場だ。
歯車状に回る社会のための歯車育成論に過ぎない。そう、同じようなシステムの中でしか生きられないような歯車を作っている。
使いやすい"人材"(人の部材)にするために共通規格、型に当てはめ枠内に収まる人間に育てる。こんな思考だから"出る杭は打たれる"。
枠外の人格は秩序を乱す、社会ではやっていけないなどと貶され脅され矯正を強要される。
…当時のわたしはクソ真面目だったから(良くも悪くも)、集団や組織の秩序、ルールを守ることを肝に銘じ努力していた。
それが学校という名の秩序を護り、わたしたちがより良く過ごせると思ったからだ。
これは学校側の理屈だろう。これをわたしは間に受けていた。
それは小学校時代の教員、教師一同、親をはじめとする大人を見ていてもそれを悪人とは思えなかったからだ。
彼らはそれぞれ考えることや教えることは違えども、同じように子供たちのことを想って伝えている。一生懸命育てようと、守ろうとしている。それは圧倒的に善意のほうが多かったように思えたからだ。
だからわたしはルールを守った。
わたしたちの世界は愛に満ちていると解釈し信じられ、それらが作ったルールは正しいと思えたからだ。
が、結局のところ、この画一性を求め過ぎる・強要し過ぎる教育の在り方・学校の在り方とわたしの世界の定義、わたしの愛や信念を大事にする在り方は喧嘩した。
世界のルールは正しいと信じ、そこに素直に従事してきたからこその道中の壮絶な拒絶。
自分の世界観の崩壊。解釈、思考・思想の不一致。
わたしという存在は内外問わず崩壊していったが、それでもわたしは"ある種の救い"、"希望"のようなものを信じて、決して手放さなかった。いや、手放せなかったのかもしれない。
何故ならそれは小さい頃からずっと掴んでいた、わたしの真ん中にある核心染みたものだったから。
…救いというのは、例えば、ホワイト企業に就職出来る、とか?笑
が、結論から言うとわたしの希望、救いは叶わなかった。
わたしは流星のように、大気圏で燃え尽きるように砕け散った。尽きた。
残ったのはこの傷心?重症の身体と心だった。
わたしには少なくとも命が残った。
…まあ、ここまでは結局"学生時代"だけの話なんよ。
特に最後の学生時代は壮絶で、これまでの人生で一番嫌いな人間の元で過ごした。
それもまぁ、わたしが砕け散る決定的なトリガーとして作用したから、それによって人間不信、人間嫌いになった。
組織にも疑問を抱くようになった。もっと言えば、不信?
わたしの人間への愛、信用。
わたしの世界への愛、信用は見事に反転したってわけよ。
信じて手放さなかった最後の希望すらも砕け散り、人や世界に対する大きな愛反転し、暫くわたしは憎悪で心身共に満たされた。
そういう憎悪が未だ残る中でコロナ禍、わたしは本当にたまたま、偶然の至るとこなんだが、初めて政治を見るようになった。
本当に偶然の産物。
#検察庁法改正案に反対します
なにが起きてるのか知りたくて色々ツイートを漁った。
それで見る、知る、またしても悪夢のような現実。
まあ、かいつまんで言えば、世界規模の100年に一度の災害とも呼ばれる超大規模大災害に逢っても、富と権力を沢山持ってる奴らは、国の最高権力者たちは自分達の利益をどうやら優先するらしい。
それどころかこの渦中で更に自分達の利益、権力追究。
本当に自分達の既得権益、損得しか考えていない。
政治家という立場において、他にも組織のトップという立場において最低とも思えるような行為・発言の連発。
トップの責任とは?社会を構成する重鎮という自覚は?
ここらへん、覚悟も責任も自覚も全く見合っていない人達がなぜかトップになっている。
これが今の日本という時代の現実。
繰り返されるのは本当に悪夢と言わんばかりの愚行ばかり。
民主主義は働かず、国民議論とは?状態。独裁となんら変わらない。
とんでもない時代だなと日々毒ガスに心身を蝕まれるような思いで痛感している。
森、カケ、桜、GOTO、五輪強行、国葬、マイナポイント
悪行、蛮行が多くて鬱になる。
わたしたち大人は、こんなんで子供を未来に導けるはずがない。
…と、まあ。現状までを振り返りこんな感じ。
長ったらしくて読者には申し訳ないが、なんせ普段話す相手が居なさ過ぎるのと伝えたい思いが多すぎて語るに尽きなかった。
まあ、こんな時代。こういうわたしの道のりを経て、わたしは発信したいと至ったのだ。
わたしはずっと日本に住んでいるが、生きているが、日本人は本当に発信しない。
この発信とは、特に"主張"。
日本では『"デモとかストライキという言葉があったのは過去"』と、どうやらメディアはしたいらしい。
政治家と会食とかしてるうちにすっかり丸め込まれてしまった。
当然"デモ"も"ストライキ"も現代でも存命である。
つい2日前のYah○oニュースでもフランスで年金改革(年金の受給開始年齢を62→64歳に引き上げる改革)に大規模な抗議活動、74万人がデモ参加と報じられた。
自分達の権利を守るために抗議活動(デモやストライキ)をするのは本来当たり前のことである。
が、日本人は日本のこういう空気感が染みすぎているのか、30、40年前まで存命だったデモやストライキという抗議活動・行為・言葉は古いものとして扱われ、何故か冷ややかな目で見られている。
"日本人は主張しない"
…まあ、無理もない。
こういった"人材"(人の部材)を作ることだけに注力し、まさに権力者の都合のいいように社会を作ってしまった。
教育の現場でさえも。
人はいずれ歳をとり、結果として小さい子供もいつしか大人になるわけだがそういう教育課程で社会の都合のよい使いやすい"人材"(人の部材)は、その型の中でしか生きられない。活路を見出せない。
自分で考えられない?政治がわからない?当たり前だ。
"学ぶ"とはなんなのか、"社会"とはなんなのか、それらを本質的に教えられていないのだから。
社会の都合のいい"人材"(人の部材)は使う側の都合しか考えられていない。
にも関わらず、やれ『自己責任』やら『自助』やら、社会の・大人の目は冷ややかだ。自分たちの都合のいいように教育され、それが終わればあとは自分でなんとかしろ。
なんて無責任な社会なんだ。
社会を構成して作っていく立場の大人たちは自分の責任は負わない。
人を、子供を"人財"(人は宝。財産)と思っていない。育てようとしていない。
次世代を担う"自分で考えられる大人""未来を切り拓ける大人"を目指して教育しないから自分で考えられない大人になるのは至極当然。当たり前だ。
人を育てる立場にある大人がその責任を放棄したのだ。
「即戦力」だとかなんとか言って自分達の都合のいいように教育をしっちゃかめっちゃかした結果が、今のグロテスクな結果なのだ。
それでも言う。大人は。「自己責任」「自助」「自分で考えろ」
…自分らが自分らの都合でそういう子供が大人になる、大人がもっと大人になる大事な教育課程・学びの課程を滅茶苦茶にしたくせによくいう。
本当に無責任な大人だ。
…みんな染まり過ぎてしまった。
『日本は"既得権益"に入っていけるかが勝負の国だ』、と、そのようなニュアンスのことを何処かで目にしたが、まさにその通りだ。
…そろそろこのような悪夢じみた現実を語り過ぎて、わたしもヤミヤミ闇堕ちしそうなので、一旦この話は無理矢理締める。
…まあ、散々な経過があるわけだが、ようはわたしは未だにこの世界(現代の日本空気感)と思想が異なる。
まー、ゆえに脱線したんだけど(レールから外れた)、これ自体はわたしの生き様だからま、ちっとは許容してる。
こんなんなんで、まあやっぱりというか主張がみなさんと異なることも多々多々あるのですよ!
少なくとも大多数とは違うでしょうねぇ〜 ンー。社会経験ないんで、あと知り合ってもせいぜい20人30人がそこらで1億人には遠く及ばないんで、あくまでどこまで行っても想像の域を出ないんですけれども!
とにかく!
発信したい!!
主張したい!!
…多分この日本の空気読み文化の反作用も相まってですな〜
結局この主張しない国、日本では主張しなければ勝手に潰されていくんですよ。
枠外、許容外のことは知らんぷりされるパターン、組織からは排除されるパターンが現代圧倒的ですので!
…まぁ、それは万物割とあらゆることに共通することかもしれないんですが、問題なのはその枠と許容の枠がどこも、日本って金太郎飴的に同じってとこなんですよねwww
だからマイノリティ(少数派)は一匹狼になるか、たらい回しになるのが…パターンっていうね。
しかもそのマイノリティも"社会ののけ者"にされて富を築くにも待遇も悪いっていう、最悪パターンっていうね。
こりゃ多様性が無いのも、多様性を認められないのも無理ないですわってとこ、あるんですよ。
かつては"義理""人情"、"仁義"が許容したり介入の余地があったようですが、現代ではそれらは忘れ去られようとしてますな。
余裕がない会社が誰かの面倒見れないように、人に余裕がなければ結局その人も誰かを助けてあげられないんですよ
負のスパイラル、ギスギス社会の正体ですね…! (名推理)
…っとまあ、主題からだいぶ逸れちゃいました。(笑)😅
( い つ も の こ と )
…人に歴史あり〜。
わたしにもこういう経緯があって、発信したいなあ〜って今思っているわけです。
実際発信したいことは沢山あって、
例えば
絵を描いたり、
政治的なこと話したり、
趣味でゲーム配信?動画出したり、
音楽好きなんで歌ったり曲作ったり
したいですね〜
…ああー!
他にも、
3Dキャラクター作ってみたり、
…んなもんかー(笑)(尻つぼみw)