高杉晋作が挙兵した寺「功山寺」とは
功山寺略年譜(主要のみ記載)
略譜から室町時代から江戸の幕末まで、歴史の要所を得てきた場所であることがわかります。
1557年に自害した大内義長は、室町時代に山口を拠としていた大内氏とは血縁がありません。主君であった大内義隆を攻め滅ぼした陶晴賢が、大友宗麟の弟晴英を大内義長と改名させて大内家の当主にしたのでした。その後、毛利元就が大内義長を攻め、長福寺(のちの功山寺)まで追い詰めて結果として自害した場所でした。
そして、何より有名なのは、高杉晋作の挙兵の場所としてです。
寺内には、凛々しい高杉晋作像があります。
もし功山寺挙兵が失敗していたら、明治維新は数年遅れていただろうといわれているようです。
功山寺は、春は桜、秋は紅葉が美しい場所でもあります。
春または秋に一度足を運んで、季節とともに歴史を感じてみませんか?
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