手術51日前 いつまでも、深く激しく抱きあいたいから
(3月1日のブログです〕
人生初ブログへの初コメントに力をもらう
2月27日の記事に、最初の(そして、今現在最後の 笑)コメントをいただいた。
5、6行のごく自然な文章なのだが、それを読んで私は気持ちがすっと楽になり、力がじわじわ湧いてきたのが不思議だった。人生初ブログへの初コメントだったこともあるかもしれないが、理由はそれだけじゃない。見ず知らずの方だが、きっと、他人の気持ちを推しはかり、共感する能力があるのだと直感的に思った。言葉に力をもらった。
「妻をずっと激しく深く抱きたい」と純粋に願う五十路男
私が、アラフィフでもセクシーでい続けてくれている妻を、ずっと力強く抱き続けたい、ということを書き、そのことを印象的に思ってくださったようだが、このことは私が包茎手術を受けたい一番の原動力だ。
妻とはいつも抱き合うたびに力が湧いていた。
セクシーで自分にはもったいない妻。ベッドではいつも全力でぶつかりあい、ふたりで全力で昇天した。私が混浴温泉に行きたいと言ったら二つ返事でOKしてくれて、実際に行ってみたら私よりも大胆で、他のカップルがいるところに平気で入っていったのには驚いたぐらいだった。色々な男を知っていたようだが、最後は私を選んでくれた妻。
ED気味になったショック
しかし、私も五十半ばになり、時々ムスコの元気がなくなるという事態に見舞われるようになった。これまでも、緊張した時はそういうことはあったが、どうもそれだけでもないということに、本当にショックだった。
牡蠣を毎日食べたり、サプリを飲んだり、鍼灸を試したり、あらゆることに挑戦し、少しずつ回復している気もするが、やはりパワーが足りない。
別に、若い時と同じパワーでやりたいというのではない。ただ、しっかりと、がっちりと深く、ゆっくりでもいいから、そうできるようにしたいのだ。
「大丈夫」という言葉が、逆に私を奮い立たせた
そんな私を見かねてか、最近は妻がベッドでも妙に優しくなった。ダメな時も一生懸命使える状態にしようと努力してくれ、そしてやはりだめでも、「大丈夫」と笑顔で言う。ありがたい。
・・・でも、これじゃ絶対に嫌だ!
かつてのように、「もう勘弁して!」と悦びの悲鳴をあげながらも、自ら腰をぐいぐい押し付け、恍惚の表情で果てさせてあげたいし、自分も一緒にそうしたいのだ。それができなくなることは人生の大半の悦びを失うことに等しいとまで思ってしまう。
男の危機を脱する一歩
不思議なもので、それができた時は、全く関係のない他のことにも力が湧き出てきたものだった。やはりセックスの充実は自信や幸福と密接に結びついている。
そう思う時、これまで嫌で嫌で仕方のなかったこのにっくき皮をなんとかしたい、という思いが、また強く湧き上がってきた。
どんなにくだらないと笑われても、男の自信を取り戻したかったのだ。あと、不衛生なのも本当に嫌で、皮の中でジメジメとしがちなムスコを見るたび、惨めな気持ちにも繋がっていた。
イメージトレーニング中
今、どんどん近づいてくる、男として生まれ変わる日。不安がないというと嘘になる。かなり不安だ。今逃げ出してもよいんだよ、というもうひとりの自分もいる。
しかし、私は、すでに、ちょっと傷跡があっても、堂々としたモノで、堂々と妻を抱き、大声で二人同時に恍惚の世界にたどり着く日々を楽しくイメトレしている笑。その先には、夫婦で還暦以降もいろんなものにチャレンジする姿も透けて見えてくる感じがして、想像するだけで気持ちが晴れ晴れするのだった。
ちょっと単純すぎかな。でも、私にとって、残りの人生、挑戦すべき、そして絶対に乗り越えるべき、乗り越えたいハードルだ。
挑戦にワクワクしてきた。