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伊藤新道のガイディング。
『伊藤新道』である。
僕にとってここのガイドの始まりは、お客様からのリクエストによるものだった。
正直なところ最初は、そこまで心動かされるものではなく「なにか宣伝を大体的にやってるな・・・」程度の認識だった。
で、実際に行ってみてどうだったかというと。
月並みだが、素晴らしいルートだった。
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これから遡ることになる、湯俣川の上流方向を望む。
いわゆる川の「本流」を遡ることになるので、見た目より水圧はかなり強い。別の沢での事前練習は必須だ。
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晴嵐荘(せいらんそう)という晴れてるのか悪天なのか、不思議な名前の山小屋へは、ジップラインで渡ります。(最低限の作りなので、ナメてると落ちますよ!)
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このお宿の夕食はこの「噴湯丘カレー」。
この遊びごころが良いよね!
シンプルだけど美味しい。(麦が入っているのもヘルシー!)
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さて、翌日早朝、気合を入れて入渓。
まずは「噴湯丘(ふんとうきゅう)」
温泉沈殿物が河床に堆積し盛り上がってできたそう。
天然記念物に指定されているらしいので、見るだけに留めましょう。
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第一吊り橋を渡るが、渡れる吊り橋はここだけだった(令和6年時点)。
ここの自然の猛々しさを感じる。
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光の中を遡行する。
ここ伊藤新道は東西に開けた沢なので、晴れた日にはキラキラの川を進むことになり、最高だ。
バランス保持のためのストックは必須で、私は「1本使い」を推奨している。
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『徒渉』はこのルートの核心で、何十回も繰り返す。
徒渉の形は、各人がベストと思う形でやればよいと思うが、私の場合は剛性のあるストックを1本、両手で把持してもらう。
そうして、両足と合わせて「二等辺三角形」の形を作ってもらい、上流に向かってポジションを取る。
その上で、もし転倒したら危ない場所ではロープでの確保を行う。
その他、「スクラム徒渉」「徒渉点の見極め」など、命に直結する必要技術は多い。
しっかりとした沢登りの経験者、もしくは信頼できるガイドと行くことをお勧めする。
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ルートは、第五吊り橋先から陸路に上がるが、時間的体力的余裕があれば、もう少し足を延ばして「野湯」まで行きたい。
晴れていれば、素晴らしい白い岩とブルーの水を見ることができるだろう。
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伊藤新道が普通のルートではないのは、「沢+陸路」の2部構成である所だろう。
前半の沢パートでは、水中の行動が多く、知らず知らずのうちに消耗していることが多く、加えて後半の陸路に上がったとたん、もれずに「急登の洗礼」が待っている。
日頃、100名山のような整備された快適な登山道しか歩いていない登山者には厳しいパートだ。
登山道というより「代伐された作業道」のような道だ。
事前に「ふくらはぎを痛めつけるような急登」でのトレーニングが必要である。
北鎌尾根を従えた槍ヶ岳が、指呼の間である。
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このルートを復活させた三俣山荘さんが名付けた「ダケカンバのご神木」
「なるほどな」と思わせるほどの存在感だ。
急登も、歩くほどに緩くなっていく。
もう少し頑張ろう。
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稜線鞍部に突き上げると、三俣山荘だ。
(キジバトのモニュメントがかわいい)
無事に伊藤新道を完登できた安堵感のなか受付に行くと、無線から転落事故の内容が聞こえてきた。
自分は現在、立山剱岳方面遭難対策協議会隊員(通称;ソウタイキョウ)でもあるので、エリアは違うが協力を申し出る。
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事故発生から数時間が経過しており、現場でできることは限られていた。
知り合いのガイドが現場で協力しており、動揺している同行者を一旦小屋に収容することになった。
私は現場でヘリ誘導だ。
間もなく富山県警ヘリ「つるぎ」が飛来し、見知った隊員が降りてきて、テキパキと遭難者の収容作業を行っていった。
(後日、残念ながら落命されたことを知った)
遭難者は、登山道から何らかの原因で足を踏み外し、沢へ10m程度転落したのだった。
技術的には、いわゆる「なんてことはない登山道」だった。
事故はえてしてこのような場所で起こる。
技術的に難しい場所ではなく。
このような事態に際し、レスキュー活動に関わった我々は、「伝える」という活動を通して今後に生かしていくしかないだろう。
僕は地元の剱岳をガイド中よくお客様に「ここで事故がありました。こういう事故でした」と紹介するが、そういう地道な活動は今後も続けていきたいと思っている。
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三俣山荘では、『夜喫茶』の時間がある。
センスの良いテーブルランプの灯りと共にお好きなドリンクを飲めば、がんばった今日の疲労と共に、楽しい会話も弾むだろう。
小屋からすれば、大変な夕食時間の後に、もうひと手間時間と空間を提供するわけだから大変だろう。
そのサービス精神に頭が下がる。
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翌日は、小池新道を通って新穂高温泉へ下りる。
車の回収を考えて伊藤新道を下降するパーティーや、コースタイムが長く難路とされる竹村新道を下るパーティーもいるが、当ガイドの場合は、前日の伊藤新道での疲労(疲労は溜まるもの)や、山行全体での悪天候時のリスク等を勘案して、下山時のリスクが最少の「新穂下山」としている。
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丁度良いお昼の時間に、わさび平小屋の名物「そうめん」が誘いをかけてくる。
シンプルだけど、ゆえに美味しいそうめんをいただき、新穂高温泉へのフィナーレを歩こう。
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この伊藤新道ルートを行こうとした時、いくつかの図書をお勧めしたい。
まずはコレ。
いまさら説明不要の名著「黒部の山賊」である。
戦後、このエリア一帯を整備していった先代の伊藤正一氏によるもので、「山賊」や「バケモノたち」など、現代では見られなくなったことどもが、時代を超えて蘇ってくる。
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コレは、この地のガイドの第一人者と言える「田村茂樹ガイド」による冊子だ。私もガイドするにあたって大いに参考にさせてもらった。
一番驚いたのは、この湯俣川上流部は1カ月に複数回「噴気活動」が起こり、そうなると沢の水量が増減しかつ濁り、ビバークを余儀なくされるという記述だ。
そんなルートは他にあまり聞いたことが無く、しかし登山者は、そのための準備(日程、装備、スキルなど)をしていかないといけないのである。
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これは、偉大な伊藤正一氏の跡を継いだ、現代に生きる三俣山荘のスタッフさんたちによる小冊子だ。
読んでみると、現在のこの地あるいは登山界における問題と、それに取り組む三俣山荘スタッフの方々の尽力に頭が下がる思いがする。
また、我々のようにいわゆる「通り過ぎる」登山者では気付けない、その地に何か月も、あるいは何シーズンも根を下ろして生きている方々じゃないと気付けないことども、自然観なども書かれており、とても興味深い。
我々登山者でも、傷つきやすい自然に対してできることなども書かれており、目からうろこの一冊。
終わりに。
長くなりましたが、それは「それほどこの伊藤新道ルートの中身が濃い」ということです。
私もまだ数回トレースしたに過ぎず、このルートの本質を分かっているとは到底言えません。
ただこのディ―プさは、私のホームの「黒部川・下の廊下」ルートにも似ているなと感じております。
ガイドとしてこのルートに毎年通う中で、これからも素晴らしい体験を積み重ねていければと考えております。
(山岳ガイド 香川浩士)