笈ヶ岳(おいずるがだけ・富山県・石川県)〜日本200名山で最も登頂困難な山〜
4月2日、3日で、前から気になっていた富山・石川県境の笈ヶ岳(1841m)を登ってきた。
この山は、まずいくつか説明がいる山だ。
まず呼び名は「おいずる」。あまり聞かない呼び名である。
調べると、笈は本来「おい」と呼び、昔の修験者が修験に欠かせない法具など背に負った物、だそうだ。
で、「おいずる」とは、その笈を背負う時、衣服の背が擦れるのを防ぐために着る単の袖なし、とある。
この山は、1518年に修験者によって登られていた記録が山頂から見つかっており、古くから日本古来の修験道と深い関係のある山である。
さて、実際の登山活動はというと、この時期に一番記録が多い中宮発電所から1泊2日の行程でスタートした。
さて、最初の導水管横の急登は、さながら「現代の修験道」だ。ここを登り切ると、山毛欅尾山(ぶなおやま)までの標高差1000mが登山者の体力を試す。
老人の、年輪を重ねた皮膚を思わせるブナの古木。
稜線に出ると、はるか彼方に頂稜が黒々とした笈ヶ岳が見えて来る。黒部源流の水晶岳に似た山容だ。
細かなアップダウンを繰り返して、冬瓜(かもうり)山のリッジへ。
稜線の雪は見た目より不安定で、南側の斜面にスタンスを拾いながら進む。やがて、シリタカ山の先のコルで幕営。
翌日は、素晴らしいブルーのもと山頂へ。
相棒と。
富山県側からのルートとなる、大笠山からの主稜線を望む。地形図的には、こちらのコースの方が登山の起承転結がはっきりしているように思う。
大笠山頂には、平成25年にできたというしっかりとした避難小屋があるようだ。桂湖南端の登山口までの車道が開通するのはゴールデンウィークに合わせてのようなので、そこの長い車道歩きを厭わなければ、良いルートのような気がしてならない。
帰路は、冬瓜山の北側を大きく巻いていくルートで。
最後の導水管をまた修験モードで降りたら、少し上流の堰堤で川を渡る。(水量少なければ飛び石で渡れる。)
また対岸を修験モードで登り返すと、長い登山がやっと終わった。
この山は、「日本200名山で最も登頂困難」という冠が付いているが、コレは、登山道がなく、残雪期の適期をつかむのが難しい、という意味である。
また、深田久弥が日本100名山に入れたかったが登っていなかったので入れられなかった、という話もある。
内容的には確かに、100名山レベルにあると思う。
いにしえの修験者に想いを馳せながら、「現代の修験」も経験できる、そんな確かな手応えのある、良い山でした。