見出し画像

「魏志倭人伝」の時代、日本人は酒好きのパリピだった!? 燗酒しか出さない店主が教えてくれた日本人と酒の話

燗酒しか出さない店の店主、マサさんがある日、こんなことを言った。「『魏志倭人伝』ってあるじゃないですか。あれに日本人は酒が好き。それに日本人は酒を飲んで歌い踊ってる、って書いてあるんですよ。つまり、魏志倭人伝の頃の日本人はパリピだったってことです(笑)」
ほんまかいな。
以下、私がマサさんからこの話を聞いた経緯などを記していこうと思う。

悪酔いしない日本酒の飲み方

デイリー新潮に「熱燗しか出さない店」の記事を書いた。
ヤフーニュースに転載され、コメント欄には、読まずに書いたようなコメがチラホラ。ああ、ヤフコメだなぁ(笑)と読んでいたら、
実際に行った方の「一度飲んで、あの体験をしてみて欲しい。凄い体験でした」という、真っ当なコメントがちゃんと入っていた。

そう、凄い体験だった。
「日本酒は飲めない」と思っていた私が、熱燗を美味しく飲めて楽しめた上に、悪酔いも二日酔いも全くしなかったのだ。
お店を出た後は、体調が良すぎて1時間ばかり歩いて帰ったほどだ。

この体験が忘れられず、すぐに友人や先輩を誘って二度予約を入れた。
ご一緒した方々も口々に「翌日、全く二日酔いにならなかった」とはっきり言っていた。

二日酔いにならなかったのは、店主の水原将さん(以下マサさん)の研究の成果だ。
研究の過程で様々な知識を得たマサさんは、店に行く度に日本酒にまつわる面白い話を聞かせてくれた。ここではそんな話を紹介したい。

元ウイスキー専門店店主 現日本酒を熱く語る燗酒屋

まずはタイトルの話をしようと思う。そのために、マサさんの過去にまで遡ってお話ししたい。
マサさんはかつて「ウイスキー専門店」を経営していた。日本酒には全く興味がなかったという。そんな人がなぜ日本酒、しかも燗酒専門店を開いているのか。

ウイスキーのお店を経営していた頃、常連さんが亡くなったことをきっかけに、マサさんは「酒」についての勉強を始めた。そして知人から日本酒に関する話を聞いて興味が深まっていき、思い切ってウイスキー専門店を日本酒専門店に切り替えてしまった。
この行動力と決断力には驚くしかない!

ただし、この時に出していたのは、燗酒ではなく、冷酒。
世の中のスタンダードな飲み方が冷酒であり、この時点では燗酒は頭になかったそう。
やがて冷酒に疑問を感じることが重なり、さらなる学びを経て、現在の「燗酒専門店」を開くに至る(詳しくは記事参照 → 飲み屋なのにビール、酎ハイ、冷酒ナシ! 知れば飲みたくなる「熱燗しか出さない」店のアツい理由に)

図書館に通って酒を学ぶ日々 魏志倭人伝のパリピ記述を発見

マサさんは店を開きながら、疑問に思うことがあると図書館に通い文献を調べた。
そこで身につけた知識が実に面白いのだ

ある日、マサさんはこう言った。
「『魏志倭人伝』ってあるじゃないですか。あれに日本人は酒が好き。それに日本人は酒を飲んで歌い踊ってる、って書いてあるんですよ。つまり、魏志倭人伝の頃の日本人はパリピだったってことです(笑)」

魏志倭人伝とは3世紀末に書かれた中国の歴史書。「三国志」の魏書東夷伝倭人条の通称だ。卑弥呼と見られる女王や、邪馬台国についてと見られる記述があると教科書でお馴染みの書だ。
そんな歴史的な文書に、“日本人はパリピやな”みたいなことが書かれていたとは知らなかった!
学校では習わなかった。なぜ教えてくれない!

さっそく該当部分を探してみた。ズボラな私はネットで検索しただけだが、
国税庁のホームページで「日本酒の文化・伝統性の言説の確立について」という研究内容を公開しているのを見つけた。そこにはこう書かれている。

〜引用ここから〜
イ 中国『三国志』「魏書東夷伝倭人条」にみられる倭国の酒

『三国志』「魏書東夷伝倭人条」には、酒について次のように記されている。
  「始死停喪十餘日當時不食肉喪主哭泣他人就歌舞飲酒巳」
  「其会同坐起父子男女無別人性嗜酒」
 ここに記された内容からは、当時の酒がどのような種類のものであったかまでは知ることはできないものの、喪に際して来訪した人たちは、「歌舞飲酒」する風習や飲酒する習慣があったようである。
〜引用ここまで〜

最初の漢文は、
誰かが死ぬと喪主は10日余り肉を食べずに喪に服し泣いているけど、他の人は酒を飲んで歌い踊ってる
といった内容だ。
確かに「酒を飲んで歌い踊ってる」と書かれている。
ただ、その場所が引っかかる。死者が出た後、喪に服している横で、なのだ。
当時の日本人、なかなかヒトデナシなことするやん、と思ったけど、よく考えたら現代でも似たようなことをやっている。いわゆる「お清め」とか「精進落とし」と呼ばれるものだ。それをすでに3世紀からやっていたということになる。これには驚いた。
さらに言えば、現代でも台湾の葬式では、セクシー女性ダンサーが登場して踊ることがある。かつての日本も同様に、酒を飲んで歌い踊るのが死者を弔う儀式の一つだったのかもしれない。
海外から来た魏書東夷伝倭人条の著者につながる人は、きっとその様子を見て驚いたんだろう。印象に強く残ったから
「倭国の奴ら、葬式でも酒飲んで歌い踊るようなとんでもないパリピやで」
とわざわざその様子を記したのではないか。

2つ目の漢文「其会同坐起父子男女無別人性嗜酒」は、
その会では父子男女の区別はない。人々はみんな酒好きである
みたいな内容。

3世紀頃の日本人は、みんな酒が好きで、老若男女関係なく一緒に酒を楽しみ、時に酒を飲んで歌って踊っていた。

ん~、いい国だなぁ。
そして大和民族パリピ説は本当であり、めっちゃ酒飲み、酒好きな民族だったと、歴史書で確認できた。

日本人と酒の関係は実に興味深い。
マサさんから聞いた話はまだまだ続く。

マサさんの詳細はこちらへどうぞ
https://www.instagram.com/masa_mizuhara/


いいなと思ったら応援しよう!

華川富士也
サポートいただけましたら大変ありがたいです。いただいたサポートはクリエイターとして記事を充実させるために使わせていただきます!