燎リョウ

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kagari ryo. 「見島」の郷土史を後生に繋いでいくために、現存する手記の資料をnoteに記載し始めました。記載内容は保管元に許可を得ています。不定期更新です。※現在は限られた資料のみ発信となるため、時系列等が統一されていませんが追って整理します。

マガジン

  • 見島の歴史

    山口県萩市沖約45キロメートルの日本海上にある離島「見島」に纏わる残された記録をまとめています。時系列にばらつきがありますが、情勢が落ち着いたら整理します。 ※資料は全て引用元の許可を得て掲載しています。

  • 見島録

    見島のこと。思い出だったり、見島に纏わる話だったり。

最近の記事

見島の歴史(20)見島と鯨捕り

 古く日本の捕鯨は、山口県外海から始まったと言われ、その歴史は古い。昔から見島では、鯨のことを「勇魚(いさお)」と呼んでおり、日本海には、多くの種類が生息し、見島周辺海域に廻遊してきた。その原因は、北からの寒流(親潮)にプランクトンが多く、鯨の餌となる大型のアミが多くいたことがあげられる。  鯨の廻遊時期は、11月から3月頃までの冬場であり、捕鯨もこの季節であったという。見島年中暦によると、「2月18日は、宇津観音にナガス鯨の寄る日」と記され、毎年この時期に「寄り鯨」があっ

    • 見島の歴史(19)港について2

      新川港の護岸はできたものの、干潮時には、大きい荷方船は接岸できず、船を沖合において、テンマで積み下ろしする状態であった。 明治末期、共同負債が愁眉を開いて物資の海上輸送が増大、活気が溢れるようになり、同40年(1908)に「中の波戸(旧定期船発着場)」が築工、整備され、通船はこの波戸から発着するようになった。又、「西の波戸(中津ち)」の構築もみられた。昭和2ねん(1928)トビ瀬から西に向けて小さい波戸(ふる波止)が出来たが、時化になると、小浜へは相変わらず波浪の侵入が激し

      • 見島の歴史(17)トウカイ(渡海船)

        (注)見出しが17とあるが、原文ママ記載しているためである 北前船について記したが、島の海運はどのようであったかを調べてみると、古く農耕民族と漁撈民俗に分かれていて、互いの分野に関与することは、厳しく禁止された時代が長く続 いたようである。防人の来島、居住を考える時、本土との連絡には舟は必要欠くことのできぬものであり、この時代(天平時代)から通航の舟があったと考えられる。 自給自足であった時代、産物を売買する船は不要であったが、平家の落人が宇津に居住し た時代(1185~

        • 見島の歴史(18)北前船その2

          宇津村は、北前船の寄港によって繁栄し、船宿として数件の名が見られる。 船宿には、それぞれ指定した船があり、その船が入港すると、船宿に雇われた百姓達がテンマに乗り組み競争して、船頭始め乗客を迎えに行った。船宿では風呂を沸かし、ご馳走を作り歓待し、休息の場を提供するのであって、それは出港の日まで続いた。出港する際に、船頭は茶代として礼金をやっており、一定額の金でなく、その時、その時、又船ごとに異なったといわれる。 「宇津港諸國廻船の出入津」山口県第二十六大区第十四小邑、長州見島

        見島の歴史(20)見島と鯨捕り

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        • 見島の歴史
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          1本

        記事

          見島の歴史(17) 北前船その1

          宇津村の開拓が、北前船の寄港によって急激に進んでいった事は前号で記したが、北前船とはどの様な船で、どの様な役目を持っていたのだろうか。北前船は、近代以前に貨物、旅客の海上輸送をしていた船のことを称していて、廻船とも弁財船ともよばれており、七福神の一神で、福徳財宝の女神である弁財天にあやかった名称で、当時の大型帆船の総称である。 当初は、500石積み以下の小さな船で、東北、北陸地方からの天領米や藩米を京都、大阪地方に運ぶ手段として始まったものである。 小さな船では沖合を航行す

          見島の歴史(17) 北前船その1

          千年の田んぼ/石井里津子著

          2017年12月、一冊の本が発売されました。石井里津子さんによる「千年の田んぼ」という本です(旬報社)。この本は2018年度の中学校青少年読書感想文コンクールの課題図書にもなりました。石井さんは、日本中の農村を取材して回られている農村取材のエキスパートです。その石井さんが実際に何度も見島を訪問され、取材を重ね、歴史をたどり、一冊に纏めたものが「千年の田んぼ」です。 本の内容には深く触れませんが、見島出身者である私でもあまりよく知らなかった事も書かれており、たいへん勉強に

          千年の田んぼ/石井里津子著

          見島の歴史(16) 宇津村の開拓

          宇津村に、何時の時代から人が住み始めたのか文献はなく、はっきりとしたことは分からないが、一説によれば延宝6年(1678)に、本郷(本村)の百姓、三右衛門が定住したのが始まりとされている。 しかし、これより先、約900年前の宝亀年(770~779)には、稲作が農業の支配的生業として盛んになっており、後に本村では、田作り出来る平野部が全て耕されていき、いつの時代か分からないが、一部の農民が宇津の平地に着目、田の出作りを始めたという。これが、宇津村の開拓の第一歩と考えられないだろ

          見島の歴史(16) 宇津村の開拓

          エピソード募集中

          ・皆様のエピソードを募集中です 見島出身の方、見島で暮らしたことのある方、見島出身者の友人知人がいる方、見島に行ったことがある方、現在住まわれている方などがいらっしゃいましたら、ご自身のエピソードや、聞いたことがある話などを是非メールで送って頂きたいです。かすかな記憶でも構いません。日常の思い出、季節の行事、伝説、噂話、怪談など、どんな話でも喜びます。どうぞご協力をお願いいたします。 ▶︎ご連絡はページ最下部の「クリエイターへのお問い合わせ」まで ・  ・  ・  ・ 

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          リンク集まとめ

          【 見島に関するリンク集 】 現在インターネットで閲覧出来る見島についての記事や、見島を発信している方のページを随時こちらに纏めさせていただきます。記事をご存知の方や、見島を発信している方は是非お知らせいただけると幸いです。 ▶︎ご連絡はページ最下部の「クリエイターへのお問い合わせ」まで ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ ・萩市見島公民館 ・見島観光協会 ・見島小中学校ホームページ ・見島分屯基地ホームページ(航空自衛隊) ・見島が待っている(Facebook

          リンク集まとめ

          はじめに

          見島・・・みしま 山口県萩市に属する島。山口県の最北端に位置し、萩市沖北北西約45キロメートルの日本海上にある。萩港からはフェリーで約90分、現在も約700人が暮らしている。(2021年3月末) 日本海にポツリと浮かぶこの小さな島には、古くからの歴史や逸話がある。インターネットが発達した現代においてはウィキペディア等のインターネット上でも記録を読むことが出来るが、全てではない。そのほか、現在見島についての記録で残っているものの多くは、県内外の資料館や大学で保存されているが