見島の歴史(19)港について2
新川港の護岸はできたものの、干潮時には、大きい荷方船は接岸できず、船を沖合において、テンマで積み下ろしする状態であった。
明治末期、共同負債が愁眉を開いて物資の海上輸送が増大、活気が溢れるようになり、同40年(1908)に「中の波戸(旧定期船発着場)」が築工、整備され、通船はこの波戸から発着するようになった。又、「西の波戸(中津ち)」の構築もみられた。昭和2ねん(1928)トビ瀬から西に向けて小さい波戸(ふる波止)が出来たが、時化になると、小浜へは相変わらず波浪の侵入が激し