【中編小説】彩の旅 EP2 欲望解放境界域 ヴェンツ [後編]
Episode Ⅱ
欲望解放境界域 ヴェンツ
-Passions and desires-
Interlude
あれは十四年前の話である。
当時三歳だったレオンに、ようやくイルザという妹ができた。
近辺の家庭と比べて質素ではあるが、それなりに幸せに暮らしていた。
妹のイルザは、兄のレオンが大好きだった。
ある日は──
「お兄様! 川で鮭が取れましたよ! 一緒に食べませんか?」
「うっせェな。いちいち報告しなくていい」
また、ある日は──
「まあ! お兄様。怪我をなさったのですか!」
「いちいち、リアクションがオーバーなんだよ。少しくらい落ち着けや」
いちいち気にかけてくれるイルザに対して、レオンはあまりいい気分ではなかったが、なんと言ってもイルザのことをそれなりに大切にしていた。
時が経ったある日のこと。
レオンが家に帰ると、そこには母親の死体があった。
「……は」
母の遺体の前に立っていたのはイルザ。
ゆっくりと、人形が動くかのようにイルザがこちらを向いた。イルザの首がギリギリと音を立てている。
「お兄──様」
消えそうで震えた声で兄を呼ぶ。
レオンの理性は凍結した。
激情/自分の感情を殺す。
今は、まだその時ではない。
イルザの手に血は──ついていない。
「お兄様……、お兄様!!」
「イルザ、何があった?」
「家に帰ってきたら……もう」
「クソッ、何が起きたってんだよ」
状況を鑑みても、誰が母を殺したのかは全く推察できない。
──なんだろう、厭な予感がする。
レオンは耳をそば立てた。
自らの心臓の鼓動が聞こえる。確実に速くなっていく。
「お父様……?」
ふと、後ろを振り向く。
「女王様の為すがままに 女王様の仰せのままに」
そこには、ロボットのような無機質に声を出す父の姿があった。
父の手は紅に染まっている。この獣が誰かを殺したのは間違いない。
「おい……親父、何やってんだよ」
父は何も言わない。レオンの目すら見ていない。
牙と牙の間から涎を垂らしている。
レオンの背筋が凍る。レオンの先にある何かを父は見ている。厳かな父としての目ではない。
それはまるで──
「イルザ……」
──飢えた獣のような目だった。
「イルザァアアア!!」
レオンは一度目よりも大きな声で妹の名前を呼ぶと同時に、イルザに向かって走り出した。
「お兄様?!」
イルザは我に返った。足がすくんでいる。
父もすでにイルザに向かって疾走していた。
しかし、レオンの身体でどれだけ疾走しても、どうしても追い越されてしまう。
父の凶爪が逆光に翳された。
「お父……様」
イルザに対しての強い殺気。
しかし、腕を上げたまま父はそのまま動かなくなった。
「ィ……ルザ──」
父の口から出た消えそうな声。腕を上げたまま動かない。
「親父……?」
父が何に抗っているのか、それすらもわからないまま父は膝を折ってその巨体を床に伏せてしまった。
「……失礼」
父の背後に何者かがいる。何者かが父を殺した。
「キミたちが父親を殺すことは、困難であると見てね。ボクが代わりに始末した」
逆光でよく見えない。しかし声や影は少年ではあるが、話し言葉は少年ではない。
「誰なんだ、アンタは」
レオンは逆光に晒された誰かに訊いた。
「ボク? ただの探偵だよ」
「……探偵?」
「たまたまここを通りかかってね。なんとかしなきゃと思ったらそこの巨体を殺すしかなかった」
「探偵は人を殺すのか?」
「ボクもだが、キミたちもヒトじゃないだろ」
少年は、それに、と前の言葉に付け加えて続ける。
「ここは殺してはいけないという法律がない。女王陛下のやりたい放題だろ。キミの父親も女王と情交して洗脳されたに違いない。ボクの見立てによると、母親を殺したのも女王陛下の指示である可能性が高いね」
「何が言いたいんだ。アンタは」
「ここはもう終わってる。キミたちが生きていくには、あまりにも狭すぎる。いずれキミたちもお父さんみたいになってしまう。だが、城都の外は自由だ。女王に虐げられることもない。ボクの提案はどうだい?」
震えるイルザを抱きしめながら、レオンは首を縦に振った。
Ⅵ
ベンはシエロ達との約束が成立した後、リアカーごと打ち捨ててレオンの忍び込む後部座席に乗り込んだ。
女王の城に向かうと言っておきながら、横柄にも食事を幾度となく要求し、ベンも腹が満たされるまでは本来の目的を忘れつつあった。
「いやあ。オジサン、実はグルメでさあ。マズいメシは食わない主義だったんだが、まさかここのメシがここまで美味しいとは思わなかったよ。そう思わないか? レオン君」
「うっせぇ。少しくらい黙れ。あと、獣の姿に見えてても元々は人間だ。食文化が似通うのは当たりメェだろうが。バカなのかテメェはよ」
「そこまで言うなよ……」
レオンの厳しい一言に肩を窄めるベン。
「レオンくんと、ベンおじさんってソリが合わないのかな? シエロ」
「どうだろうね。生理的な問題もあると思うよ」
「シエロ君も続けてオジサンの心に槍を刺さないでもらえるかな!?」
シエロはなお表情を崩さない。
「ヒトを見た目で判断しちゃいけないってホントなんだなぁ。そう思わないかい? シエロ君」
しかし、シエロは何も言わない。眉を一つ動かさずに前を見て運転をしている。
「シエロ君?」
ベンを徹底的に無視し続けるシエロ。
「シエロ、いくらなんでも無視し続けるのはひど──シエロ?」
ヴァリはシエロのわずかな表情の差を読み取った。シエロの眉間がピクリ、と動いたのだ。
それは、シエロが本気で焦っている証拠でもある。ヴァリはそれを一番理解していた。
四人を乗せた車は加速し続けている。メーターは、時速八十キロを超えようとしていた。
「こんな商店街で、スピードを出すのはどうなんだい!? シエロ君!?」
「外を見てください」
「え?」
ベンが外を見ると、そこには人狼の住民達がこちらを見続けている。
「何……これ」
「レオン君、これはどういうことだい?」
「女王の魔法だ。ここにいる住民はある程度の意思は与えられても、結局女王の手の中にある。ここにいる全員が女王に操られていると思っても良い」
レオンの解説に、シエロが付け加えるように言った。
「ここを脱しない限りは、二度とこの城都から出ることは叶わない。僕らも人狼に変えられて終わりだ」
しかし、それも限界が訪れる。
四方を囲まれてしまったのである。
車を止めて、ドアで人狼を吹き飛ばす。
「オジサンに任せなさい」
いつのまにか金色に輝くの棒を手にしていたベン。
その立ち姿は、先ほどまで飄々としていた風貌は消え失せ、目を大きく見開いた。
「『西遊念力』!!」
瞬間、ベンは棒を大きく振り回した。
目に見えない速さで何回か回転したあと、いつの間にか、鎌のような形になった。
ベンは冷酷な表情を浮かべて、その鎌に変化した棒で人狼たちを斬り裂いていく。
出鱈目に振り回しているのにも関わらず、ベンの棒が変形した黄金の鎌の刃はヴァリやシエロ、レオンに当たることなく、周りの敵を屠る。
──やがて、敵は全て斃れる。
「一仕事終わり! どうだい? オジサンの技は」
冷酷な顔とは一転して、笑顔を見せるベン。
「それは、如意金箍棒ですか?」
シエロの問いに、ますます嬉しくなったベンは満面の笑みを浮かべ、
「いやあ、違うよ。たしかにこの棒は西遊記に出てくる斉天大聖様の如意棒なんだけども、実は完全な性能を再現しきれてない贋作なんだ。そもそも本物はオジサンが持てるくらい軽くないさ」
「では、今の技は?」
「ああ、『西遊念力』のことかい? あれはオジサンの能力だよ。この如意棒はたしかに偽物だけども。"自分の思った通りになる"性質があってね。イメージできれば触れれば五感を喪失させることもできるってことさ。まさに"見猿聞か猿言わ猿"ってやつだね」
「なにそれ」
ヴァリが訊いた。
「東洋の国に日本という国があってね。昔の日本の治世者のイエヤスっていう人が祀られている寺院を守っている猿たちだよ」
「おい、テメェら。無駄話してる暇はねェよ。とっとと先に──」
「その必要はねぇよ。おまえたちはここで冥土に送ってやる」
四人の中にはいない第三者の声が聞こえた瞬間、レオンは膝を折って倒れた。
「レオンくん?!」
「レオン君、しっかりしたまえ!」
咄嗟に声の方向を見ると、そこには男が道の中央を歩いていた。
「よぉ、兄弟」
目を凝らしてみると、男はターパンを巻いている。
「久しぶりだなァ、シエロ。シエロ=アンダーウェイ! オレの可愛い弟!!」
シエロは何も言わない。無表情のまま男を見据えている。
「なんだよ、つれねェな。五年ぶりの再会だ。ゆっくり話でもしようぜ」
「ねえ、シエロ、あの人誰?」
ヴァリの問いにすらもシエロは答えない。
「シエロ、テメェなんか言ったらどうなんだ。テメェが答えねぇならオレが答えてやる。オレは"ソムニウム"。そこにいるカスはオレの双子の弟だ」
「レオンくんに何をしたの?」
「狙撃して殺したんだよ。女王を殺そうとしてるなら、殺される前に殺すのが道理だろうが」
ソムニウムの浮かべる笑顔は、絶対的な優位による余裕だった。
「大体、そいつの両親は既に死んでんだよ。いいか。ここの女王の魔術は魅了の魔術であると同時に、欲望を曝け出す魔術でもある。テメェの父親は女王と交尾して、女王の眷属になったわけだ」
「女王の眷属?」
ヴァリは訊いた。
「そうだ、眷属だ。一生女王の奴隷になるんだよ。そしてテメェの嫁をぶっ殺して、娘さえもぶっ殺そうもするとはね。何のつもりかは知らねぇけどさ。生き汚えと思わねえか? シエロ」
シエロは何も答えない。無表情のまま自分が自らの兄だと名乗ったソムニウムを見つめている。
「そのキョトンとした目も何もかもがムカつくよなぁ。昔っからそんな無口だったっけか? オマエ」
ソムニウムは手に持っていた狙撃銃を変形させた。
「兄弟なのに殺し合うの?」
ヴァリの純粋な問いに、ソムニウムは首肯した。
「ああ。ムカつくからぶっ殺す。こいつが生きていることに、すっげぇ虫唾が走るんでな」
ソムニウムはターパンを脱いで、それを左手に巻く。臨戦体制を整えるためにコートも脱いだ。
「国際郵便局員!?」
ヴァリの驚きはもっともだった。
「ああ。オレは国際郵便局員だ」
世界は広い。シエロも国際郵便局員とはいえ、もう何年も旅をしてきた身である。
それが、ここで無限通りある世界で二人の国際郵便局員が交わったのだ。
「よって、そいつの実の兄であり同僚でもあるのさ。お嬢さん」
ソムニウム優位になっているという余裕のある顔。
確かにヴァリにとって腹立たしいような慢心からの笑顔だったが、どうしても最後まで憎み切ることができなかった。
「……ヴァリ、そこから一歩も動かないでね」
「是こそは、国際郵便局の神秘なる模倣神話武装──『偽・戦熱聖剣!! さあ、テメェが旅立つ前の続きをしようぜ。どっちが死ぬか競争だぁぁぁ!!」
二つの影が交差する。
シエロの目は、険しくやりつつある。
ソムニウムが持つ剣は、イリアスの英雄ヘクトールが使用していた聖剣デュランダルをロンドンの科学を以って再現された模倣神話武装『偽・戦熱聖剣』。対して、シエロは徒手空拳だ。武器を何か持っているわけでもない。自らの研ぎ澄ました拳──『狂殺拳』で敵を撃ち斃す。しかし、明らかに力の差は歴然であったのだ。
ソムニウムは剣を大きく振りかぶり──
「ぬん!!」
──力一杯振り下ろした。
シエロは体を捻り、それを躱す。
見ているヴァリからしたら、それは間違いなくただものの兄弟喧嘩ではない。
単なる殺し合いだ。
重苦しいソムニウムの一発一発の斬撃を、シエロは風のように躱し続ける。
しかし、決してシエロに余裕があるわけではなかった。一発でも刃に触ってしまうと、その部位が火傷してしまうのだ。
流石、西洋の剣だ。剣の重さで物を叩き切ることのみならず、物を焼いて叩き切るという、ある種一つの工夫がなされた剣だ。
高熱を以て敵を焼いて叩き切る。それがソムニウムの『模倣神話武装』の本質でもあった。
──切っ先が歪な弧を描く。
「シエロ、テメェ!! どこでそれを身につけやがった?!」
シエロは無表情のまま答えない。
彼は振り下ろされる剣を避けているにすぎない。当たりそうであれば、地面を滑走するように相手の間合いに入って、腕の軌道を逸らすのみ。
「くそ、何で避けるんだ……!」
シエロは何も言わない。ソムニウムの鬼のような形相を見すらしない。
「調子に乗りやがって……! テメェはいつもオレのことを馬鹿にしてるんだろ!!」
そんなソムニウムの怨嗟すら、気にかけることもなくシエロは剣を避け続ける。シエロが見ているのは剣の切っ先。凄まじい集中力で、剣がどう動くのかを瞬時に判断し、その通りに避けているだけだ。
結果的にソムニウムの体力だけが失われていくだけだった。激昂に任せて剣を振り下ろすソムニウムは未だこの戦いが全くの無意味であることに気づいていない。
縦、縦、横、縦、横、横──。
ソムニウムの動きは徐々に単純化されていく。ソムニウムの息は浅くなっていく。
──かくして、雌雄は決した。
ソムニウムは剣を突き立てて、膝を突く。
「はぁ……はぁ……ア」
ソムニウムはシエロを見上げる。シエロは息が浅くなったそれを見下ろしている。
「テメェ、どういうカラクリだ……。武器を持っているオレの方が有利なはずなのによ」
息の上がった声でシエロに訊いた。
しかし、シエロは何も言わない。
「テメェのそのオレを見下したような目、昔っから気に食わねえんだよ」
「必ずしも──」
シエロは、眉間に皺を寄せて思い口を開けた。
「──武器を持っている方が有利であるとは限らないよ。兄さん」
ソムニウムは怒りを込めてシエロを睨みつける。
それは決して剣が当たらず殺し損ねたことに対するものではない。
シエロはソムニウムに対して、一度たりとも攻撃をしていないのだ。それに加えて、ただでさえ重い剣を振り回していたソムニウムの身体が、限界を迎えたのにも関わらず、シエロは息を上がった様子でもなく、毅然とした態度を取っている。
その事実が、ソムニウムを怒りへと駆り立てていく。
「クソ野郎が……」
──重い沈黙。沈黙といっても、それはヴァリにとって悍ましい沈黙だった。
「存外と、苦戦しているようだな。異邦人よ」
見えない空間から妖艶な女の声が聞こえる。
ソムニウムは目を伏せた。
シエロは何も言わない。表情が無のままソムニウムを見つめている。
シエロの前に跪くソムニウムのそばに一人の女が現れた。
片手には一本の杖。女が着ている衣服は白いドレス──のように見えて、あまりにも露出の多いものだった。
「平伏せよ。礼賛せよ。妾こそ、このヴェンツ帝国の為政者。バートリー=エルジェーベトである」
女は両手を大きく広げて、自らが女王であると宣言した。
──『ハンガリーの血の伯爵夫人』の名と共に。
しかし、シエロはそんな女王に頭を垂れることなく、女王『バートリー=エルジェーベト』を睨みつけている。
女王は両手を下げ、シエロを見据えた。
「汝、頭を垂れよ。不敬であるぞ」
シエロは女王の要求に屈しない。
「平伏せよと言っているのだ!!」
女王の叫びと共に杖をカツンと地面に軽く叩きつける。空気が重くなった。
シエロは、そんな空気の重さすらも屈することなく立ち尽くしている。
「貴様……」
閑かに激昂する女王の目が光り始めた。
「シエロォオオオ!! やめろ、そいつと目を合わすなアアア!!」
ベンに介抱されているレオンが叫ぶ。
「魔眼、解放。平伏せよ、礼賛せよ」
女王の目に花が咲く。其は、目を合わせればあらゆる欲望を駆り立てる魔眼。
シエロはそんな女王の眼を見つめている。
「さあ、汝、妾の前に平伏せよ」
女王の顔が歪む。歯を剥き出しにして不気味に笑っている。
──数秒の沈黙。
女王は、この沈黙がなんの意味を成していなかったことにようやく気づいた。
「なぜだ、なぜ妾の魔眼が効かぬ?」
魔眼を発動させたまま、女王の顔は焦燥の色に染まっていた。
そんな女王をシエロは無表情で睨みつけている。
「貴様、よもや人間ではないな? 故に妾の魔眼が効かなかったのだな? 貴様何者だ?!」
女王の顔は恐怖の色に染まり始めた。
「"癌"。この世に生まれることが許されないモノ。望まれぬ誕生を果たしたモノ」
今の言葉は、ヴァリにとっても初耳だった。
そもそも、もともと人間しかいなかったこのヴェンツ帝国において、魔眼の対象になり得るのは人間のみなのかもしれない。
仮にもしもシエロの言葉──『自分は人間でない』という事実が真であるのならば、彼が魅了の魔眼の対象外であるのも明確だった。
「『癌』だと? 妾は聞いたことがないぞ!」
「そうだろうね。なにせ、僕が把握している限りでは、『癌』は僕と兄さんのこの世にたった二人しかいないからね」
女王の顔には恐怖の色が浮かび始めていた。
女王は魅了の魔眼を発動すれば、どんな人間をも服従、そして手玉に取ってきた。不満なことや欲しいものは全て魅了の魔眼で従えてきた。
しかし、シエロは自らの魔術で変化させた人狼とは異なる異界の法則。
そもそも境界域はある並行世界の一つの文明を切り取って、この世界の地球という惑星に張り付けたものに過ぎない。しかし、シエロはヴェンツの境界域には存在し得なかった異物なのだ。
この世に知り得ない法則が成り立った瞬間、ヒトはどうしても恐怖を抱いてしまう。
女王が怖気付くのは自明の理だった。
「化け物め」
──しかし、魔眼を発動させたまま注意をシエロに向けたままだったのが女王の失策だった。
「陛下!!」
ソムニウムの叫びにも動じず、女王はシエロに恐れ慄いている。
シエロの右のこめかみに、後ろからヒュンと何かが飛んで来るのを感じた。
放たれたのは矢だった。それは女王の右胸に刺さった。
ドレスが紅に染まっていく。
「ごはっ──なぜ、一体どうして!?」
女王の口から紅の液体が出てくる。
ヴァリが咄嗟に後ろを振り向くと、ボウガンに手を添えたレオンが立っていた。
「生憎だったな、クソ女王。よくもオレらをコケにしてくれたな。その報いの矢を受けてくれて嬉しいぜ」
そう言った矢先、レオンは膝を折って倒れ込んだ。
──勝敗は決した。
女王は臣民たる人狼の一匹の矢に遺す言葉もなく絶命した。
Ⅶ
「レオンさん!」
ヴァリは倒れゆくレオンを走って受け止めた。
「レオンさん……血が!」
「そんな……顔をするな。オレも悲しくなっちまうだろうが」
既に、レオンからは体温が失われていた。血が出過ぎたせいでかなり衰弱し切っている。
レオンの鋭い手が、ヴァリの頬に触れる。
「ヴァリ……オマエは、母さんによく似てるな……」
自嘲するように、レオンは笑った。
「レオンさんの、お母さん?」
ごふっ、とレオンは口から紅の液体を吐き出した。
「……レオンさん、死んじゃダメだよ」
「シエロに……伝えておけ。女王を倒せたことへの感謝と、テメェはテメェの意志で戦っていいのだと。自分の心を殺す必要はないんだと……そう、シエロに伝えてやってくれ」
最期に口にした言葉は、自らの家族に対する罪悪感ではなく、自らの復讐の手助けをした友人への感謝の言葉だった。
「うん、わかったよ、わかったからもう……」
「ヴァリ、最期に一つだけ頼みがある」
「何? なんでも聞くよ!」
「オレのことを、呼び捨てにして名前で呼んでくれないか……。一度だけでいい」
ヴァリは全てを理解した。
レオンは決して、両親に愛されたかったわけでも、妹に会いたかったわけでもない。
──きっとひとりぼっちで、寂しかったのだ。
どれだけ辛くても、辛いと叫ぶ人もおらず、どれだけ嬉しくても、それを共有する仲間もいない。一人きりでなんて生きていけるはずはない。人間も同じように、人狼だって同じだ。
だからレオンは強がって生きるしかなかったのだ。幼かった心を無理矢理にでも殺してでも、自ら大人になるしかなかった。
ヴァリの頬に涙が伝う。決して同情を込めた涙ではない。孤独に生きた一匹の人狼への尊敬だった。
少女だったヴァリの目は、瞬くも母のような慈しみのある目に変わる。
「……レオン。助けてあげられなくて、ごめんね」
ああ、とレオンは小さな声を出した。
──きっと、オレはこの瞬間のために生きてきたんだ。
「母さん、オレは、生き、たぞ……。みん、なの仇を討って、生き、たぞ──褒め──、て」
レオンの手から力が失われていく。だらんと垂れ下がった腕。
「レオン、レオン! ベンおじさん!」
そばで事の顛末を全て見ていたベンは目を伏せた後、何も言わずに首を横に振った。
「レオン──さん」
──それは、家族を愛してやまなかった一匹の人狼の穏やかな死相だった。
Ⅷ
骸になった女王をソムニウムはただじっと見つめており、シエロは戦意を失った自らの兄を見つめていた。
いずれにせよ、いつまた戦闘が起きるかがわからない。
瞬きすら許されぬほど凍りついたこの空気に、シエロは重い口を開いた。
「──もうやめよう」
「はァ?」
「兄さん。もう殺し合うのはやめよう」
それ以上は何も言わない。再び沈黙が訪れる。
ソムニウムは肩を震わせながら、項垂れた。
シエロは、無表情でソムニウムを見つめている。
「そんなの──イヤに決まってんだろうがァァ!!」
剣を再び手にとったソムニウムは大きく上に振りかぶってシエロに突進する。
シエロは驚く様子もなく、ただソムニウムの突進を見ている。
応戦する構えを取らず、シエロは正面からソムニウムの斬撃を受けようとしている。
「ぬん!!」
目を閉じる。
それさ、シエロが死を覚悟した瞬間でもあった。
大きく被った大剣は、シエロの頭上を二つに斬り裂く
──はずだった。
シエロは死んでいなかった。大剣の熱がこれ以上熱くならない。
「なんのつもりだ。クソ猿が」
「こちらこそ、オジサンのトモダチに何をするつもりかな。無抵抗の者を斬り殺してキミは満足するのかな?」
目を開けると、シエロの前にはベンが如意棒で大剣を受け止めていた。
そのままベンは、ガラ空きだったソムニウムの腹を右足で蹴った。
「やるじゃねえか。クソ猿」
「オジサンに圧倒されるようじゃ、キミはまだまだだね」
「そりゃどうもッ!!」
続く二撃目。弾かれた大剣の勢いをそのまま生かし、ベンの腹部に迫る横斬り。
「……西遊念力」
ベンがそう唱えると、剛直な如意棒は瞬く間に柔らかくなった。
「そーらよッ……と」
軽く如意棒を振ると、自然の如く如意棒はしなり、ソムニウムの横斬りを難なく受け流した。
二撃目を受け流されたソムニウムは、そのまま身体のバランスを崩し、項垂れてしまった。
「キミ、クソみたいに弱いな」
ベンは一言、槍のようにソムニウムに吐き捨てた。
「だって、自分の憎しみを晴らすために剣を振り回すんだもんね。そりゃ弱い。信念が通ってちゃいない剣士というのはここまで弱いとはオジサンちょっと学んじゃったなぁ」
「……くそ」
ソムニウムは否定できなかった。
「オジサンはね、──団の中でも最も弱いんだ」
「は?」
いまいち聞き取れなかった部分があったが、そんなソムニウムの疑問をよそに、ベンは続ける。
「かの斉天大聖──いや、ここだと孫悟空の方が通りがいいかな。孫悟空のように、オジサンは如意棒を使いこなせるわけじゃないし、しかもこいつはニセモノだ」
「何が言いたいんだテメェはよ」
「己を強くしたいのなら、弟を蔑むのではなく、まずはキミが弟を越そう、と思うことが大切なんじゃないかね。オジサンもニセモノなりにこうやって戦ってるんだから──さ」
ソムニウムは沈黙した。しばしの沈黙の後、その重い口を開く。
「フン、気に入らねえがテメェのいう通りだ。猿野郎。確かに剣を振り回すことが、強さだとは言い難ェもんなァ。憎しみの限りを使うのはよくねえって、オレも学習させてもらった」
ソムニウムは大剣を虚空へと仕舞う。光の粒となって消えてゆく。事実上、ソムニウムには戦意がないということになる。
重い体を持ち上げるようにソムニウムは踵を返す。
「今回は猿野郎の顔を立ててやるよ。オレも体力の限界だ。シエロが殺しに来なかっただけ幸運と言わざるを得ないな。シエロ、オレは必ずテメェを殺してやるからな。覚えておけ」
ソムニウムの背中は遠くなっていく。
シエロは何も言わなかった。
けれども、ヴァリにはその顔が少しだけ──寂しそうに見えた。
Ⅸ
ソムニウムは立ち去り、女王も絶命した。この境界域にいる必要はないと判断したシエロは、いち早く車で城外へと脱出した。
女王の洗脳が解けたのか、城内の民は全員混乱に陥っていたが、逆にその間を縫うようにして逃げることができた。
──城壁が遠ざかっていく。
車内にはシエロとヴァリ、そしてベンの三人が乗っていた。
「ベンおじさん」
ヴァリの声で、うたた寝をしていたベンが起きた。
「なんだい、お嬢さん」
「一つ思ったんだけど、シエロのお兄さんと、シエロを戦わせないようにしていたのって、どうして?」
「そりゃもちろん──」
ベンは言葉を詰まらせた。苦虫を噛み潰したような顔で目を伏せながら続けた。
「──兄弟喧嘩ってさ、見ていて面白いもんじゃないでしょ? それに、シエロ君はオジサンのトモダチの息子さんによく似てた。それ以上に理由は必要かい?」
シエロはバックミラーでベンを一瞥したが、何も言わなかった。
「まあ、でも今は、わからなくてもいいよ。きっとオジサンの言いたかったことがわかる時が来るさ」
「そうなのかなあ」
ヴァリの純粋な仕草に、ベンはクシャッと笑顔になった。
「短い間だったけど、オジサンとの旅は楽しかったかな? お嬢さん」
ヴァリは目を輝かせて、即答する。
「うん、楽しかった!」
「ああ、そう言われると嬉しい。また会えた時、楽しみだな──」
車内に一陣の風が吹いた。窓から吹き込む風は、春を感じさせるような暖かい風。
風に飛ばされるように、後部座席に座っていたベンは消えていった。
「ベンおじさん、いなくなっちゃったよ。シエロ」
シエロは何も言わない。苦虫を噛み潰したような顔で前方を見て運転していた。
「またむくれて何も言わないんだね。シエロのばか」
To be continued...
Ⅹ -Interlude of Team Zodiac-
虚空。ここには何もない。
其は、この世ならざる異界の回廊。即ち、虚構図書館である。
ベン=マンキッキーは虚構図書館の三つある部署のうち、世界を観測し、異常があればその世界に立ち入り原因を探る部署、『干支団』の一員であり、コードネームは『申』である。
本来ならば、自らの名前は明かしてはならない規則があるが、今回は私情も相まってベンは自らの名前を明かしてしまった。
やっちまったなー、とベンは頭を掻きながら、前へ進んでいる。
「ただいま帰宅──っと」
対して向こう側にはツノの生えた少年が立っていた。おそらく向こう側がベンを見つけて立ち止まったのだろう。
ベンもその少年を目に入り、立ち止まった。
「帰ってきたんだね。ベン」
「ああ。ちょっくら一仕事してきた」
「しかし、最近キミの単独行動が問題になっていてね。五獣隊で審議に挙がっているそうだ。キミは有給休暇をとって何をしているのかな?」
「それは──」
「よもや、個人的な思い入れで『終わりの世界』を訪れているのではないだろうね?」
ベンは少年の指摘にに目を伏せた。
しばしの沈黙の後、少年は大きくため息を吐いて、思い口を開けた。
「まあ、いいさ、キミはボクの相棒なんだ。きっとネズミみたいに悪いことはしていないだろう」
少年は、ベンの肩に手をトンと置き、
「くれぐれも、五獣隊に見つからないようにね。特に『青龍』のセイレーン。規則正しくあろうとするが故に、他人には厳しいからね」
そう言って、再び歩みを進める少年。
「ああ、オジサンからも一つ聞きたいことがある」
少年は足を止めた。
「何かな。ベン」
「お前さん、あの後『終わりの世界』に行ったか?」
「──どうしてそれを?」
怪訝な態度を示す少年。ベンは続けて、
「あの世界でレオンとイルザを助けたの、お前さんじゃないのか?」
少年は黙った。
「ウソや隠し事はなしだよな、ボルボッコ=ギュース? オレたちの間の約束だろ?」
ボルボッコ=ギュース、と呼ばれた少年は深いため息をついた。
「あれは……ボクの信念に基づいてやったものだ。規則違反であることはよくわかっている。正直に話したんだ。上に黙っていてもらえるかな。ベン」
「もちろんだ」
二人は、ふたたびすれ違っていく。
何もない虚空を、ひたすら前に──。
Interlude of Team Zodiac out...
あとがき
どうも、カガリです。一ヶ月半が経過して今更ですが、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
まずは、更新が遅くなりまして大変申し訳ございません。現実世界でかなり忙しい状況にありました。大学のテスト関連やら、コロナの影響によるバイトの出勤やら……。おっと、ここは愚痴るところではありませんでしたね。完結恒例裏話をば。
今回のお話は想定よりも少しボリュームのあるお話になりました。彩の旅初期段階から、人狼たちのお話はありまして、多少改変しながらもこうして公開しきることができました。本当はもう一枚挿絵を描き下ろそうかなと思っていたのですが、またまた多忙さを理由にして申し訳ないのですが、本当に現実が多忙でした。
多分あの描写では非常にわかりづらかったと思うので、レオン一家の悲劇についてお話しすると、城壁内にいる幸せな家庭を観測した女王が、欲望の魔術を父親にかけて、母親を殺害させ、その十数分後に、イルザ少女が帰宅。この時には母親の命は無く、一人で泣いているところに、レオン少年も帰宅。その事態を把握するまでもなく、帰巣本能に従って帰ってきた父親によって、レオンとイルザは殺されかけますが、ある人物に助けられます。その後、城壁内を脱出し、村で生活することにしたイルザと一人で暮らしていくことにしたレオンが対立。ここで対立したとはいえ、たまにイルザがレオンの家に遊びにきたりとかしており、兄妹愛は良好でした。とまあ、その数年後にシエロたちが現れて──といった流れになっています。
バートリー女王のモデルは言わずもがなハンガリーのエルジェーべト女王です。なお、並行世界とか関係なく、まったくの別人なので史実とは混ぜないで読んでいただけると助かります。女王は登場直後に自分の能力を使って効かずに倒れてしまいましたが、あれは自分の能力を過信したが故です。出オチとかではなく、女王の慢心が引き起こしたものです。
ちなみに本編では描写の都合上省いていますが、レオンと女王の遺体は、キチンと埋葬しています。レオンの遺体はイルザの墓の隣に、女王の遺体も場所までは詳しく設定していませんが埋葬されています。
正直、今回のお話は執筆する私としても非常に難しかったです。心情描写や、情景描写、最近は某超有名伝記物のノベルゲーム二作をプレイしていたものですから、かなり文章の書き方がそちらに寄ってしまっているような気がして、描写の方法でかなり悩みました。
第三章の題名は『異個隔絶境界域 ループリン』の予定です。どんな世界がシエロたちを待ち受けているのか乞うご期待。
その間に、幕間を一話挟みます。現在絶賛執筆中ですので、気長にお待ちください。
それと先行公開になりますが、第四章の題名は多分皆様が聞いたことのある七文字の地域名になっております。伏字で表すと、『⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎境界域 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎』ですね。皆様に楽しんでいただけるようなお話を考えているので楽しみにしていてください。
──何か世界観にそぐわない変な人たちが出てきた? 彼らの物語はまあ後々。
かがり
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