【中編小説】彩の旅 EP2 欲望解放境界域 ヴェンツ [前編]
Episode Ⅱ
欲望解放境界域 ヴェンツ
-Passions and desires-
○境界域について
又の名をテクスチャーエリア。大変動によって突如ブリテン島以外の全域が置き換えられた。ブリテン島ではオーロラが観測され、同時にブリテン島北部──スコットランドやアイルランドの連絡が途絶えた。
置き換えられた場所には並行世界……我々の世界には存在しない領域がチグハグに配置され、ちぎり絵のピースのような一つ一つの世界を境界域と呼ぶ。そして、我らのブリテン島も同じく境界域となってしまったので便宜上、ブリテン境界域と呼ぶこととする。
○『世界の裏側』についての考察
英雄アレキサンダーと妖精エインセルは、26年前に双子を産んで以後、突如失踪した。英雄アレキサンダーと妖精エインセルは、エジンバラ以北にはゆかりがないため、ブリテン境界域の中にはいるはずである。なんらかの方法で『別世界』へと移動した可能性が考えられる。ちぎり絵と性質が似ていることから、糊がしっかりくっついていない部分から『世界の裏側』に行けるのではないかと仮説を立てた。僕の見立てが間違っていなければ『世界の裏側』は、『死』と同義であり、今僕達が立っている『世界の表側』には帰ってくることが困難であるのだろう。
(シエロ=アンダーウェイのノートより抜粋)
intro.
緑の森を抜けると、そこには一面の雪原が広がっていた。森を抜けた瞬間から急に気温が下がった。
「シエロ、寒いよ……」
「境界域を跨いだからだ。僕の上着を着て我慢してくれ」
26年前に発生した大変動で発生した境界域(テクスチャーエリア)は、ちぎり絵のようなものである。色の違う色紙が惑星という台紙に現実の地球に上書きする形で、過去、現在、未来の並行世界から出鱈目に貼り付けられたのである。
よって、境界域を跨ぐと途端に物理法則が変わってしまう。ジャングルを抜けると急に気温が低下し、雪原地帯になったりすることがあり、その逆も起こる。
当然、このような現象は普通はあり得ない。大変動が起こってしまったから、地球の法則が崩壊しているのである。
「境界域を跨いだってことは、やっぱり誰かが住んでるっていうことなのかな?」
「そうとも限らないよ。境界域が存在するということは基本的に一つは文明があるのは間違いないんだけどね……大変動以降26年間で、近隣国家と戦争して滅亡してしまったりだとか、他の要因で惑星に馴染めていなかったりしてその部分だけが何もないこともあったりする。だが、そのような例は極めて稀だ」
シエロはロボットのように淡々と語った。
「──でも、この境界域の文明はほとんど崩壊しているのかもしれない」
「それはどうして?」
シエロは何も言わなかった。
よく周りを見てみると、周囲には家屋が崩壊した跡が散見していた。人の死体や獣の死体。しかもそれがかなりの年月がなったのか白骨化している。
ヴァリは文明の崩壊を理解した。
「これは……人間が魔獣とかに襲われちゃったのかな……?」
この問いに違う、とシエロは否定した。
争った形跡はなく、一緒に死亡しているように見えた。
「この村、何かがおかしい」
シエロは眉を顰めた。
「どうして?」
周りの風景をぐるりと見ながら、シエロは再び口を開く。
「ヴァリ。この境界域、多分危ないよ。獣に襲撃されたとかそういう生半可なものじゃない。外的な理由で滅んだんだ。この村は事実上、棄てられたことになる」
ヴァリも辺りを見渡す。
「なんか、厭(いや)な感じがする」
「同感だ。この境界域は早々に通過した方がいいのかもしれない」
棄てられた村を北に少し進む。
「ねえ、見て。煙が上がってるよ」
車の左方にもくもくと煙が立ち昇っていた。
シエロはそれを確認するや否や、減速した後ギアを二速に入れてハンドルを左に切った。
「あの煙のところに行くの?」
「なるべく早く通過したいとは言ったけど、なにぶん食べるものがないからね。現地住民の方々が親切ならば少しは食べ物を分けてくれるだろう」
無表情で彼は三速、四速、五速とギアを変速し、アクセルペダルを踏んだ。
***
煙が立ち昇っていた場所にはやはり誰かが住んでいた。
ゆっくりと車をその場所に近づくと、確かに何かはいた。石を土台にし、木材を加工して作られた簡素な家。正真正銘の村だった。
家の影に隠れて村の中を覗き見てみる。
「……あれ? シエロ?」
だが、二人が村の中で目にしたのは人間ではなかった。それは、シエロとヴァリは想像を遥かに超えていた。
「ああ、狼だね」
村の中には狼が二足歩行で闊歩していた。一匹は人を喰った後なのか、紅の何かを垂らしながら歩行している。
「え!? 人狼?」
ヴァリが驚いていると、人狼のうち一匹がこちらを振り向いた。
「誰だ!?」
振り向いた人狼は間違いなくこちらを向いている。気づかれてしまった。
シエロは軽く握った拳をヴァリの頭にこん、と軽く当てた。
「ごめんなさい」
シエロは立ち上がって人狼の前に出た。
「貴様ら、何者だ? "女王の遣い"か? あるいは、この村を焼却しに来たのか?」
人狼は人の言葉を話してシエロに問いかけた。シエロはこれにも全く動揺せずに、真摯な眼差しで人狼の問いに答えた。
「しがない旅の者です。差し支えなければ、この村に一泊させていただきたいのですが」
人狼は思案している。しかし先程の人狼の声に反応して村にいる人狼がぞろぞろとこちらにやってきた。
『──旅のモンだとさ』
『女王の遣いとかじゃねぇのか? "旧人類"だろあいつら。ここで殺しちまった方が俺らのためだ』
『私たちの村を焼き払いに来たわけじゃないんですか?』
『どうやら違うらしい。ここで一泊したいんだとさ。どうする──』
人狼はヒソヒソと会話をしている。
どうやらシエロとヴァリをどうするのか、決めかねているようだ。
「……ヴァリ、今のところ彼らには僕らを"食べる"とか、"危害を加える"意思はないように思える。伝承に聞いた獰猛なウェアウルフとはだいぶイメージがかけ離れている。かなり理性的かつ文化的だ」
「そうだね。みんな優しいように見える」
『仲間だ! 仲間だ! 仲間だ!』
人狼たちが一斉に吠えた。
「シエロ? 人狼たちが何か……言ったよ?」
「──どうやら歓迎されているようだ」
『ようこそ、ヤ・コトミへ村へ! 大事なお客様』
『素敵な料理もあります、フカフカのベッドもあります』
『旅でお疲れでしょう? どうぞごゆっくりお休みください!』
人狼たちは声を高らかにして異邦者たちを受け入れた。
Ⅰ
流石に、木製の家は用意できなかったようだが、簡易的なテントを張ってもらった。
人狼は爪が鋭利であるため、布であるにしろ破れにくい、非常に頑丈な布になっている。シエロも試しに破いてみようと思ったが、おそらくナイフをも通すことのないほどの頑丈さだ。中は綿製の柔らかいベッドがあった。しかも薪ストーブも完備しており、肌寒かった環境もテントに入れば暖かくなる。
「わーい、フカフカのベッドだぁ! 車の椅子に座るのは腰が痛くなるけど、ちゃんとしたベッドで寝るとやっぱりいいね! シエロもそう思わない?」
ベッドを堪能しているヴァリとは対称に、シエロは俯いたまま何も答えなかった。
「ねえ、なんでわたしの雑談に付き合ってくれないの? 嬉しくないの? こんなにフカフカのベッドで寝れて、しかも暖かいんだよ?!」
銅像のように頭を落として佇んでいた。おそらく疲労だ。車で移動してあるとはいえ、運転しているのはシエロだ。森の木々を縫うように走ってようやく平原に出たが、それまでの間は疲労が蓄積していたに違いない。
がっくりと力が抜けたシエロを見たヴァリは全てを理解した。フカフカのベッドの上にある薄い毛布をシエロの肩にかける。シエロは座ったまま眠っていた。やはり、無理をしてここまで来たのだ。
「……あの、入ってもいいですか?」
テントの外から声がした。
「あ、どうぞ」
ヴァリがそう答えると、中に一匹の人狼が入ってきた。
「私、このヤ・コトミへ村でのお世話役を任されました。名前はイルザです。よろしくお願いします」
律儀にお礼をしたイルザは、口調からしておそらく女性だ。
「イルザさんって言うのね! わたしはヴァリ、アマレヴァリス=イヴェット。こっちで寝てるのは旅人のシエロ。よろしくね」
イルザはヴァリの後ろで動かなくなった男を見て問うた。
「その、シエロさんはお疲れなんですか?」
「一昨日からずっと休んでなかったの。もう疲れもピークなんじゃないかな」
「でしたら、マッサージ師でもお呼びしましょうか?」
ヴァリは一瞬笑顔になった。視線を手の方に合わせるとそこには鋭利な爪が生えているのが見えてその笑顔はすぐさま消失した。
「ああ、爪は刺さらないようにマッサージ致しますよ」
それからしばらくして、白衣を着た人狼がテントの中に入ってきた。
流石に身の危険を感じたのか、シエロはすぐさま飛び起きて眉間に皺を寄せながらヴァリを睨みつけている。
「ヴァリ、これはどういうことかな」
「シエロ、疲れてるだろうからお世話役のイルザちゃんにマッサージ師を呼んでもらったの」
「僕は疲れただなんて一言も言ってないよ。大体、こんな鋭利な爪を持ってるのに──」
「いいからほら、早く服を脱いで。うつ伏せになってマッサージを受けるんだよ。これからの旅、体力持たないよ」
シエロの言葉を容赦なく遮る。せっかくこんなに優しい人たちがいるのにご厚意に甘えなかったらいけない、と教えたのは──果たして誰だっただろうか。
自分の教えたことを自分から違反しようとする愚か者には罰を与えねばならない。
未だかつて見ないシエロの困り果てた顔を見てヴァリの口が歪む。いつも無表情で何事も無関心なシエロだが、こんな彼を見ていて面白い。
「ちょっと待ってくれ、僕はまだ心の準備ができてない。はっきり言って耐えられる自信がない」
マッサージ師は反抗するシエロを難なくぶっ飛ばして無理矢理うつ伏せにした。
それを見るヴァリはあっはっは! と高笑いしながらうつ伏せになったシエロを見下ろす。
「いーっつも、わたしに冷たくしてるバツだよー! たまにはわたしの仕返しを受けてよー!」
「ちょ、やめてくれ。僕はこんな……僕はッ……」
シエロの叫びが、村中に響き渡った。
マッサージによって尋常じゃないほどの汗をかいたシエロはぐったりとしていた。
「本当に君は余計なことを……」
呆れ果てたシエロの顔は床に伏せられているため、どんな表情をしているのか窺い知れない。おそらく怒っているのだろう。
むくりとゆっくり身体を起こしたシエロは、やはり無表情だった。ボディービルダーほどではないが軽く腕についている筋肉と割れている腹筋を見ると、ヴァリには魅力的に見えた。
「だが、心なしか肩が軽くなった。二度とあんなマッサージなんて受けないけどね」
「ねえ、素直にお礼でも言ったらどう? シエロって本当に26歳の大人なの?」
「そもそも、僕はマッサージをしてくれ、だなんて頼んでないよ。感謝なんて全くしていない」
「でもね? 結果的にシエロのためになったんなら、嘘でも『ありがとう』は言うべきなんだよ? それくらいわかんないの? まだ20歳にも満たないわたしですらわかることだよ?」
ギロリ、とヴァリを睨みつけた。それは、拒絶ではない。今のマッサージが理不尽だったが故の鋭い眼差しだった。無表情無関心のくせに、シエロは理不尽なことがあったらすぐ不機嫌になる。その点においては本当にめんどくさいとヴァリはつくづく思っていた。
シエロは腕を上に伸ばして背中を伸ばした。
「ねえ、シエロ。それなに?」
「ん?」
ヴァリが指さす場所、肩甲骨の上あたり、左右それぞれ対称に二箇所の傷跡があった。切り傷ではない。その部分に千枚通しで穴を開けられたような傷だった。
「翅でも生えてたのかなっていう傷がついてるよ? もしかして前世は妖精や天使だったりして? いや、シエロだったら悪魔かな? だったらシエロの翅は黒いんだね 腹黒ならぬ翅黒(ハネクロ)?」
自分が言ったことに笑っているヴァリを見たシエロはため息をついた。
「これは大したものじゃないよ。いつの間にかできてた傷だ。おそらく幼少期のものだろう」
「ふーん」
***
月が笑っている。
ヤ・コトミへ村の人狼たちは異邦人のために宴を開いた。
お世話役のイルザは決して宴に参加することなく、ただ旅人たるシエロとヴァリの側にいた。何やらもの寂しそうな顔で馬鹿騒ぎをする他の人狼たちを眺めていた。
「イルザちゃん、お祭り参加しないの?」
「いえ、私はお世話役なのでとても……」
「わたしたちのことはわたしたちでできるから、イルザちゃんもお祭り楽しんできてよ」
曇っていたイルザの顔は急に晴れやかになった。
「本当ですか!?」
「シエロは何も言わないけど、きっとわたしと同じこと言うよ」
「ありがとうございます!」
イルザは大喜びで他の人狼の方へと走っていった。
「イルザちゃん、多分ひとりぼっちで寂しいんだと思うよ。イルザちゃんいなくても、わたしたちも楽しめるよね?」
「ヴァリがしたことなんだから、僕は何も言わない」
『今日は異邦人がやってきた!』
『俺らの仲間がやってきた!』
『夜空に光るおほしさま!』
『女王なんか敵じゃない!』
『癒しのベリーおひとつどうぞ!』
『今日もゆっくりおやすみなさい!』
高らかに歌う人狼たち。
祭は夜遅くまで続いた。
***
キャンプファイヤーの火はゆっくりと小さくなっていく。フォークダンスを踊ったり、ベリーを貰って食べたり、村の人の優しさに触れたヴァリの心は幸福で満たされていた。
かくして祭りは終わった。夜遅いのにもかかわらず、村人はせっせと片付けを始めた。
祭りを十分に楽しんだイルザも満足そうな顔でこちらにやってきて
「どうぞ、お先におやすみください」
と、先にテントに誘導した。
テントの中に入ったシエロとヴァリだったが、その心は疑心に溢れていた。
「ねえ、シエロ。ここの村人たちはたしかに人狼のように見えるんだけどさ、本当に人狼なのかな?」
「少なくとも、伝承上のウェアウルフではないように思える」
そう、明らかに不自然なのだ。
人狼は元々は狼だ。肉食動物で獰猛であるはずなのに、理性を保ってまるで人間のように生活している。それに、夜になって月が現れ、人狼がそれを見たとしても人を喰う衝動が起きるわけでもない。
狼は、その素早さと強靭な肉体を得るために肉を食わねば生きていけないはずである。にもかかわらず、どうしてあれほど理知的なのか、食肉衝動が抑えられているのか──。
「ヴァリ、イルザに話を……」
ヴァリの方を見ると、彼女はすでに眠っていた。
Ⅱ
ゆっくりと星空の微睡を消していくヴェンツ境界域の黎明は、まさに夢と現実の境界線であった。
寝ている間は決して何かがあったわけではなく、安心して熟睡することができた。
ヤ・コトミへ村の人狼たちはかなり親切だ。理知的で、独自の文化を築き上げている。
外から足音が聞こえた。
「シエロさん、ヴァリさん。お目覚めですか?」
「入って、どうぞ」
中に入ってきたのは、カゴを持ったイルザだった。彼女は笑顔だった。昨日の祭りが相当楽しかったらしい。
「よく眠れましたか?」
「おかげさまで」
「それはよかったです」
そう言って、イルザは持ってきたカゴの中から小さく青い果実を一つシエロに手渡した。
「これはヤ・コトミへ村の畑で取れたベリーです。青い果実なので、"ブルーベリー"と呼んでます。ぜひ食べてみてください」
「ブルーベリー?」
「はい」
実は、ブルーベリー自体は、シエロとヴァリの故郷たるブリテンにも存在していた。外見は特になんら変わりはないのだが、どこかヴァリの知るブルーベリーよりも少し大きいような気がする。まるで葡萄のような、ひとつまみできるほどの大きさだった。
つまんだブルーベリーを一口食べると、自分の知っているブルーベリーの味が口の中に広がった。
鼻から抜ける独特な香り。息をするほど、ブルーベリーの香りがこだまする。いい味だった。
「あの、一つ聞きたいことがあるのですけれども」
と、イルザはシエロに問うた。
「なんだろうか」
「シエロさんとヴァリさんは一体どうして旅をなさっているんですか?」
シエロは少し黙った。それから数秒後、彼の口は開いた。
「実を言うとね、僕は『国際郵便局員』なんだ」
「郵便局員?」
「ああ、ここにはそんなものはあるかどうかはわからないんだけどね。遠くの誰かに伝えたいことを紙に書いて、その書かれた紙を誰かに届ける役割をしているんだ」
「そうなんですか? そうすると、シエロさんは今どこに向かっているんですか?」
シエロは、表情を微塵も変えずにイルザの問いに答えた。
「……この世界の何処かにあるとされている、『世界の裏側』。僕たちは今そこに向かっているんだ」
いまいち『世界の裏側』という言葉に理解を示さないイルザ。不思議な顔をした彼女は、すぐさま笑顔に戻った。
「そうなんですね! そこにたどり着けるといいですね!」
シエロは、立たせていた足を崩してあぐらに座り替えた。
「僕も、何個かイルザさんに聞きたいことがあるのだが」
「なんでしょうか?」
「ここの人狼(ウェアウルフ)たちは、どうして僕たちに親切してくれるんだい? 僕たちを食べようとか思わないのかい?」
イルザは少し沈黙した。
「私たちが一体どうして人狼なのか、旧人類の方々と何が違うのか、私にもよくわからないんです。けど、旧人類の方々と触れ合うのは私たちヤ・コトミへ村の方々もかなり嬉しいんです。そんなお客様を無碍にはできません」
なるほど、とシエロはイルザの話に聞き入る。
「私たちは村の外で狩りをしてその肉を分け合っているので、旧人類の皆さんを食べたいだなんて思いませんよ」
「ところで、さっきから旧人類と言っているけども、それは何かな?」
「人狼ではない人間のことです。どうして"旧"がつくのかはわかりませんが、大昔に繁栄した人類なので、おそらく旧人類なのではないかと言われています。人狼と私たちは呼んでいますが、人狼は新人類とも呼ばれています」
そう言った
Interlude
ところで、ヴェンツ境界域の中央部にはヴェンツの根源たる城塞が存在している。
このヴェンツ城塞の天守には旧人類である女王バートリーが居座っている。女王バートリーはあまりにも美しかった。そのパートリーの美貌に誰もが恋焦がれているのは間違いないだろう。
そんなバートリーの座る玉座の両隣には人狼が二匹。
女王の前には一人の旧人類の男が立っていた。
「女王の眼前である。首を垂れよ」
右方の人狼、右大臣カーミラの言葉で旧人類の男は跪き、首を垂れた。その光景を見て、バートリーは無表情で男を見つめている。
「バートリー女王に謁見できて恐縮至極でございます」
「顔を上げよ。妾もそちと同じ旧人類に会うのは久方ぶりで心から喜んでいる」
男は、ターパンで頭を隠し、口元もマフラーで隠していた。その中にある眼光はあまりにも鋭く、バートリーも些か男に警戒心を持ったことであろう。
「汝、名はなんという? 妾に名乗ることを赦そう」
「は、ソムニウムでございます」
「ソムニウム……」
味わうように名前を呟くバートリー。
「では、ソムニウム、そちはなぜここにやってきた? 妾の魅了魔術を突破して妾に謁見する理由はなんなのだ?」
ソムニウムと名乗った男は、口を歪ませた。
「実は、陛下にお願いがございまして──」
Ⅲ
夜の帳が下りる。今日もヤ・コトミへ村の村人たちは宴を催していた。
ヴァリも心から喜んでおり、シエロは無表情で歌って踊る姿を眺めていた。
『今日も異邦人がお泊まりだ!』
『俺らの仲間がお泊まりだ!』
『夜空に光るおほしさま!』
『女王なんか敵じゃない!』
『癒しのベリーおひとつどうぞ!』
『今日もゆっくりおやすみなさい!』
イルザは今日の宴には参加せずに、お世話役に徹していた。
「イルザさん」
「なんでしょうか」
シエロの呼びかけに、耳を立たせてイルザは反応した。
「僕たち、明日の朝にはここを発とうと思っています」
「あら、そうなのですか? ちょっと寂しくなりますね……」
隣で喜ぶヴァリは急にテンションを落として、シエロを睨んだ。
「ねえ、シエロ。もう一日くらいいてもいいんじゃないかな?」
「お金を払わずにここに滞在するのも烏滸がましい上に、あまり長く居すぎると、この地から離れられなくなってしまうからね。これ以上お世話になるのはよろしくないと思ったのです」
イルザは少し悲しそうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。──しかし、尻尾は垂れていた。
「そうですか……でしたら、お荷物をまとめるの、私も手伝いますよ」
「いえ、お構いなく。僕たちの荷物なので、僕たちでまとめます」
宴が終わり、村人たちは片付けを始める。シエロとヴァリは明日の朝この村を発つので、大急ぎで荷物をまとめてテントで休んでいた。
「ねえ、ここを離れるのは寂しくないの? シエロ」
「寂しくないよ。僕にはそんな感情はない」
「どうしてそんなに冷たいの? 少しでも話したいとは思わないの? シエロ」
ヴァリの言葉に、シエロは少々狼狽えていた。表情こそはいつもの無表情だったが、冷たいと言われてしまっては、些か困惑したのだろう。
「──そもそも人は、邂逅があれば訣別もあるんだ。人はその出会いを通して成長して、そして別れを繰り返す」
シエロは無表情で、だが、と逆説する。
「それは決して悲しいものではなく、人が前に進むためのものだ。それが、人生という一つの旅路なんだ」
鼻が痛くなる。シエロの人生観というのはまさしく華麗だったからだ。
そのまま、二人はテントの中で明日の出発に向けて眠りについた。
──月が笑っている。
人狼と旅路を征く二人を冷たく見下ろしている。
だが、無情にもその月はその身を紅に染め、人狼(ウェアウルフ)は狂う──
「? なんの音だろう」
みんながゆっくりと寝静まった頃、テントの外がやけに騒がしいことにシエロは気づいた。
ヴァリの体を揺する。
「ん、なに? シエロ」
「外の様子がおかしい。みんな寝ているはずなのにどうして"獣の呻き声"が……」
シエロはゆっくりと僅かにテントのチャックを開け、外の様子を見た。
「……ヴァリ、交戦準備だ。ここの村人はもう、僕たちに優しくしてくれるような村人じゃない」
「何が起こってるの?」
シエロはチャックを閉めてカバンを持つ。
「村人たちが凶暴化し、共喰いを始めている。僕たちももしかしたら襲われてしまうかもしれない」
テントの外は、まさに地獄絵図だった。村人たちは尖った爪で隣の人狼を刺して切り裂いて殺し回っている。
今まで優しくしてくれた人狼たちが、こうも獰猛な生き物に成り果ててしまっていた。
この光景を見て絶望していたヴァリに対し、シエロはどこまでも無表情で、拳を構えていた。
「早く構えろ」
シエロに冷たく言われて、慌てて刀を構える。
──今まで、優しくて良くしてくれた人たちだった。
──心の底から、歓迎されていた。
なのに、こんな酷いことをしなければならないなんて。
ヴァリの頭の中には人狼たちの歓迎の歌がこだましていた。
『今日も異邦人がお泊まりだ!』
『俺らの仲間がお泊まりだ!』
『夜空に光るおほしさま!』
『女王なんか敵じゃない!』
『癒しのベリーおひとつどうぞ!』
『今日もゆっくりおやすみなさい!』
──だが、それは今となっては泡沫の夢。
その思い出を胸の中に封印して、本能のままに襲いかかってくる人狼たちを斬り伏せるのだ。
切先が揺れる。ヴァリの持つ刀のうちの一本──『秘光刀・無銘太刀魚』は光により持ち主の能力を引き上げる性質がある。たとえ、それが月光という僅かな光だったとしても、刀の性質による援助は大きい。
刀姫は舞う。シエロは拳を振るう。
刀を月光に映し、少女は群がる魔獣に走り進む。
切先は円舞曲(ワルツ)のように軽やかで、魔獣たちは果たして彼女に斬り伏せられたことを自覚できただろうか。
──だが、その刀は突如停止した。
ヴァリの目に映っていたのは、姿形を変え魔獣と化したよく知る人物だった。
「イルザちゃん……」
ヴァリの前に立っていたのは、変わり果てたイルザだった。口元に禍々しい牙と血が垂れている。
「──⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎!!」
あのお世話役だったイルザさえも、魔獣に成り果てヴァリに襲いかかったのだ。
「ヴァリ、斬れ!」
シエロの声に反応し、イルザの首筋に刀を当てる。
しかし、ヴァリはどうしても斬ることはできなかった。
ヴァリの目からは、雫が垂れる。
「どうして、こんなことになっちゃったの?」
「⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎!!」
変わり果てたイルザに問うても、返ってくるのは咆哮だった。
膝を折って、涙を流す。
「しっかりしろ、ヴァリ!!」
拳を奮いながら、徹底抗戦するシエロ。襲いかかってくる人狼の数が多すぎて、ヴァリの方へは向かえない。
「こんなの、嫌だよ……」
イルザだった何かは、しばらく泣くヴァリを見ていたが、涎を垂らしていた。だが、それもついに耐えかねたようで、鋭い爪をヴァリに翳した。
ヴァリは死を覚悟した。──だが、その爪はヴァリに届くことはなかった。
「……悪りィな」
何者かの声が聞こえた後に、パシュッという空気が弾かれた音がした。
目を開けると、目の前にはイルザが倒れていた。
よく見ると、首に何かが刺さっている。おそらくこれが死因なのだろう。
「女王に"汚染"されたがオマエの最期だ。悪く思うんじゃねェぞ」
少なくとも、シエロの声ではなかった。
声の方を見てみると、別の人狼が一匹、ヴァリの前に立ち塞がっていた。
眉間に皺を寄せて不機嫌そうな顔をしており、視線を下にずらすと左腕には弓を装着していた。
「おい、そこの拳野郎! 死にたくなければ伏せやがれェ!!」
シエロは咄嗟に弓を携えた人狼の方を見て、状況を把握した。そして、交戦中の人狼に一発強烈な突きで吹き飛ばしたあと、人狼のいうがままに身を伏せた。
瞬間、人狼の弓から無数の矢が放たれた。
回転する人狼を中心に放射状に放たれているそれは的確に、かつ執拗に血に飢えた人狼を射抜く。
瞬く間にして、ヤ・コトミへ村の人狼は全員沈黙した。
周りには血ばかりが散乱しており、優しかったあの村の痕跡などどこにもない。
人狼の屍を上にひょっこりと立っている謎の人狼はため息を漏らす。左腕に装着された弓を折り畳んだあと、彼の指示で伏せた旅人二人をギロリと睨んだ。
「テメェらがシエロとヴァリだな? 汚染しきったイルザを殺すのは流石にテメェには躊躇するだろう思ってこちらで処理した」
その人狼は、胸元のポケットに入っていたタバコを取り出してファイアキャンプに残っていたわずかな熱でタバコに火をつけた。
「そして、イルザが世話になった。コイツはオレの妹でな。テメェらのことはよく聞いている」
口先にタバコを咥えて、肺いっぱいに息を吸った後、ため息を出すように煙を吐いた。一連の動作を二回繰り返した後、目の焦点を旅人二人に合わせて再び口を開いた。
「意図しない形にはなってしまったが、オレの妹の最期を看取ってくれて礼を言う。イルザはテメェらをすごく気に入っていたからな」
ヴァリは呆然としていた。シエロは無表情で人狼を見ている、いやこの場合は睨んでいるに近いのかもしれない。
シエロは人狼を前に臨戦体制を緩めず、即座に攻撃できるように膝を立てていた。
「おっと、オレにはテメェらを攻撃する意思はない。逆にこうして助けに来たんだよ」
「その前に、君の名前を教えてもらうのが先ではないかな? 何者なんだ?」
シエロの問いかけに対して、人狼は再びタバコを吸った。
「……そうだな、オマエの言う通りだ。無礼を許せ」
吸い終わったタバコをキャンプファイアーの中に放り投げ、自分の左手に装着していた弓を外して人狼は、シエロを真っ直ぐを見据えた。
「……オレの名前はレオン。イルザの兄にして、このヴェンツ帝国を憎む者であり、全ての欲望を克服する者だ」
(To be continued...)
あとがき
──愛欲とは不思議なものです。愛おしく思ったものを徹底的に愛玩しようとする欲望。たとえそれが自分に利益がなかったとしても、愛欲とはヒトの幸福を満たす欲望になり得るのです。愛欲に対極に位置する欲望とは──。
どうも、カガリです。まずは、第一話とプロローグにスキとコメントをくださった方、誠にありがとうございました。
スパンが短いまま、第二章前編の公開に至りました。第一話執筆している時点で、第二話前編は全て書き終えてました。ので、皆さんに提供するのがやや早い形となりました。
さて、裏話ですが、第一章から散々タイトルで仄めかされていた『境界域(テクスチャーエリア)』についてですね。皆さんちぎり絵をイメージしてみてください。
いろんな千切られた色紙を台紙に貼って絵を作るのが千切り絵です。その一つ一つの色紙が世界で、それが千切られてパーツになった色紙をシエロの世界にデタラメに貼っつけられて、上書きされたイメージです。色紙の領域を越えると、次は別世界になっているということです。無数にある並行世界の破片がシエロたちの世界に上書きされたような形になっています。若干解釈が難しいかもしれませんが、私の言葉運びの問題です。大変申し訳ございません。
さて、ただいま後編を執筆しています。スキ、コメントもどしどしお待ちしておりますのでどうぞよろしくお願いします。
かがり
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