【中編小説】彩の旅 Prologue Ⅰ

 Intro 1 -Once apon a time...-

 ロンドンの夜は今日も静かだった。誰もが寝静まった午前零時ごろにロンドンの空に異変が起こった。
 ──それは、綺麗な光のカーテンだった。
 ロンドン城塞を流れるテムズ川のそばにあるビックベン時計塔の背景にはいつものロンドンにはない"オーロラ"が上空を彩っていた。ブリテン島では決して見られることのないオーロラはロンドンの人々の心を撃ち抜いた。
 無論、感動する者もいた。この現象は異常と断ずる者もいた。
 人類の消滅を示唆する現象なのか、あるいは何者かの攻撃なのか。むべなるかな。ロンドンではオーロラを見ることなんてできないのだから。

 さて、ブリテン島では、古から現在にかけて、古の文化を重んじる妖精と、新しい文化を重んじる人間がそのブリテン島の覇権を巡って幾度も戦争を行なっていた。九年前に平定されたが、無論、互いはいがみ合っており、現在も摩擦は起きている。ブリテン島には見ることのないオーロラの観測により、妖精と人間の戦争は休戦することになった。事実上、初めて妖精と人間は和平を結ぶことになった。

  ***

 今日もブリテン島南部、グロスターの夜はダイヤモンド鉱山のように輝きに満ちていた。
「今日も星空が綺麗ですね。アレク様」
「ああ、そうだね。エインセル。僕も君と同じ気持ちだったよ」
 月は綺麗だった。そのダイヤモンドが散りばめられた夜の空を、下腹を突き出した美しい妖精の女、エインセルとその傍には飄々とした青年、アレキサンダーが女の手をとって眺めている。
 今でもたまに妖精と人間の間に摩擦は起きているものの、九年前に妖精と人間による五度目の大戦争、第五次妖精戦争を平定してから、安心して夜空を眺めることができるのだ。今や、ブリテン島の妖精と人間はエインセルとアレクを英雄視しており、ブリテン島を治めるのはこの二人であると言わしめたほどの功績を残したのであった。
「私たちのお腹の子たちの名前、決まりましたか?」
「そうだなぁ……」
 アレクは黙り込んだ。
「……アレク様? もしかしてまだ決めていらっしゃらなかったのですか?」
 エインセルはへそを曲げた。
 それもそのはず、エインセルはお腹と中に双子がいると判明して以来、ずっとアレキサンダーに名前を考えるように催促していたのだ。そしてそれから二年ほど経過し、そろそろ生まれようとしている今だに決まっていない。
「もう、アレク様ったら。無頓着にも程があります! もう知りません!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。僕だって考えていなかったわけじゃないんだ」
 完全にエインセルの機嫌を損ねたアレクは慌てて彼女の目線に立とうとするも、その度に違う方向を向く。
「エインセル、頼む。僕の話を少し聞いてもらえないか」
「なんですか」
 眉間に皺を寄せたエインセルは冷たく返答を返した。
「……僕たちの双子の名前は……そう──」
 アレクは、その名前を聞いたエインセルは目に涙を浮かべた。
「──どうだい?」
「その名前……とてもいいですね」
 涙は頬を伝い、膨れた下腹へと落ちる。エインセルは大事そうに腹を撫でた。お腹の中の子はボン、と母の腹に返答をした。言語がなくとも意思疎通ができたエインセルには幸せの笑みを浮かべていた。
「今、お腹の子が動きましたよ!」
 エインセルが声を上げたその時だった。
 突然、窓の外の夜空が輝き出した。
「なんだ……これは……」
 まるで、それはミルクの川のように星空の上を覆っていた。形容するなら空のカーテンだ。
 アレキサンダーは目を見張った。空のカーテンは、間違い無く綺麗なものだった。初めてそれを見た時のアレキサンダーの心境は到底説明し難いものであった。平定したはずの戦争が、再び起きようとしている凶兆なのか、あるいは自然現象なのか。
 どうあれ、あのような光のカーテンはロンドンでもグロスターでも見たことはない。
 いち早くグロスターの空の異変に気づいたアレキサンダーはエインセルの方を咄嗟に視点を合わせる。
「……エインセル! エインセル!」
 エインセルは膨れた腹を抱えて苦しんでいた。
「あぅ……ひっ、痛い……痛いです……アレク様……」
 ベッドは紅に染まり始めていた。
「ちょっと待っててくれ」
 アレクは咄嗟に人を呼ぼうと窓際の席を立ち、廊下に出ようとした。
「……ダメ……!!」
 エインセルは、声を上げずにはいられないほどの激痛を感じながら声を振り絞った。
「どうしてだ!! 君が危険なんだ! 今くらい人に頼っても良くないか!?」
 アレクは声を荒げて言った。決して、アレクの判断は間違っているわけではなかった。だが、エインセルの顔は強い制止を促していた。
 アレクはエインセルの言っていることは、理解できなくはなかった。そもそも、妖精と人間が関係を交わすことは禁忌であるとされているのだ。事実、二人はその禁忌を破った。もしもそれが公になってしまえば、たとえ英雄とて許されるものではない。そのせいで再び六度目の惨い大戦争を起こしてしまうかもしれない。だが、たとえ禁忌を犯したとしても、二人は互いを愛し合っていた。
「わかった。エインセル……僕がなんとか助けるから……」
 痛々しい自らの愛する妖精を目前にして、アレクは涙を拭った。そして今にも生まれようとする二つの生命の誕生を見届けるためにエインセルに歩みを進めるのだった。

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