【中編小説】彩の旅 EP1 未来閉塞境界域 エルダー[後編]
Episode Ⅰ
未来閉塞境界域 エルダー
-The elder brings the wisdom-
Ⅳ
朝日が昇る。
シエロはいち早く起床し、囲炉裏に薪をくべる。
晩夏であろうとも、早朝はすこし肌寒い。簾のような窓を閉めて囲炉裏の熱を家の中で対流させる。
「うーん? シエロ? なにしてるの?」
「寒いから、火を点けてるんだ。晩夏でもここは多少は寒くなるようでね」
「そーなのぅ?」
ヴァリはあくびをしながらシエロに聞いた。
「まだ、朝は早いからもう少し寝ていても問題ないだろう」
朝日が昇ると言っても、まだ日の出の頃合いだ。太陽の方角──東は少し明るいが、それでもまだ暗い。ここで起きるのは流石に寝不足になるというものだ。
──ふと、スズメの声が聞こえた。
シエロはやはり、囲炉裏の前で項垂れていた。もしかしたら寝ているのかもしれない。
むくり、と身体を起こして囲炉裏のそばにいるシエロを観察する。
「──ん? 起きたか」
シエロは起きていた。
火のついた囲炉裏に顔を埋めることがない、と安堵したヴァリ。
対してシエロはヴァリに瞳孔を合わせているが、顔はヴァリを向いていない。相変わらず無表情のままだった。
「あれからどれくらい時間経ったの?」
「僕の体内時計で約二時間くらいだ。二時間半は超えていないはずだ」
そう、とヴァリはつぶやいて目を擦る。埃が入ったのか、なぜか目が痛かった。
「お腹すいた」
「僕もお腹が空いている。朝のご飯はどうなるのか……あの案内役の少女を待つしかない」
二人の間に沈黙が走った。
ただの沈黙ではない。ヴァリにとっては気まずい沈黙だった。昨日のあの惨状を目にしたヴァリは罪悪感でシエロとの会話を閉ざした。
──ああ、自分はなんて罪深いことをしたのだろう。
そう、ヴァリは自分の心に罪悪を刻み込む。
しかし、その沈黙はすぐに破られた。
「……もしや、昨日のことをまだ気にしているのかな。ヴァリ」
あぐらをかいて背中を向けているシエロが、口を開いたのだ。
「シエロ……?」
不思議だった。最近シエロが自分からヴァリに話しかけていない。いや、何か責務があれば、任務を出すために話しかけたりはするが、それは全てロボットのような会話だ。
「なに、不思議なことではないよ」
表情は窺い知れない。どうせシエロのことだから無表情だ。でも、これがシエロなりの優しさだ。ヴァリはよく知っている。
「僕も──起きてから色々考えてみたんだ。確かに君の行動であの少女が咎められたのかもしれない。けれども、僕の擁護もあのアンラという男の怒りを駆り立てる契機になってしまったのではないか……と思ってね」
右側にあった薪を鷲掴みする。その掴まれた薪は囲炉裏に放り込まれた。シエロはため息を一度ついて先程の言葉を続けた。
「君だけが責められるべきではない。僕も失敗したと思う」
「でも……」
「だから、ヴァリ。自分のことは……もう責めるべきではない。あれは起こるべくして起こった事故だ」
ヴァリの言葉を遮るようにシエロは言った。しかし、彼の言葉はどこまでも無機質で、どこまでも嘘のように聞こえる。
「では、ヴァリ」
「なーに?」
「ヒトが成長する時はどんな時か、君は知っているか?」
「知らないよ。そんなの」
「それは──自分が失敗した時だ」
感情のこもっていない激励。まるで機械のようだった。ヴァリにとっては小さな幸福だった。
「成功したら、ヒトは何も学習しない。それでは意味がないんだ。けれども、失敗したら──次は失敗しないために、どうすればいいのか、どうしたら失敗しないのかを考えるようになる。それこそが、ヒトが成長する瞬間だ」
いつものシエロなら何も言わない。たとえ機械のような感情のこもっていない空虚な言葉でも──ヴァリにとっては勇気が出る言葉だった。
「まあ、僕には無縁だけどね」
その二人の空気をぶち壊すかのように、足音が徐々に近づいてくるのをヴァリが確認した。
「ん? 誰か来るよ。シエロ」
シエロは何も言わない。囲炉裏を見つめたまま、石像のように動かなかった。
「おはようございます!」
入り口の向こうから元気な声が聞こえてきた。
四つん這いになってヴァリが入り口を確認しに行ったが、やはりミナムだった。
「ミナムちゃん……」
彼女の表情は不気味だった。口角を無理やり上げている上に目は笑っていない。
「昨日は大変申し訳ありませんでした。"私"があのような失態をしてしまって」
昨日のミナムとは、かなり違った印象だ。別人と言っても過言ではない。彼女は無理やり感情を突っ込まれた機械のように場の空気にそぐわない態度で現れたのだ。
「ねえ、どうしちゃったの? ミナムちゃん」
「今日の予定は、エルダー自治区を散策しようかなと思ってます」
不気味な笑みのまま、ミナムは続けた。
「かなり広いですが、休憩を何回か入れるので心置きなくお楽しみいただけますよ」
ため息をついて腕を組みながら、シエロはミナムを睨みつけていた。
Ⅴ
空は曇り。夏の日中は暑いが、小鳥や虫の鳴き声で暑さはより一層感じる。
町の外れの畑は今、収穫時であった。"若い"女性が老人の監視のもと、小麦を収穫している。その収穫の方法もブリテン出身のシエロとヴァリから見てもかなり原始的で、石包丁でモミを取って収穫している。
「相変わらず、輝いてるように見えるねぇ……ここの畑は」
「小麦を栽培しているのですよ」
ロボットのように引きつった笑顔で案内するミナム。ヴァリの問いに答えたらいいが、やはりヴァリからしたら彼女の反応はおかしいように見える。
「……小麦から何を作っているのだろうか」
シエロの問いに、ミナムは淡々と答える。
「小麦をすり潰して粉にして、水を入れて捏ねて焼いて食べるんです」
パン──というわけではなさそうだ。第一、イースト菌が存在しない。
「ミナムさん」
「なんでしょう?」
突然のシエロの呼び掛けに驚くミナム。
「差し出がましいのはわかっているのだが、この小麦、幾分か分けてもらえないだろうか」
「どうしてですか?」
「僕たちが乗ってきたあの鉄の塊はこういった植物を"腐らせて"動かしているんです」
腐らせる、というのはいささか語弊があるが、正確には発酵である。小麦を発酵させると、アルコールが生じ、それが車の燃料となるのだ。バイオ燃料──と今は呼ばれているらしい。ただ、エルダー自治区の住民には発酵やらバイオ燃料といっても通じるわけがない。
ミナムはしばし、思案した後
「わかりました。ちょっと……今日中に祖父に掛け合ってみます」
と、無表情で答えた。
「ミナムちゃん、ここって小麦の他に何を育ててるのかな?」
「とうもろこし、米……にんじん、じゃがいも。いっぱい育ててますよ。東側には、牛と羊を飼育しています」
ヴァリの問いにロボットのように返答した。
──ふと、シエロが足を止めた。
「シエロ?」
どこか遠くを見据えているシエロ。彼の視線の先には、土下座をする若い女性と杖を持った老人が何かを話している光景だった。
「この役立たず! まだまだ若いくせに収穫すらできんのか!」
老人の剣幕に若い女性は涙を流して謝罪を続ける。よく見たら、女性の下腹はかなり膨らんでいる。あの状態で仕事をするのは、ヴァリから見てもかなり無理があった。女性はかなりやつれていた。安静にしなければならない時期に、ずっと仕事をしてきた結果であろう。果たしてまともにご飯を食べられているかどうかすらわからない。
しかし、そんな事情など老人には関係がなかった。
「ワシらが叡智を授けてやってるから若いヤツらは食っていけるんだぞ。分かっているのかね!?」
「ですが、先月の冷害もあって小麦は半数近くダメになってしまい──」
「黙れ! ワシら老人に楯をつくのか!?」
激昂した老人は、持っていた杖で女性の頭を殴った。殴られた女性の頭部はそのまま地面に強打して動かなくなった。
動かなくなった女性を見た老人は、後ろへ一歩、二歩とよろめきながら後退りし、罪悪感からか息を少々乱していたが、すぐに持ち直して、杖をついてその場を去った。
この光景を見ていたシエロは眉間に皺を寄せながら、女性の方へ歩いて行った。
「ちょっと、シエロ!」
女性の前にたったシエロは屈んで女性の身体を持ち上げる。そして、女性の身体を身体を揺すった。
「君! しっかりしたまえ!」
女性からは反応がない。鼻に指を添える。
「まだ息があるな……ミナムさん、医師を呼んでください」
シエロは外套と国際郵便局員の上着を脱いで、下着ていた長袖のシャツをも脱いで、上半身の筋肉が露出した。シャツの袖を破って頭に巻いていく。シエロは医師ではないので巻き方はぎこちなかったが、それでも止血に足りるほどの強度で巻いていた。
その光景を見ていたミナムは呆然と立っていた。
「ここには、医師はいません」
「じゃあ、首長を呼んできてください」
「──首長様を呼んでも無駄です。この方は叛逆者です。たとえ、首長様に今のことを話したところで、きっと首長様は旅の御方たちを断罪するでしょう」
ヴァリは絶句した。シエロは女性を抱きかかえたまま石像のように動かない。きっとシエロもヴァリと同じことを考えている。
「昨日、私のお父様が言っていたように、このエルダー自治区は、"古き賢人が新しき者に叡智を授ける"のです。叡智を授けているのだから、老人に酷使されても若者は文句を言えるわけがないんです」
ヴァリはたった今、昨晩のアンラの言葉──エルダー自治区の本質を理解した。
──古き賢人は新しき者に叡智を授ける。
エルダー自治体は、老人を賢人とし、常日頃の知恵は老人から引き継がれているものである。
すなわち叡智を授かっているという考え方のもと、厳しい敬老思想が根付いている。このエルダー自治体の若い者たちは基本的に賢人である老人の隷属的立場であり、社会的にあまりにも不利である。年功序列というわけでもなく、老人というざっくりとした概念で成り立っているため、実のところ社会的にも不安定だった。たとえ、首長の親族だとしても、この序列は覆せない絶対的な敬老思想なのであった。
ふと、ヴァリはシエロの腕に抱かれた女性を見る。シエロは再び指を鼻に添えるが、首を横に振った。
「そんな……これから新しい命が生まれようとしているのに」
ふと、シエロを見た。彼の顔はいつにも増して険しい。それが怒りを覚えているからなのか、この状況が気持ち悪く思っているのかは、ヴァリには知る由もない。
そっと骸を地面に置き、制服の上着を着た後、
「ここに来てずっと考えていたのですが、エルダー自治区に住んでいる人の"幸せ"っていったい何なのでしょうか」
シエロは、素朴な疑問を口にした。ミナムは口を閉ざした。
「老人に酷使されることが、果たして幸福と言えるのでしょうか。ヒトってそんなことで幸福を感じることができるのでしょうか」
拳を強く握りしめてシエロは呟いた。
「では、老人に酷使されるのが……不幸である、と貴方はそう言いたいのですかな?」
聞き覚えのある嗄れた声。声の方を見ると、杖をついてクロウリーがやってきた。隣には明らかに不機嫌そうに眉間に皺を寄せるアンラ。後ろには十数人の若い男を引き連れていた。
シエロは押し黙った。ヴァリのそばにいるミナムはうずくまって震えていた。
「都合が悪くなると──旅の御方は口を閉ざしてしまうのですか」
「テメェ、なんか言ったらどうなんだ?」
アンラの剣幕に、クロウリーは腕で前を遮り、首を横に振った。
「旅の御方。貴方がどれほどの世界を回ってきたのかは存じ上げませんが、この国にはこの国のルールというものがあります。わかりますね?」
シエロは無表情のままクロウリーを見ている。
「では、この者はどうして死ななければならなかったのですか。身体を見ても、どう考えても働ける状態じゃないのは老人も分かっていたのでは──」
シエロは静かに訊いた。
「このエルダー自治区では、老人を貶すことは人を殺すよりも大罪なのです。その者は、自らの体調を理由に老人に楯をついた。なので殺されても仕方がないことなのです」
クロウリーは地面に横たわった女性の死体を足で転がし、水路の中に放り込んだ。当然、死体は沈むはずもなく、女性の背中だけがぷくり、と水面から剥き出しになった。
シエロは大きくため息をついた。アンラは、鋭利な槍をこちらに向けた。
「何をするつもりですか」
「反逆者を排除するんだよ。テメェの後ろにいる……そいつだよ」
槍の穂先は、ミナムの方を向いていた。
殺気を感じたのか、シエロは咄嗟にヴァリとミナムの前に立った。
「あ……」
──ふと、彼の広い背中が何か別の男の背中に見えた。シエロは誰かの背中に似ている。頭にノイズが走るように、映像が割り込んできた。
遠い昔のことなのか、誰のことなのかは思い出せない。しかしその背中はヴァリの失意に塗れた心を勇気に変える着火剤となった。
***
背後にいる少女二人を守護する男──シエロ。
この状況を打破するには一番煩わしいのは槍をシエロに突きつけている男、アンラである。
彼はおそらくクロウリーのやり方が間違っているとは思っているはずだ。その証拠に自分の愛娘をこうも容易く殺そうとするはずがない。二日間、このエルダー自治区を見てきたが、過激な年功序列制度があるにしても、横社会と家族の情は健在しているはずだ。
したがって、どこかでアンラも──自分を止めてくれる人を求めて逆上しているのではないだろうか。
「おまえはこの反逆者を介抱する旅人を黙認しようとした。なぜ、旅人どもを罪に問わなかったんだ? 偉大なる賢人、老人の行いを否定するというのか? 仮にもエルダー自治区の"未来"を担う、お、おお、おまえがッ!!」
「そ、それは……」
この男を傷つけずにどうにか戦意を削ぐ方法はないものか、とシエロは必死に脳を回した。
勘違いして欲しくないのは、このエルダー自治区にいる人間を救いたくてこんな煩わしいことをしているわけではない。この状況を打破したいだけだった。
後ろに目線をやると、ミナムは身体を震わせたまま動かない。何もアンラに言えるはずもなかった。
──空気は張り詰めていた。一瞬の瞬きすら許さない緊張。
アンラは槍を持ったまま動かず、シエロもまた動かない。ヴァリは刀を手に添えたまま臨戦態勢だ。一触即発とはよく言ったものだ。
しかし、その沈黙を最初に破ったのはシエロだった。
「ところで、ここにいる方々にお聞きしたいのですが、皆さんは今から一分後、何が起こるかわかりますかね」
エルダー自治区の兵士たちがどよめく。アンラは警戒を緩めず、ずっとシエロを睨みつけていた。
「……わかるはずがないんですよ。一分先のこと、一時間先のこと、一日先のこと。何が起きるのか、わからないんです」
「だからなんなんだ?」
アンラの威圧にも屈せず、シエロはいつもの無表情で続ける。
「僕はこのエルダー自治区に干渉するつもりもないですし、意見は本当はしてはいけないのはよく分かっているのですが──ここは未来が閉塞されている。未来が決まりきってしまっている」
さもありなん。ここにいる若者は皆、老人のために働いているのだ。自分達の家庭や個人の娯楽や意思は存在しない。よって、未来が閉塞されているのだ。皮肉にも、エルダー自治区の"未来"に執着し続けた結果、一人一人の"未来"が完全に失われてしまっているのだ。
「では、未来とは何なのか──未来とは、奇想天外なんですよ。未来とは……見えないから面白いんですよ。決まりきった未来なんて面白いはずがない。そんなものは機械と何も変わらない」
この場にいる全員が沈黙した。確かにそうだと頷く者もいれば、槍を固く握りしめる者もいた。クロウリーはただ無表情でシエロの言葉を聞いていた。
「これから人生を謳歌する若者の未来を見事、完膚なきまでに摘み取ってしまうこのエルダー自治区が、僕にはおぞましく見えてならない。そして、その閉塞された未来をこの娘に押し付けるあなた達の行動や言動は──愛とは呼べません」
槍を向けていたアンラは穂先を下に向けて、俯いた。
「俺は……間違っていたのか……?」
膝を折って戦意喪失したアンラの背後から、かつ、かつ、という杖をつく音を立ててクロウリーが近づいてきた。
「いやはや、旅人さん。素晴らしい弁論をどうもありがとう。しかしだね、このエルダー自治区ではキミのような危険因子は生かしておいてはいけないというルールがあってね」
「ちょうど、明日ここを発とうと思っていたんです」
「いえ、孫娘共々この世から発っていただきます」
クロウリーの口元が歪む。張り詰めた空気が一瞬にして殺気に塗れた空気へと変わる。
「アマレヴァリス=イヴェット!! 臨戦態勢だ!!」
危険を察したシエロは力強くヴァリに叫ぶ。
シエロは自らを集中力を高めるために深呼吸をしながら、どしんと右足を前に強烈な一歩を踏み込んだ。その一歩だけで、右足を中心に地面に割れ目が生じ、ついには水路にまで達した。
「──僕は自分から手を出すことはない。殺しに来るのなら"一撃"だけで打ち斃そう」
シュー、という息を吐く音と共に拳を構えるシエロ。拳だけで敵を打ち斃す絶対的な自信。これは事実上の威嚇だ。これを見たエルダー自治区の兵士たちは一瞬で怯んでしまい、クロウリーの顔には焦燥の色が浮かんでいた。彼は強いと誰もが思った。
「何をしておる。あの男は武器を持っておらんのだぞ。とっとと殺してしまえぇえい!」
エルダー自治区の兵士たちがシエロを殺すべく前に進もうとしたその瞬間、すぐさま彼らは足を止めた。
「……ガッ」
クロウリーの腹に痛みが走る。よく見ると、アンラが持っていた槍が刺さっていた。
「ど、どういうことだ? な、ぜ、ワシが……?」
目の前に立つはミナム。罪悪と絶望の淵に立っているアンラの右手にあった槍を投擲したのだ。
***
思えば、"未来"ってこんなちっぽけな理由で崩壊するんだな、と思った。
確かに私は、お父様が死ねばこのエルダー自治区の首長になる。あらかじめ私の未来は決まっていた。これが私の運命なのだと、ずっと思っていた。
けれども、旅人たちがここに来て、楽しそうにしている姿を見て私は羨ましく思った。エルダー自治区の上空を飛ぶトンビのように自由で彼らは彼らなりの信念を貫いて行動している。
"未来"なんて馬鹿馬鹿しい。"未来"なんて存在しない。"未来"なんて見ない。"未来"なんて大嫌いだ。
みんな口々に、未来、未来、未来、未来と幼い頃から今もずっと私に"未来"を押し付けてくる。消えてしまえばいいのに。みんな、みんな。みんな。
ああ、叫びたいほど苦しい。
──だというのに、
「ところで、ここにいる方々にお聞きしたいのですが、皆さんは今から一分後、何が起こるかわかりますかね」
目の前にいる青年は無表情で、冷たくそう言った。
「……わかるはずがないんですよ。一分先のこと、一時間先のこと、一日先のこと。何が起きるのか、わからないんです」
「だからなんだ?」
「僕はこのエルダー自治区に干渉するつもりもないですし、意見は本当はしてはいけないのはよく分かっているのですが──ここは未来が閉塞されている。未来が決まりきってしまっている」
旅人はキッパリと言い張ってしまった。
「では、未来とは何なのか──未来とは、奇想天外なんですよ。未来とは……見えないから面白いんですよ。決まりきった未来なんて面白いはずがない。そんなものは機械と何も変わらない」
旅人は"未来"を語った。今ここで死ぬかもしれないのに、このエルダー自治区の在り方を全て否定した。私には考えられない。未来がここまで輝かしく思えるこの旅人の在り方が眩しい。いったい彼の故郷はどんな場所だったのだろう──?
……未来は絶望的なものじゃなかった。決められた未来を変えるのは他でもない自分なのだ。未来を変えるためには、まず自分が動かなければ、変わらないのだ。
足に絡みついた鎖を振り解くのなら、引っ張られるよりも自分から未来に走り出したほうが良いのだと──この旅人、シエロに気づかされた。
シエロは、クロウリーに一歩を踏み出して威嚇している。ヴァリは大きい刃物を持って私を守ろうとしている。
この国を変えるのは、私なのだ。私しかできる人はいないのだ。シエロさんの話を聞いて項垂れる父を救うのも私なのだ。
「……ヴァリさん。私、間違ってました」
「ん?」
「こうして、シエロさんの話を聞いていると、自分が何をしなければならないのかわからなかったんです。でも、今はこの負の連鎖を終わらせるには、私の為すべきことがなんなのかはよくわかります。本当にごめんなさい」
ヴァリさんは最初、驚いたような顔をしていたが、すぐにその口元も綻びて私に笑顔を見せてくれた。
「じゃあ、今自分が何をするべきかわかったんなら、まずは行動だよ! ミナムちゃん」
「……はい!」
ヴァリの激励を受けて私はシエロさんの威嚇に動揺する祖父の隙をついて走り出した。
──負の連鎖はここで終わらせる。
縛られた現実が嫌で、森に逃げ出して泣いていた二日前の自分とは違う。
未来は定められたものなんかじゃない。自分で作るものなのだ。
父の槍を咄嗟に手を取り、シエロさんの後ろに隠れながら槍を大きく振りかぶって槍を放り投げた。
槍は祖父の腹に刺さった。血が溢れて、祖父はよろめきながら、私のことを睨みつけた。
「ど、どういうことだ? な、ぜ、ワシが……?」
***
ヴァリは走り出したミナムを見送る。走り出す前の彼女の顔は、いつになく晴れやかな様子だった。
槍を左手に掴んだ彼女の拳は堅い意志を象徴しているようにも見えた。
そうして、ミナムは決意の槍を持ち上げて、そのまま首長に向かって放り投げた。
「おじいさま。私は……明るい未来が欲しいのです。次期首長としての体裁も必要かもしれないですけれども、私はこれから……自分らしく生きていきたいのです」
「ミナム……ミナム……ワ、シは……」
クロウリーの目に映ったのは紛れもない悲しみだった。
「ワシ、は……おまえの……お、まえの……ために……」
ゴフッ、と血を噴き出してクロウリーは後ろへ倒れた。
ミナムは紛れもなく愛されていた。
彼も、彼なりにミナムを愛していた。ただ"未来"に執着していただけのこと。自分らしく生きること、未来を自分自身で作ることを強く望んでいたのだ。
「私はおじいさまの愛は確かに受け取っていました。でも私には、おじいさまとお父さまの"愛"が理解できませんでした」
「あぁ……」
ミナムの否定に対してそう僅かに声を出した後、満足げな顔をして老人はようやく"未来"に縛られることはなくなった。
outro.
クロウリーの死によって事実上、アンラが即位することになったが、彼はクロウリーの死を絶望の淵に立たされていた影響と看取ることができなかった罪悪感で、精神崩壊を起こした。よって、形式上はその娘であるミナムが首長代行を務めることになった。これからは若者が自分らしく生きていくための社会に変えていくとヴァリとシエロに語っていた。殺害されてしまった女性は適正な儀式を以って鎮魂をして埋葬した。
そして滞在最終日。空は旅立ちを祝うかのように晴れだった。
荷物も積み込んで、いよいよ出発の時だ。
「ミナムちゃん。今までありがとう。食料もいっぱい貰っちゃって、本当にいいの?」
「ええ、旅人さんたちは私を変えてくれた恩人ですから。これくらいしないと恩返しができません。シエロさんにもお礼を言わなきゃ」
ミナムは笑顔でヴァリに言った。
車の前でクランクを回して車のエンジンを起動した。
「シエロさん、ありがとうございました。貴方のおかげで、未来を見据えることができました……」
シエロは一瞥した。その後、相変わらずの無表情で、何も言わずに車に乗り込んだ。
「ほら! シエロもなんか言ったらどうなの?」
「いいんですよ……ここをずっと真っ直ぐにいくと、最も早く森を出ることができます。シエロさんも、どうかお元気で」
シエロはそれでも何も言わない。
「なんでそんなに最後まで無愛想なの? シエロは……」
ギアをN(ニュートラル)の後、1速に変えると、シエロは瞳孔だけ一瞬、ミナムに向けて
「……では達者で」
と言って、アクセルペダルを踏み込んだ。
サイドミラーに映るミナムが遠ざかっていく。彼女は悲しそうに手を振って見送っていた。
やがて、エルダー自治区を抜け、森の中に入ると三日前と同じ鬱蒼とした森が立ち込めていた。
「ねえ、シエロ」
「なんだい、ヴァリ」
「どうしてアンラさんに"未来"を語ったの? アンラさんはクロウリーさんが間違ってると思ってること、もしかして知ってたの?」
シエロは少し黙った。眉間に皺を寄せて、苦虫を噛み潰したような顔で考え込んでいる。
「僕は、単純に"面倒くさかった"だけだよ。あの場をどうにか打破してエルダー自治区を発ちたかった。ただそれだけ」
「シエロってさ、いつもは無表情、無関心そうなのにそういうところは"人間っぽい"よね」
「物事の効率化は、生きる上で大切なことだからね。僕はそれを実践してるだけだよ」
冷たくヴァリに言うと、頬を膨らませてヴァリは
「シエロのばか──」
とつぶやいた。
──しかし、森への出口はまだまだ先になりそうな気がする。
(To be continued...)
あとがき
突然ですが、私はヒトは安全な分、この世界に生きる生き物の中で一番自由のない生き物だと思います。動物は自分の欲求を満たすために、食べ物を食べるために生き物を殺すので安全とはいえません。しかし、ヒトはお互いの意思が尊重できるのですが、社会という概念が"欲求"を抑圧しているので必ずしも自由ではないのです。つまり、ヒトと動物は、対極に位置しているといえると思うのです──。
どうも、カガリです。お待たせ致しました。第一話が完結しました。皆様、いかがだったでしょうか。胸糞悪いと感じた方や素晴らしい物語、あるいはそれ以外の印象を抱いた方がいらっしゃるでしょう。彩の旅というのはそういう物語です。
さて裏話ですが、彩の旅の主人公は『ヴァリ』として執筆していますが、第一話の主人公は『ミナム』です。このお話のテーマは『未来への可能性』です。「若者、老人のために働け」の国を家族の問題と絡めて、極端に描いてみました。文化体系は『過度な敬老思想』を除いては、アイヌ民族に近いですが、彼らはアイヌ民族ではありません。そこだけ注意してください。
さて、第二話の題名は『欲望解放境界域 ヴェンツ ~Passions and desires~』です。今回のあとがきの序盤の語りで、ある程度ヴェンツの在り方を明かしております。乞うご期待でございます。
本作は序章、幕間、終章を除き、全七話を予定しております。そのうち、挿絵も描いて投稿しようと思ってます。その際にはお知らせ記事でお知らせ致します。
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かがり
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