【短編小説】防人ノ変
今日は生憎の雨であった。
平安京の羅城門(注釈:平安京の正門)の角にはいくつか蜘蛛の巣が張られて、神々しかったかつての紅の彩は失われている。
そしてなにより、晴天の羅城門とは打って変わり、雨天の羅城門はより鬱蒼とした雰囲気を無造作に撒き散らしている。
この平安京も、華々しい貴族が台頭した時代があったものだ。だが、彼らは今や紛争を幾度となく起こすようになってしまった。
それを武力で解決するようになっている現在、今や平安京の中は盗人や破落戸が跳梁跋扈しており、かつての栄光はない。もはや、一種の魔境と言っても差し支えない有様である。
そんな羅城門の前に佇む痩せぎすの防人が一人。鎧も朽ち果て、もはや矢一本すら守ることはできないだろう。
彼は一人でこの門を守っている。あらゆる者がこの門をこの世を、平安京を捨てるように逃げ出した。だが、彼一人だけははこの門の前に立っていた。時には、この都を焼き払うために大勢の軍勢を引き連れて襲撃してくることもあったが、この防人がいたから回避できたのだ。たかだか防人一人、門番一人の名はこの平安京の地に刻まれないことは当の本人も分かっている。
だが、争いが多発するこの平安京を前に、彼はその高潔な魂を守り続けた。
防人は、どかん、と門の前に座り込み、ぼろぼろの槍を担いで口笛を吹く。
……やることがないのだ。内乱が起きているとはいえ、外の監視をしているだけで、中の状況は誰一人として教えてはくれまい。
「どうしたもんかな」
ため息をつく。ここ数えきれぬほどの歳月をこの門の前で過ごしたが、雨の日の門番ほど億劫な日はない。
よく耳を澄ましてみると、門の中から悪人の笑い声や悪人に貶められた者などの声が聞こえてくるような気がした。
ーーこの先、本当に平安京は平安のままなのか……。自分の未来はどうなるのか……。
考えてくると、睡魔が防人を襲う。
「む?」
うたた寝しようとしていると、複数人の足音が耳に入ってきた。
二人の男が、駕籠を担いで門の前で立ち止まった。
籠の中には、今咲いたばかりの桜の花のような可憐な女性が乗っていた。
「ごめんください。私は⬜︎⬜︎⬜︎(名前)という者なのですが、帝に謁見したいのです。この門を通していただけませんか」
細い声で女は言った。
「通しても良いですが、命は保証できませんよ」
女に吐き捨てるように防人は言うと、
「どうしてですか?」
と質問が返ってきたのだ。
「都の中のことはご存知ないのか?」
「以前は、華やかであったことは知っております」
この女は本当に何も知らないらしい。であれば、ここは通さないでおくのが門番としての役割であろう。と防人は思案した。
「今はもう、盗人や破落戸みたいな連中が闊歩している。朱雀大路を真っ直ぐ進むと朱雀門には辿り着きますが、その間に悪人達に嬲られるかもしれぬ。貴女のような可憐な貴婦人が来ていい場所ではない。お引き取り願う」
息が詰まるほどの沈黙が、この場を迸る。
女はおそらく貴族だ。差し障りのないことを言ったはずだが、心証を悪くさせれば、もしかしたら男たちに殺されてしまうかもしれない。
だが、どうせ門番のまま死ぬならそれも一興であろう。と、防人は死を覚悟し固唾を飲んだ。
すると、女はゆっくりとその籠の中から現れた。
実に可憐であった。白百合の花のような肌に、整った顔立ち。防人は今までに感じたことのない感覚を感じていた。女というよりかは少女だ。まだ小柄なのに、こんな荒廃した京に入れてもよいのか。
果たして、無知であるはずの幼子を、このまま通してもよいのか。
女の凛とした眼から刺す視線。その視線には、男の語感を麻痺させるような、そんな力を持っているような気がした。
「では──なぜここで門番をなさっているのですか。そんな都を一人で守って、何の意味があるのですか」
女に見惚れている防人に、その女は防人の心臓を刺すように質問した。
「意味などない。某はここを守るのみだ」
女はまっすぐ防人を見据えている。
そして、女は一言、その眼、その身体に烙印を押すようにその沈黙を破った。
「……可哀想なお方」
防人の胸に飛び込んできたのはとてつもない衝撃であった。言葉の矢が胸を、脳天を、目を、そして耳を撃ち貫いたのだ。
──そう、この平安京を守る理由など最初からなかった。
物心ついた時からこの鎧を着てこの門を守ってきた。今更、自分がどうしてこの羅城門の前に立っているのか、自分でも考えたことすらなかった。
女は決して防人を侮蔑したわけではない。かといって激励でもない。あの一言で女は男の価値を定めたのだ。そうに違いない。
今まで感じたことのない衝撃に腰が抜けた。
「では、私は帝に謁見しに行きます。通してくれてどうもありがとう」
女は防人に満面の笑顔を見せて、再び籠に乗る。そして、防人の呆然とした顔をよそに、羅城門をくぐって『魔境・平安京』の中へと消えていった。
──あれから何日か経った。
防人は毎日この門の前に居座っているが、女は現れなかった。
別の門から出たのか、朱雀大路で悪人より襲撃に受けて嬲り殺されたのか。はたまた帝と結ばれたのか。
どうあれ、今あの女が何をしているのかは男は知らない。
だが、今も防人として彼はこの門を守り続けている。
完
あとがき【ネタバレあり】
初夏の風が香るこの頃。暑さが急に増してきて、さぞや夏を感じるような季節になってきたかと思います。
さて、私が出す小説の第二弾となります。
タイトルは『防人ノ変』。読み方は『サキモリノヘン』です。今年の四月に脱稿した小説です。
こちらのテーマは『羅生門リスペクト』と『生きる意味』です。多分読んだ方はわかるかもしれないですが、芥川 龍之介先生が執筆した『羅生門』から世界観をまるっきり拝借しています。彼は必要悪の是非について皆さんに問うように執筆しましたが、私は生きている意味について、書いてみました。
羅城門にただ一人残された最後の門番、防人が一人の可憐な女と出会ったことで自分の生きている理由を考えるようになったのです。
はてさて、ここから防人がなぜ今も崩壊寸前の平安京の正門を守り続けているのか──。それも考えてみるのも一つの面白さだと思います。
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